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つながりの強いひと
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プロフィール
- 伊藤伝右衛門とは
- 前半生
- 再婚と離婚劇
- 晩年
- エピソード
- 遺跡
- 関連サイト
伊藤伝右衛門(いとうでんえもん、1861年1月6日(万延元年11月26日)-1947年(昭和22年)12月15日)は、明治・大正・昭和の実業家。2番目の妻・燁子( 柳原白蓮)との離婚劇でその名を知られる。
前半生
| 筑前国穂波郡大谷村幸袋(現・福岡県飯塚市幸袋)の貧しい家に生まれる。 |
| 幼い頃には縁戚の家に預けられ丁稚奉公などして成長した。 |
| 明治中期になり、父の伝六が小規模ながら炭鉱経営を軌道に乗せるとようやく伝右衛門の生活も安定し始めた。 |
| 1888年(明治21年)、士族の娘ハルと最初の結婚をする。 |
| 1899年(明治32年)に父が病没すると炭鉱の経営を引き継ぎ、良質の鉱脈にも恵まれて事業を拡大していった。 |
| 政友会より衆議院議員に当選、1907年(明治41年)まで務める。 |
| また、第十七銀行(福岡銀行の前身の一つ)取締役も務めた。 |
| 炭鉱経営で巨万の富を築いた伝右衛門は社会への還元にも意を用い、1910年(明治43年)には嘉穂郡立技芸女学校(福岡県立嘉穂東高等学校の前身)の創設にあたり資金を寄付、1915年(大正4年)には社団法人伊藤育英会を設立するなどしている。 |
再婚と離婚劇
| 1910年(明治43年)に妻のハルが死去した後、伝右衛門のもとには再婚の話が多く持ち込まれてきた。 |
| 曲折を経て、翌1911年(明治44年)に伯爵・柳原前光の娘・燁子と再婚した。 |
| 新郎新婦とも再婚で、伝右衛門は数え52歳、燁子は数え27歳と親子ほども年の差の離れた結婚であった。 |
| この結婚には燁子の兄・義光の貴族院議員出馬資金調達と伝右衛門側の名門との結びつきを求める利害が一致しての政略結婚色が強いものであったが、伝右衛門は飯塚の本邸に加え、福岡市薬院と別府市山の手に「あかがね御殿」と称された豪奢な別邸を造営して新妻を迎え、歌集の出版資金を出したりもしている。 |
| だが、新婚当初から公家の令嬢として育ち歌人として既に世に出ていた文化人肌の燁子と叩き上げの実業家で川筋気質、女性関係の出入り激しい伝右衛門の夫婦仲は冷たいものであった。 |
| 伊藤家には伝右衛門の妾らも一緒に暮らしており、彼女らとの関係でも燁子は苦悩した。 |
| そして、燁子が雑誌「解放」の執筆者仲間で新聞記者の宮崎龍介(宮崎滔天の長男)と恋仲になり、1921年(大正10年)10月20日に上京中に宮崎と出奔して同年10月22日付大阪朝日新聞夕刊に「私は金力を以つて女性の人格的尊厳を無視する貴方に永久の訣別を告げます。 |
| 私は私の個性の自由と尊貴を護り且培ふ為めに貴方の許を離れます」とする公開絶縁状を突然発表するに至り、両者の関係は完全に破綻した。 |
| 京都の柳原邸に滞在中に公開絶縁状に接した伝右衛門は驚き、大阪毎日新聞に連載で反論を寄せたが途中で自らこれを止め、燁子と宮崎を姦通罪で訴える(同罪は親告罪であった)こともしなかった。 |
| 伊藤家の家人らが燁子に憤るのにも一喝し押し止めている。 |
| 1923年(大正12年)、伝右衛門が起こした燁子が産んだ男児(香織)の父親を確認する訴訟に伝右衛門の子ではないと判決が下り、両者の離婚が成立、燁子は宮崎と再々婚している。 |
| その後、伝右衛門は燁子と関わることはなかったが再々婚するまでの時期、定期的に仕送りがなされていたという。 |
晩年
| 伝右衛門はその後は生涯後妻を迎えることなく、炭鉱始め多くの企業の経営に奔走した。 |
| 太平洋戦争中には自費で戦闘機等を献上したり、あかがね御殿を海軍に無償提供したりしている。 |
| 戦後まもない1947年(昭和22年)12月15日、数え88歳の天寿を全うした。 |
エピソード
| 伝右衛門自身は生涯を通じて文盲であったと言われている。 |
| 坑夫言葉の「着炭」を目的地に着くことを指す言葉と解していたが故に、衆議院議員に初当選して東京へ着いた際にワレチャクタンス(我着炭す)と支持者に電報を送っていた。 |
遺跡
| 飯塚の本邸は「旧伊藤伝右衛門邸」として2006年(平成18年)1月26日に飯塚市有形文化財に指定された。 |
| 現在、飯塚市により有料で一般公開されている。 |
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1861年
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伊藤伝右衛門(いとう でんえもん、(万延元... |
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