| 『クイズダービー』では、タレントで元新体操五輪代表選手だった山崎浩子が2枠レギュラーを降板後、井森は1988年2月20日(第628回)に9代目2枠レギュラー解答者として初めて出演となる。 |
| その日以降井森は多大な珍解答ぶりで人気を博していった。 |
| 以後1992年7月に週代わりの準レギュラー制になるまで、約4年4ヶ月の間レギュラーを務めたが、入れ代わりが多いこの枠としては最長記録である。 |
| しかし当時出演年齢が19歳~23歳と若過ぎたことや問題が難しくなったこともあり、井森の正答率は2割0分8厘(平均1勝7敗~2勝6敗ペース)と過去の2枠レギュラーでは最低であった。 |
| 特にジョークや笑い話の問題ではそれに対する知識があまりなくて、理解不能の解答をよく書いたことも有り(長くだらだらと答えを書くことが多い)、井森の左隣に座る3枠レギュラーのはらたいらでさえ呆れた表情を見せていた。 |
| 滅多に無いが、一般問題で井森の書いた解答が、はらたいら又は竹下景子と一緒だった際に、井森は喜ぶものの、はらは「ちょっと待って下さい!冗談でしょ?」と困惑し、竹下は「アー、ダメだ……」と嘆き哀しんだ事があった。 |
| 司会の大橋巨泉(巨泉)はその度に、はら・竹下に対して「それは井森に対して失礼ですよ!」と苦笑しつつ井森をフォローしていたが、結局大概は不正解だった。 |
| たまに正解だった場合も、巨泉から「井森と同じ感覚ですね」と突っ込まれたはらは「嫌ですねえ~」と嘆いており、それに対して彼女ははらに対して怒ったという。 |
| また井森は、クイズダービーにおいては史上ワースト第1位となる27連敗という記録を残し、また23連敗も(2回)26連敗もしている。 |
| (歴代2位は同じ2枠レギュラーだった斉藤慶子の24連敗)他にも、クイズまるごと大集合では16連敗を記録している。 |
| 井森の正答率が低かったせいもあってか、出場者が彼女に賭けてくるパターンは、井森が余程正解できそうな問題でない限り一般問題では稀であり、中には三択問題で、「半分捨てたつもりで元アイドルの井森美幸さんに500点」(1988年6月25日の第646回放送分)という暴言を吐いて賭けた出場者がおり、巨泉は「随分傷つく言葉が2回(半分捨てたつもり・元アイドル)続きましたねえ」とコメント。 |
| それに対して井森は「でも半分捨てたつもりで500点なんてちょっと甘いですね!」と嫌な顔をせずに言い返すと、巨泉は「ガハハ!」と爆笑した事があった(ちなみにその時は不正解だった)。 |
| 更に、出場者の点数が少なくて最終問題などで指名された時はよく「わかんないよ~」と嘆いた時が多かった。 |
| それ故、いつも問題では2枠席ということもあり6~10倍(最終問題は殆ど20倍だが、自分より年下の人物がゲストの時や、若者向けの問題で1枠解答者の方が解けそうにない時は稀に18倍もあった)という高い倍率での設定だったが、たまに井森の得意そうな問題で2~5倍の倍率も表示されていた。 |
| (2枠で正解率が高めのうつみ宮土理にも同じ傾向があった)。 |
| ごく稀にだが、本来は7倍が最高の1問目で、井森には8倍がついたこともあった(おそらく巨泉が井森は絶対正解できないという意図でつけたと思われる)。 |
| 普段はあまり正解しないが、同世代のアイドルに関する問題は比較的正答率が高かった。 |
| また、井森が2枠レギュラー初回出演時の1問目(「“女子高生が砲丸投げのポーズをして投げてみて”の格好させた後、何を言う」の問題)では、年齢で一番女子高生に近いが、かつて5枠ゲスト時代の勝率がかなり低かった為(2枠レギュラーになる前)、巨泉は「(ゲスト時代の通算勝星について)わずか2勝の人に2倍は付けられない」と言って7倍をつけた。 |
| この問題の答えは「ガチョーン」だったが、井森は知っていたので勿論正解となった。 |
| ちなみに、井森がゲスト時代に過去3回登場したときの通算成績は2勝22敗、0割8分3厘と極めて低い正解率であった。 |
| 特に第703回(1989年8月19日放送分)は、井森の珍解答ぶりが発揮された回で、一般及び歌詞問題全てで披露していた(1問目は「フロリダ」からの出題を「ブルガリア」と勘違いして「ヨーグルト製造業者」と解答、最終問題では「卍(まんじ)」の字を書き間違える等)。 |
| 特に3問目、「『この世に白が無くなったら?』というアンケートで1位となったのは『何が普通の動物になる』だったが、それは何が何になるのでしょう?」という問題で、井森は前半途中までは「『シマウマ』が」と折角正解を書いたのに、その後何故か「『黒やぎ』になってしまう」と書いてまさかの不正解となる(正解ははら・竹下の「『シマウマ』がただの『ウマ(馬)』になる」)。 |
| しかもこの問題で井森は出場者1チームに指名されていたが、勿論減点となった(はら1倍・竹下2倍と低かった故、7倍の彼女に指名されたと思われる)。 |
| この井森の珍解答に会場全体は爆笑、特に竹下は「なんでヤギになっちゃうの??」と大笑いを堪えきれず、巨泉も井森に対して呆れ返りながらも「お前はエライ!!」と大ウケしていた。 |
| 初期はそうでもなかったが、長く出演するにつれて、特に一般問題で「1人を除いてみんな同じ答え」の1人だけ不正解に該当するようになった。 |
| 時には数週連続で1回は該当することもあった。 |
| 北野大と共演するようになってからは「1人を除いて…」という状況が多くなった。 |
| そのような状況になった時、2人で向かい合って苦笑いを浮かべることがあり、それで巨泉に「1枠と2枠が向かい合っています」と言われることも多かった。 |
| 滅多に無いが北野と井森だけが正解すると、同じく巨泉に「1枠と2枠だけ正解で他は間違いというケースは1年に1回はあるんですよ」と冷やかされていた。 |
| それでもたまの好調時には、井森が得意げになることも度々あった。 |
| 特に1枠の北野よりも成績が良かった時は「お友達やめました。 |
| もう格が違うので」「こんな問題知らないなんて日本人として失格ですよね」「私には易しすぎましたね」などと言っていた。 |
| 他にも井森が正解を知っている問題で、ギャンブラーから指名が無かった場合は「私に賭けて欲しかったのに~!」など。 |
| 指名されたときに正解したときはかなり喜んでいた。 |
| 他にも調子の良い時は、4勝4敗の成績を挙げた事も数回ある。 |
| 因みにそのうちの一回である第685回(1989年4月15日)の放送では、竹下景子が絶不調で2勝6敗、はらたいら(6勝2敗)に次いで第2位の成績だった。 |
| 又この回の井森は珍しく、2問目の三択問題では一人だけ正解したり、最終問題も当てたりするなど(しかもはらと一緒で1チームから指名されていた)、巨泉らを驚嘆させていた。 |
| なお、1991年3月26日放送のクイズまるごと大集合では5勝3敗と、はらたいら(4勝4敗)より良い成績だった(はらの苦手な三択問題が4問あった事もある)。 |
| この直後の第783回(同年4月20日)では最終問題の「アメリカの親が子供のうちにこれだけはやらせなければならないと思っているのは学校教育とあることなのだそうです。 |
| さて、大きくなってからでは遅い何をしてやることが親の責任なのでしょう?」で井森だけが「歯のきょうせい」と書いて正解するという珍事が起こった。 |
| ギャンブラーは3チームとも竹下(その解答は「親と寝室を別にする」)に全部賭けていたため0点となった。 |
| 巨泉は女性解答者を下の名前で呼ぶことが多いが、井森の場合は「いもり」と名字で呼ぶことが多かった(たまに「みゆき」と下の名前でも呼んでいた時もあり)。 |
| 1988年4月の第634回での放送では、一般の出場者チームから「ヤモリ・ミユキさん、じゃなくてイモリ・ミユキさんに500点」と指名された事もある。 |
| また、三択問題でイモリの問題が出た時、終始TVカメラは井森の表情を映していた。 |
| 第650回(1988年7月23日)放送分「プロダクション大会」で、出場チームの中に「ホリプロチーム」(吉村明宏・杉浦幸)がいた。 |
| 好調だった他の2チームとは異なり、最終問題では7,000点しか残しておらず、井森(この時の倍率は20倍で、しかもはら・竹下と共に正解だった)に賭けないで0点終了となり、後日顰蹙を食らった(当初井森に賭けたかったが、井森が「他の人にしてください」と言った為、篠沢秀夫に指名したものの、不正解となったため)。 |
| 2004年5月14日、ロンドンブーツ1号2号とロバートのスペシャル番組内で、『もう時効だョ全員集合史上最強!花の芸能界オフレコトークバトル』内では、『クイズダービー』の復元特番が放送された。 |
| 井森も『クイズダービー』放送終了から約11年半ぶり久々に登場、かつての指定席だった2枠に座っての解答となった。 |
| なお、従来の『クイズダービー』では全部で8問出題だったが、この時は5問だけの出題となっている。 |
| 正解ははら・竹下の「ハンカチーフ」が飛び出した。 |