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伊達宗興
江戸時代前期の人物。一関藩の初代藩主伊達宗勝(伊達兵部)の長男。母は立花種次の娘(立花宗茂の養女)。正室は姉小路公景の娘(酒井忠清の養女)。子は伊... |
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酒井忠清
江戸時代の譜代大名。江戸幕府老中、大老。上野厩橋藩第4代藩主。雅楽頭系酒井家宗家4代。第4代将軍徳川家綱の治世期に大老となる。三河以来の譜代名門酒井氏... |
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伊達綱宗
陸奥国仙台藩第3代藩主で、伊達氏第19代当主。父は第2代藩主・伊達忠宗(綱宗は忠宗の六男)。母は後西天皇の母・逢春門院の妹・貝姫。正室はなし。 |
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伊達綱村
陸奥仙台藩の第4代藩主で、伊達氏の第20代当主。3代藩主伊達綱宗の長男。母は三沢氏・初子。 |
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伊達忠宗
江戸時代前期の大名である。陸奥仙台藩の第2代藩主。伊達政宗の次男。母は田村清顕の娘・愛姫。兄は初代伊予宇和島藩主伊達秀宗。正室は徳川家康の娘・清雲院... |
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伊達宗重
江戸時代の武士。仙台藩一門第四席・涌谷伊達氏第2代当主。伊達騒動の主要人物の一人。伊達安芸の名で知られる。 |
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立花宗茂
安土桃山時代から江戸時代前期の武将、大名。大友氏の一族。陸奥棚倉藩主、筑後柳河藩の初代藩主。関ヶ原の戦いで改易後、大名として旧領に復帰した唯一の武... |
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伊達秀宗
江戸時代初期の大名。伊予宇和島藩の初代藩主。初代仙台藩主伊達政宗の長男。母は側室の飯坂の局。弟に2代仙台藩主伊達忠宗がいる。 |
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姉小路公景
姉小路公景(あねがこうじきんかげ、慶長7年9月12日(1602年10月26日)-慶安4年12月11日(1652年1月21日))は江戸前期の公卿。父は阿野実顕、母は吉田兼治の... |
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伊達千之助
江戸時代前期の人物。一関藩の初代藩主伊達宗勝世子伊達宗興の長男。母は姉小路公景の娘、酒井忠清の養女。兄弟に伊達千勝、伊達右近の二人が伝わる(ただし... |
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立花種次
親
江戸時代前期の大名。筑後三池藩の初代藩主。立花宗茂の弟・立花直次(高橋統増)の長男として、慶長9年(1604年)8月に生まれた。元和3年(1617年)、父が死... |
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高尾太夫
吉原の太夫の筆頭ともいえる遊女の名。高尾太夫は、吉原で最も有名な花魁で、その名にふさわしい遊女が現れると代々襲名された名前で、吉野太夫・夕霧太夫と... |
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陸奥宗光
先祖
幕末から明治時代の武士、政治家、外交官。カミソリ大臣と呼ばれ、外務大臣として不平等条約の改正(条約改正)に辣腕を振るった。江戸時代までの通称は陽之... |
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山本周五郎
日本の小説家。本名、清水三十六(しみずさとむ)。 |
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池田光政
江戸時代前期の大名。播磨姫路藩第3代藩主、因幡鳥取藩主、備前岡山藩初代藩主。岡山藩池田家宗家3代。 |
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立花忠茂
江戸時代前期の大名。筑後柳河藩の第2代藩主。初代藩主・立花宗茂の弟・立花直次の四男。正室は永井尚政の娘・長子、継室は徳川秀忠の養女(伊達忠宗の娘)・... |
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伊達右近
江戸時代前期の人物。一関藩の初代藩主伊達宗勝世子伊達宗興の三男。母は姉小路公景の娘、酒井忠清の養女。兄弟に伊達千之助、伊達千勝の二人が伝わる。1671... |
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伊達宗綱
伊達宗綱(だてむねつな)注:同姓同名者がいるため下記の数字で区分。鎌倉時代の武士。但馬伊達氏の一族。伊達朝綱の子。通称:修理亮三郎。鎌倉時代の武士... |
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プロフィール
伊達宗勝(だて むねかつ、1621年(元和7年)-1679年12月6日(延宝7年11月4日))は、江戸時代前期の大名。一関藩の初代藩主。仙台藩初代藩主・ 伊達政宗の十男(九男、十一男とも)で、第2代藩主・ 伊達忠宗の異母弟。母は和賀一族の多田吉広(毒沢伊賀)の娘・勝女姫。正室は竹田法印の娘。継室は 立花種次の娘( 立花宗茂の養女)。子は 伊達宗興(長男)など。幼名は千勝丸。官位は従五位下、兵部大輔であったことから、伊達兵部と呼ばれた。
経歴
| 異母兄・忠宗が存命中は特に目立った行動はなかったが、1658年(万治元年)に忠宗が死去して伊達綱宗が後を継ぐと、藩祖・政宗の息子であるという自負で、綱宗の庶兄田村宗良とともに藩政を見た。 |
| 嫡子・宗興の正室に酒井忠清の養女を迎えるなど幕府との繋がりも強く、1660年(万治3年)には3万石の分知を受けて大名となった。 |
| 同年、綱宗が幕命によって隠居を余儀なくされ、その後をわずか2歳の長男・伊達綱村が継ぐと、宗勝はその後見人となって、仙台藩を専横するようになった。 |
伊達騒動
| このような中での1671年(寛文11年)、伊達騒動(寛文事件)が起こり、仙台藩は改易の危機に立たされた。 |
| これは当時、第4代将軍・徳川家綱のもとで大老として権勢を誇っていた酒井忠清と宗勝が密約を結んで、仙台藩を事実上乗っ取るつもりだったとも言われているが、幕府の裁定によって藩主・綱村は若年であるということでお咎め無しのうえ、仙台藩は安泰とされた。 |
| しかし宗勝は騒動の首謀者として土佐国に流罪とされ、一関藩も改易となった。 |
| また、嫡男の伊達宗興は小倉に流罪、宗興の正室と子供たちは兵部がかつて分知実現のために奔走した縁故のある伊予吉田藩が願い出て預かった。 |
| 庶子である伊達虎之助、伊達兵蔵は連座しなかったようである。 |
| 配所では小高坂村に広大な新築の屋敷を賜り(警備は厳重であったものの)500人扶持を与えられて暮らし向きは悪くなく、1679年(延宝7年)、土佐で59歳の生涯を閉じた。 |
| 高知市内の五台山に墓所がある。 |
| 葬られた墓石も立派なものであった。 |
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