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その後井上の膝の故障により、小山とのペアを解消する。
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高校2年生だった1994年のリレハンメルオリンピックには、女子シングル代表(出場枠2)を目指した。
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同年1月に行われた国内選考会の第62回全日本フィギュアスケート選手権では、テクニカルプログラムでは4位と出遅れたが、フリースケーティングでは5種類7回の3回転ジャンプを全て決め2位となり総合で2位、優勝した佐藤有香と共に女子シングルで2回目の五輪出場を果たした。
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しかしリレハンメル五輪本番はテクニカルプログラム・フリー共にジャンプをことごとく失敗、総合18位に終わった。
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それから1か月後、千葉県の幕張メッセで開かれた世界選手権では13位だった。
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翌1995年の第63回全日本選手権でショートプログラムは2位だったが、風邪による高熱が有りながらも翌日のフリーに強行出場。
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しかしフラフラの状態でジャンプが全く決まらずの演技終了で総合12位、最後はリンクに倒れ込んだまま動けず担架に運ばれての退場となった(演技の途中、見かねた観客から「井上!」の声援が飛び、涙ぐみながらの演技、担架上で号泣しながら運ばれて行く姿がテレビ中継でも映されている)。
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それから3年後、大学3年生となった1998年長野オリンピックにも女子シングル代表(出場枠1のみ)を目指したが、長野五輪前年の1997年12月に行われた第66回全日本選手権では優勝した荒川静香らに届かず、3位に終わり長野五輪代表を逃した。
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長野五輪後は再びペア選手として活動し、2000-2001年シーズンから練習拠点をアメリカに移し、ジョン・ボルドウィンと組んで活動している。
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2004年の全米選手権では優勝したが、同年の2004年世界選手権は10位に終わった。
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2005年9月28日にアメリカ合衆国市民権を獲得、日本国籍を離脱しアメリカ国籍となった。
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このとき、「できれば日本国籍でトリノオリンピックに参加したかったんですが、日本はペアのレベルが低く、選手層が薄いため、オリンピック出場の夢を叶えるためにアメリカ人になる決心をしました。
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オリンピックのアメリカ代表になれたらとても誇らしいです。
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ペアは申雪と趙宏博の中国ペアが強いけど、アメリカ代表としてトリノに行きたいと思っています」とコメントしている。
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2005-2006シーズン、井上は現地にてボルドウィンと恋人同士となるが、そのペアで、全米選手権、2006年四大陸選手権で優勝を果たし、トリノ五輪へはアメリカ代表として選出され、井上自身3回目の五輪出場となった。
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トリノ五輪本番のショートプログラムでは、ペア競技で五輪史上初となるスロートリプルアクセルの着氷を成功させ、6位スタートとなる。
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メダルへの期待がかかったフリースケーティングでは、スロートリプルアクセルに再挑戦するも着氷失敗が響いて、総合で7位入賞に留まった。
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しかしメダリストや上位選手が出場するエキシビションには、3回転半ジャンプを成功させたことと上位入賞者が次々出場辞退したことも有り、7位ながらも特別参加となった。
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トリノ五輪から1か月後の2006年世界選手権では4位入賞。
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同10月GPシリーズスケートアメリカ優勝。
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2007年世界選手権で一旦アマチュア引退を発表したが、その後引退を撤回し現役続行を宣言。
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2008年全米選手権で復帰を果たし、2位となった。
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このときフリースケーティングの演技終了後には氷上でパートナーのボルドウィンからプロポーズを受け、大きな話題となる。
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井上の返事はYesであった。