| プロ野球ドラフト会議で近鉄に6位指名され入団した。 |
| プロ1年目の1998年、当時監督であった佐々木恭介との関係がよくなく、なかなか出番に恵まれず、翌2000年の開幕直前、衣川幸夫と共に田畑一也との1対2のトレードでヤクルトに移籍。 |
| この頃よりスイッチヒッターに挑戦する。 |
| 60盗塁をマークし、イースタンリーグの年間最多盗塁記録を更新する。 |
| 一軍でもプロ初盗塁を記録した。 |
| しかしオフの契約の席で「二軍の盗塁記録など価値がない」と言われ、2002年のシーズン終了後にヤクルトを解雇される。 |
| 千葉ロッテにテスト入団。 |
| 外野陣がやや手薄だったこともあり、一軍で自身最多の38打席に立ち、6試合でスタメン出場した。 |
| しかしシーズン最終戦で一塁に駆け込んだ際、一塁手の葛城育郎と交錯し、足に全治3か月の怪我を負い、そのままシーズンオフに自由契約となった。 |
| 12月に手術に踏み切った時には引退を考えていたが、ヤクルト時代から交際していた現夫人に励まされ、1年間のリハビリに努めた。 |
| 自由契約を通告される際、重症の足を引きずりながら出向いた球団事務所で、当時代表だった川北智一から「自由契約にしておくから来年テストでも受けたら?」という配慮に欠いた発言を受け激怒したという。 |
| それでも浪人時代に現役復帰するとしたら一番入団したいと思っていた球団はロッテであったとの本人談。 |
| 尚、川北は後に更迭される。 |
| 所属球団はなく、浪人生活を送る。 |
| 2004年末、シーズンオフのトライアウトでバレンタイン監督(当時)に認められ合格。 |
| 異例の再入団を果たした。 |
| バレンタイン監督は2004年と2005年のチームの違いを聞かれ、「去年(2004年)は代田がいなかったが、今年(2005年)はいる」とコメントした。 |
| 彼のロッテ再入団は、バレンタイン監督の強い推薦があってのことといわれる。 |
| バレンタイン監督は、彼はある意味イチローよりプロフェッショナルだといい、走るセンスを高く評価し、その準備や姿勢にも感心している。 |
| 戦後のプロ野球界において、野手として全くの浪人生活(日本国外の球団、または社会人およびクラブチームなどに属さない)を経て現役復帰した野手は2010年現在代田ひとり投手ではロッテの先輩にあたる小宮山悟と西武から解雇され2008年浪人した河原純一がいる。 |
| である。 |
| 二軍でチームメイトの早坂圭介との盗塁王争いに敗れたものの、イースタンリーグ2位の26盗塁を記録した。 |
| この年は開幕からベンチに名を連ねた。 |
| 開幕2試合目にはスタメン出場を果たすなど首脳陣の期待も大きかったものの、打撃が大不振で打率も1割を切った。 |
| 3月15日、ヤクルト時代から交際していた現夫人と入籍。 |
| 7月29日にかつて在籍していた大阪近鉄バファローズの本拠地・京セラドーム大阪での対オリックス戦で初のお立ち台に上がった。 |
| このとき「無職のときを支えてくれた両親に感謝したい」と涙を流しながらインタビューに応じた。 |
| 8月5日にはプロ入り初の長打(三塁打)を記録した。 |
| 二軍では打率.279、27盗塁(リーグ2位)を記録した。 |
| この年は、ロッテ移籍後1シーズンで1番少ない試合出場数であったが、上記のヒーローインタビューのほか、マット・ワトソンのサヨナラタイムリーを演出する好走塁を見せるなど、存在感を示した。 |
| 今シーズン途中より、吉留秀介二軍サブマネージャー(現二軍用具担当)の勧めおよび協力もあり、ほぼ毎日夕方に浦和の練習場で打撃練習をしていた。 |
| 4月29日の西武戦で竹原直隆のシングルヒットで一塁から一気にホームインした走塁を評価され、JA全農Go・Go賞の3、4月度、「好走塁賞」(GoSpikes・GS賞)を受賞する。 |
| 早川大輔の移籍や新人選手の入団などもあったが過去最高の37試合に出場した。 |
| また打撃でも少ない打席数ながら過去最高の打率.364を記録した。 |
| 大塚明の復活や若手選手の台頭で守備走塁要員としても起用されることが激減し、代走のみの2試合出場にとどまり、また二軍でも打撃不振に陥った。 |
| 11月3日に現役引退を発表。 |
| 引退時に、「寂しい気持ちはありますが、指導者になるという事も大きな夢として自分の中にありました。 |
| 実績のない自分をコーチとして迎えてくれることに感謝し、ありがたく引き受けさせてもらいました。 |
| ファンの皆様には、代走で出場した時などに大きな声援をいただき、温かく見守ってもらえたことを本当に感謝をしております。 |
| 本当に幸せでした」と、コメントを残した |
| シーズンオフに球団からコーチ就任の打診があり、2009年からはロッテの二軍外野守備走塁コーチに就任。 |
| 2010年より背番号は80に変更。 |
| 10月2日、球団から来季のコーチ契約更新はない旨を通知され |