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霧島昇(きりしまのぼる、1914年(大正3年)6月27日-1984年(昭和59年)4月24日)は戦前から戦後にかけて活躍した流行歌手。本名は坂本栄吾。福島県双葉郡大... |
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藤山一郎
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伊藤久男(いとうひさお、1910年(明治43年)7月7日-1983年(昭和58年)4月25日)は日本の歌手。本名:伊藤四三男。福島県本宮市出身。本名の四三男は生年の... |
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仁木他喜雄(にきたきお、1901年(明治34年)11月14日-1958年(昭和33年)5月13日)は昭和期の作曲家、編曲家。北海道出身。 |
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高橋祐子(たかはし ゆうこ)
誕生日: 1979年4月16日
本名: 高橋祐子
改名歴:
身長: cm
体重: kg
スリーサイズ(B/W/H): //
血液型: 型
出身地:
学歴... |
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プロフィール
- 二葉あき子とは
- 来歴
- 主な作品
- NHK紅白歌合戦出場歴
- 主なテレビ番組
二葉あき子(ふたばあきこ、1915年2月2日-2011年8月16日)は、日本の歌手。
来歴
| 広島駅のすぐ北側、広島県広島市大須賀町二葉(現在の東区二葉の里)出身で、芸名は二葉の里で安芸の国と地元からとる。 |
| 本名は加藤芳江{{Citenews。 |
| 広島県立広島高等女学校(現在の広島皆実高等学校)を経て、1935年、東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)師範科卒業。 |
| 音楽学校在籍中、東京音楽学校の奏楽堂で同校期待の増永丈夫の美しいバリトンを聴いて感銘を受ける。 |
| その増永丈夫はすでに藤山一郎として流行歌手として名をなしていた。 |
| レコードデビューは、在学中にコロムビアで吹込んだ教育レコード。 |
| 卒業後、地元の広島の三次高女(現在の広島県立三次高等学校)で教鞭をとる。 |
| 教師時代も上京して学校用教材のレコードを吹込んだ。 |
| 1936年、春コロムビアの専属となる。 |
| 「愛の揺り籃」が最初のレコードだった。 |
| 「あの夢この夢」「月に踊る」、「乙女十九」などで世に知られ1939年、松竹映画『春雷』の主題歌「古き花園」が大ヒットすると人気歌手としての声価を得る。 |
| この曲でブルースを歌う自信をつけ、以後多くのブルースをヒットさせるようになった。 |
| 戦時中は歌手として慰問活動をする。 |
| 戦時下の1943年、結婚し一男をもうけるがすぐに離婚。 |
| その後は自立する女として生きたが息子の非行に悩むことになった。 |
| しかし、やがては息子の作になる曲を唄い孫のピアノ伴奏で歌う幸せも得た。 |
| 1945年8月6日、久しぶりに帰郷する為、広島から芸備線の汽車に乗り、トンネルをくぐっているときに原子爆弾が投下され、トンネルを出たら、きのこ雲と落下傘を見たという。 |
| しかし被爆はしたものの、トンネル内であったので原爆の直接の被害に遭わず、一命を取り留めた1987年3月31日日本テレビ特別番組「さよなら大放送-おもしろ国鉄スペシャル-」より。 |
| 戦後になると、「別れても」「夜のプラットホーム」「恋の曼珠沙華」「さよならルンバ」「村の一本橋」など多くのヒット曲を放った。 |
| 1950年の「水色のワルツ」は、綺麗なメロディーに二葉あき子の歌唱が合い、人々に潤いをあたえた。 |
| 日劇では同じコロムビアの淡谷のり子、笠置シヅ子、渡辺はま子らとよくステージに立った。 |
| NHK紅白歌合戦にも1951年の第1回から1959年の第10回まで10回連続出場した(詳細は下記参照)。 |
| 第6回では代表曲の一つである「バラのルムバ」で紅組トリを務めるなど、渡辺はま子・淡谷のり子・松島詩子・笠置シヅ子と並ぶ創世記の紅白を代表する女性スターでもあった。 |
| 1955年前後に高音が出なくなり、意気を喪失して帰郷。 |
| 実家から刃物を持ち出し自殺を図るが未遂に終わる。 |
| その後、作曲家の服部良一に「高音だけが歌じゃない」と励まされ復帰する。 |
| 自ら低音発声法を作った。 |
| 1982年に紫綬褒章、1990年には勲四等瑞宝章を受章。 |
| 1984年に親友の伊藤久男の一周忌に胡美芳、池真理子、並木路子、安藤まり子と「五人会」を結成する。 |
| 懐メロ歌手として21世紀を超えてもなお活躍したが、2003年夏にファンのつどいにて引退を宣言し、広島に帰郷した。 |
| 難聴が進行した影響でバンドの演奏の音が聞き取りづらくなっており、それが引退の理由であったと伝えられている。 |
| 2011年8月16日、心不全のため広島市内で死去{{Citenews。 |
主な作品
| 「あの夢この夢」(1936年7月発売)。 |
| 「乙女十九」(1937年2月発売)。 |
| 「あの日想えば」(1937年5月発売)。 |
| 「古き花園」(1939年6月発売)。 |
| 「純情の丘」(1939年8月発売)。 |
| 「白蘭の歌」(1940年1月発売、共唱:伊藤久男)。 |
| 「あの花この花」(1940年2月発売)。 |
| 「涙のすみれ」(1940年3月発売、共唱:霧島昇)。 |
| 「なつかしの歌声」(1940年5月発売、共唱:藤山一郎)。 |
| 「お島千太郎旅唄」(1940年5月発売、共唱:伊藤久男)。 |
| 「新妻鏡」(1940年6月発売、共唱:霧島昇)。 |
| 「牡蠣の殻」(1940年10月発売)。 |
| 「嗚呼北白川宮殿下」(1940年12月発売、共唱:伊藤武雄)。 |
| 「めんこい仔馬」(1941年2月発売、共唱:高橋祐子)。 |
| 「四つ葉のクローバー」(1941年2月発売)。 |
| 「シャボン玉の幻想」(1941年3月発売)。 |
| 「高原の月」(1942年8月発売、共唱:霧島昇)。 |
| 「青い花瓶」(1942年8月発売)。 |
| 「黒いパイプ」(1946年9月発売、共唱:近江俊郎)。 |
| 「別れても」(1946年10月発売)。 |
| 「乙女心は」(1946年10月発売)。 |
| 「バラのルムバ」(1947年1月発売)。 |
| 「夜のプラットホーム」(1947年2月発売)。 |
| 「赤く咲く恋」(1947年7月発売)。 |
| 「こゝろ月の如く」(1947年10月発売)。 |
| 「旅の舞姫」(1947年10月発売、共唱:霧島昇)。 |
| 「あの夢この歌」(1948年3月発売、共唱:霧島昇)。 |
| 「とてもセンチなタンゴ」(1948年3月発売)。 |
| 「捨てられた薔薇」(1948年5月発売)。 |
| 「フランチェスカの鐘」(1948年6月発売、台詞:高杉妙子)。 |
| 台詞の評判が悪かったので、翌年、台詞抜きで吹き込み直した。 |
| 「恋の曼珠沙華」(1948年7月発売)。 |
| 「なつかしのブエノスアイレス」(1948年7月発売)。 |
| 「面影の花」(1948年9月発売)。 |
| 「さよならルンバ」(1948年11月発売)。 |
| 「夢よもういちど」(1948年12月発売)。 |
| 「嘆きのルムバ」(1949年2月発売)。 |
| 「追憶」(1949年3月発売)。 |
| 「恋のアマリリス」(1949年3月発売)。 |
| 「悲しきすみれ」(1949年7月発売)。 |
| 「今宵別れて」(1949年8月発売)。 |
| 「霧の港のノスタルジア」(1950年1月発売)。 |
| 「誕生日の午後」(1950年2月発売)。 |
| 「水色のワルツ」(1950年2月発売)。 |
| 「村の一本橋」(1950年4月発売)。 |
| 「想い出のプラットホーム」(1950年4月発売)。 |
| 「星のためいき」(1950年6月発売)。 |
| 「バラと蜜蜂」(1950年7月発売)。 |
| 「ボヘミアの夜」(1950年11月発売)。 |
| 「えり子の歌」(1951年4月発売)。 |
| 「巴里の夜」(1951年6月発売)。 |
| 「モロッコから来た女」(1951年9月発売)。 |
| 「夜汽車の女」(1955年4月発売)。 |
NHK紅白歌合戦出場歴
| 第1回(1951年1月3日、NHK東京放送会館第1スタジオ)『星のためいき』。 |
| 第2回(1952年1月3日、NHK東京放送会館第1スタジオ)『モロッコから来た女』。 |
| 第4回(1953年12月31日、日本劇場(日劇))『別れても』。 |
| 第5回(1954年12月31日、日比谷公会堂)『パダム・パダム』。 |
| 第6回(1955年12月31日、産経ホール)『ばらのルンバ』。 |
| 第7回(1956年12月31日、東京宝塚劇場)『忘れじの君いづこ』。 |
| 第8回(1957年12月31日、東京宝塚劇場)『夜霧降る空の港』。 |
| 第9回(1958年12月31日、新宿コマ劇場)『夜のプラットホーム』。 |
| 第10回(1959年12月31日、東京宝塚劇場)『夜汽車の女』。 |
| このうち、第6回・第7回・第8回・第9回・第10回は二葉の歌のラジオ中継の音声が現存する。 |
| 第10回は2009年4月29日放送のNHK-FM『今日は一日“戦後歌謡”三昧』の中で、二葉の歌も含め全編が再放送された(音声はモノラル)。 |
主なテレビ番組
| 昭和歌謡大全集(テレビ東京)。 |
| 年忘れにっぽんの歌(テレビ東京)。 |
| 金曜メガTV「私の心の歌思い出のヒットパレードPART2」(フジテレビ、1997年3月14日)。 |
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1935年
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東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)... |
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1936年
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春コロムビアの専属となる |
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投票数
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| 性別 |
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| 生年月日 |
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