| 大学卒業から入団まで数年の空白があるが、その間何をしていたのかは本人いわく「秘密」とのこと。 |
| 入団後1年以上のトレーニングを経て、1999年7月21日の札幌中島体育センター興行での「スーパージュニア・バトルロイヤル」でプロレスデビュー。 |
| ただしこのバトルロイヤル登場は仮デビューと位置づけられ、正式なデビュー戦は同年10月10日後楽園ホール興行での対柴田勝頼戦である。 |
| 2001年よりジュニアヘビー級戦線を活動の中心に据えている。 |
| 同年11月にはタッグ戦ではあるが獣神サンダー・ライガーから勝利を奪うなど活躍した。 |
| 2002年の2月にはプロレスリング・ノアへも登場している。 |
| 同年10月から目の治療のために長期離脱。 |
| 2003年の7月に戦列復帰した。 |
| 一時期、目の保護も兼ねてベイダーマスクのような変わったマスクをしていたが、ファンから不評だったこともあり使用をやめている。 |
| 復帰後は他団体へも積極的に参戦し、翌2004年1月のプロレスリング・ノアでGHCジュニアタッグ王座に挑戦、2月には大阪プロレスなどへ登場した。 |
| 2005年の3月には金本浩二と組み、邪道、外道が所持するIWGPジュニアタッグ王座に挑戦し奪取するも5月に同王座を奪われる。 |
| 2006年と2007年のBESTOFTHESUPERJr.では2年連続でブロック1位通過を果たすも、優勝にはならず。 |
| 7月の大会直前、道場に置手紙を残し音信不通状態となるも、10月に試合を終えた金本浩二が「メキシコで試合や練習をやっている」とコメント。 |
| 11月に復帰戦を行い、パートナーとは一度もタッチを交わすことなく当時IWGPジュニア王者だった田口隆祐を7分足らずでタップを奪った。 |
| 試合後もリング上で王座挑戦を表明。 |
| 12月になると田口と25分以上の激闘を繰り広げた末、IWGPジュニアヘビー級王座に初載冠。 |
| 2008年3月の試合で邪道に徹底したラフ攻撃で大流血に晒され、これに激怒。 |
| 4月に邪道とシングルマッチを決行し普段見せないラフ戦法を織り交ぜ勝利を挙げた。 |
| BESTOFTHESUPERJr.ではAブロック2位で通過。 |
| タイガーマスクを下し、決勝で金本浩二と師弟対決が実現。 |
| 変型トライアングルランサーで金本からギブアップを勝ち取り悲願の初制覇。 |
| 同時にジュニア2冠王となった。 |
| 後日に一夜明け会見が行なわれ、今まで3度の防衛に成功してきたIWGPジュニアヘビー級王座返上とヘビー級転向を発表。 |
| さらに、結婚されていたことが明らかになった。 |
| 8月にG1CLIMAXへの初出場を果たし中西学、ジャイアント・バーナードのスーパーヘビー級相手に金星をあげ2勝4敗の結果に終わる。 |
| 12月にはG・B・H所属の石井智宏と抗争劇を繰り広げた。 |
| 以降、数回のシングルマッチが組まれ、2009年5月にフォールズカウント・エニウェアマッチで激突。 |
| 場外に敷き詰められた椅子の山にオラシオンフレイムを叩きつける荒技を敢行。 |
| これにピンフォール勝ちを収め、抗争にピリオドを打つ。 |
| 抗争後は低迷が続き、ついには2009年度G1CLIMAXにも選出されず。 |
| その悔しい思いから9月シリーズに同年度G1に参戦した選手達とシングルでの連戦が組まれた。 |
| 「俺の『G1』」と称し意気込んではいたものの、やはり結果は残せず。 |
| そして9月に永田裕志と組んで矢野通から不甲斐なくフォール負けを喫し、バックステージで永田、スーパ・ストロング・マシン、平澤光秀らと青義軍を結成。 |
| 10月10日、デビュー10周年を迎えるも中邑真輔にフォール負け、さらに11月にも中邑にフォールを奪われ2連敗を喫す。 |
| 2010年4月、CHAOSとNOLIMITの暴徒に我慢できず青義軍メンバーと共に乱入し宣戦布告。 |
| 5月3日、IWGPタッグ王座を賭けて、王者組のNOLIMIT、ジャイアント・バーナード、カール・アンダーソン組の強豪チームに永田裕志をパートナーに抜擢し初挑戦。 |
| アンダーソンをスピアー・オブ・ジャスティスから押さえ込むとピンフォールを奪い、同王座に君臨を果たした。 |
| しかし、その試合終了直後にNOLIMITが再戦を直訴した為、6月19日に同様の面子で対戦。 |
| バーナードをジャーマンスープレックスで投げる等、健闘するも最期は自身のファイトスタイルを利用したアンダーソンのガン・スタンに敗れ、初防衛に失敗する。 |
| 8月のG1クライマックスに出場。 |
| また、永田とタッグを組んでG1タッグリーグに出場しG1タッグ優勝を果たす。 |
| その後、G1タッグ優勝の特権でIWGPタッグ王座に再び挑戦するも敗退する。 |
| 2011年1月4日の東京ドーム大会では、天山広吉と飯塚高史のDEEPSREEPTOLOSE戦の解説席に座り、飯塚に襲撃を受けるようになった野上アナの護衛に着く。 |
| また、試合中に飯塚がアイアンフィンガーフロムヘルを装着した直後にリングに上り、アイアンフィンガーを奪い飯塚にエルボーを食らわせ、天山をアシストし勝利に導いた。 |
| 2月20日の仙台大会を契機に天山と青義軍が共闘、天山とタッグを組むようになる。 |
| 3月、NJCに出場、1回戦にアンダーソンと対決するも予選敗退となる。 |
| 8月、G1CLIMAXに出場。 |
| ストロングマンとアンダーソンに勝利するも、日本人レスラーとの対戦は全敗するという結果で終わり、大会7日目で早くも優勝戦線から脱落した。 |
| その後、G1で初遭遇となった「鈴木軍」頭領の鈴木みのるに敗北し、ヤングライオン扱いされたことをきっかけに鈴木との構想を展開し始める。 |