| 「東欧の民族問題とマルクス主義の民族自決権概念――ローザルクセンブルグ」『スラブ研究』18号(1973年)。 |
| 「戦後ポーランドの成立――ソ連外交とポーランド労働者党の戦術(1943-1945年)」『スラブ研究』18号(1973年)。 |
| "NobertLeser;ZwischenReformismusundBolschewismus--DerAustromarxismusalsTheorieundPraxis,1968",『季刊社会思想』3巻2号(1973年)。 |
| 「コメニスのポーランドにおける活動とそのポーランド観」『スラブ研究』19号(1974年)。 |
| 「最近のローザ・ルクセンブルク研究――ポーランドにおける活動を中心として」『スラブ研究』19号(1975年)。 |
| 「東欧に関する連合国の戦争目的,1941-1945(1-4)」『スラブ研究』21号・22号・23号・26号(1976年-1980年)。 |
| 「多元国家ソ連との対話――在ソ十カ月の思索」『中央公論』96巻7号(1981年)。 |
| 「ポーランド革命の歴史的位相」『世界』430号(1981年)。 |
| 「神通力を失った「特権階級(ノメンクラトウラ)」はどこへ--ポ-ランド自主管理制度の焦点」『朝日ジャーナル』23巻42号(1981年)。 |
| 「中国のなかのロシア――旅行者の眼で文化継受のあり方を探る」『中央公論』96巻14号(1981年)。 |
| 「ポ-ランドにおけるノメンクラトゥラ論争――一元的支配手段の黄昏(上・中)」『共産主義と国際政治』6巻4号・7巻1号(1982年)。 |
| 「官僚制的安定の限界」『中央公論』98巻1号(1983年)。 |
| 「労働者革命の可能性と困難性――『連帯運動』とは何だったのか(下)」『世界』447号(1983年)。 |
| 「現存社会主義における社会変動と政治体制――ポーランドにおける党内選挙(1980-81)に即して」『スラブ研究』31号(1984年)。 |
| 「ソ連の民族と日本の民族――多民族国家と単一民族国家(上・下)」『現代の理論』21巻5号・21巻6号(1984年)。 |
| 「知られざる党内闘争――ポ-ランド水平運動の軌跡1980-81年(上・下)」『現代の理論』21巻8号・21巻8号(1984年)。 |
| 「転換期の東欧安全保障システム――ユーロミサイルの影で」『国際問題』303号(1985年)。 |
| 「拘束衣による平和――ヤルタ体制の本質」『中央公論』100巻7号(1985年)。 |
| 「国内に戻ってきた外交政策――ソ連東欧研究にとっての新しい課題」『国際政治』81号(1986年)。 |
| 「ポーランド――改革と変動と(上・下)」『世界』524号・525号(1989年)。 |
| 「システム変動下のポーランド――ラコフスキ内閣の政策を中心に」『ソ連研究』8号(1989年)。 |
| 「東欧社会主義国における権力の分立――ポ-ランドの場合」『比較法研究』52号(1990年)。 |
| 「『ロシア』と『ソビエト』――ソ連における国名変更論議によせて」『世界』559号(1991年)。 |
| 「迷走する大国――2重革命下のソ連」『世界』561号(1991年)。 |
| 「多元的民主主義の制度化――東欧諸国の経験,1989-92年」『ロシア研究』16号(1993年)。 |
| 「解体の危機に瀕する東欧諸国の科学アカデミ――ポ-ランドの例を中心に」『学術月報』46巻10号(1993年)。 |
| 「一東欧研究者の歩み――変動期における社会科学者と研究対象の関係を考える」『ロシア研究』20号(1995年)。 |
| 「旧ソ連東欧諸国における共産党系勢力の復権――一般的背景と民主化にとっての意味合い」『早稲田政治経済学雑誌』329号(1997年)。 |
| 「スラブ研究のアイデンティティ・クライシス」『学術月報』50号(1997年)。 |
| 「東欧の民族問題」『外交フォーラム』12巻6号(1999年)。 |
| 「覇権後スラブ=ユーラシアの民族関係――新しいパラダイムを求めて」『海外事情』52巻6号(2004年)。 |
| 「ポーランド政治の右傾化」『海外事情』54巻6号(2006年)。 |
| 「東欧の1956年――クレムリン、民衆、指導者」『ユーラシア研究』35号(2006年)。 |