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西園寺公望
日本の公家、政治家、元老。位階・勲等・爵位は贈従一位大勲位公爵。雅号は陶庵、不読、竹軒。 |
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住友友成
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< 吉岡銅山 寄り道 広兼低 吹屋の町 > 2011年07月23日 19:37 カテゴリ 吹屋の町 銅と弁柄の里 お次、吹屋の町を見学ー 弁柄のまちとのこと、ついて早々、... |
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プロフィール
- 住友吉左衛門とは
- 3代目 友信
- 4代目 友芳
- 5代目 友厚
- 6代目 友紀
- 7代目 友輔
- 8代目 友端
- 9代目 友聞
- 10代目 友視
- 11代目 友訓
- 12代目 友親
- 13代目 友忠
- 14代目 登久
- 15代目 友純
- 16代目 友成
- 17代目 芳夫
- 関連項目
- 参考書籍/サイト
- 関連サイト
住友吉左衛門(すみともきちざえもん)は、住友財閥の創業家・住友家が3代目から代々、襲名した名前。
3代目 友信
| 住友友信(すみともとものぶ、正保4年(1647年)-宝永3年8月17日(1706年9月23日))は住友家3代当主で、住友二代目友以の五男。 |
| 友信の代から住友家の当主は代々、吉左衛門を襲名するようになった。 |
| 友信は、岡山県の吉岡銅山や秋田県の阿仁銅山などの経営に乗り出し幕府御用の銅山師となって日本一の銅鉱業者へと発展させる。 |
| 一方で友以の末子の友貞は前述の両替商を大坂と江戸で開始している。 |
| これが寛文2年(1662年)のころで住友家は江戸時代前期において鉱業と金融業を握るコンツェルンを確立し、慶応初期には住友は、日本の四大資産家の1つにあげられることになる。 |
4代目 友芳
| 住友友芳(すみともともよし、寛文10年(1670年)-享保4年12月26日(1720年2月4日))は住友家4代当主で友信の子。 |
| 住友財閥の大躍進の基となったのは、友芳が元禄4年(1691年)に開発した愛媛県の別子銅山によってである。 |
| この別子銅山は昭和48年に閉山されるまで、282年間にわたり銅を産出し続け、住友のドル箱となった。 |
| その功績を称えた住友家では、この友芳を「中興の祖」としている。 |
11代目 友訓
| 住友友訓(すみとも?、弘化2年(1845年)-元治元年(1864年))は住友家11代当主。 |
12代目 友親
| 住友友親(すみともともちか、天保14年(1843年)-明治23年(1890年))は住友家12代当主。 |
| 11代友訓の弟。 |
13代目 友忠
| 住友友忠(すみともともただ、?-明治23年(1890年))は住友家13代当主。 |
14代目 登久
| 住友登久(すみともとく)は住友家14代当主。 |
| 友親の妻、友忠の母。 |
| 13代友忠が夭折したため、一時的に住友家の家督を継いだ。 |
15代目 友純
| 住友友純(すみともともいと、元治元年12月21日(1865年1月18日)-大正15年(1926年)3月2日)は住友家15代当主。 |
| 徳大寺公純の子で、兄に徳大寺実則や西園寺公望、弟に末弘威麿らがいた。 |
| 初名は隆麿。 |
| 友純は、野村徳七、小林一三とならぶ大茶人であり、益田孝、団琢磨、原富太郎、根津嘉一郎に匹敵する風流人であった。 |
| 1895年に住友銀行を創設。 |
| 住友家茶臼山本邸(慶沢園)を大阪市に寄付し大阪市立美術館となる。 |
| また大阪府立中之島図書館の建物と図書基金を寄付したほか、京都法政学校(現在の立命館大学)にも財政的援助を行った。 |
16代目 友成
| 住友友成(すみともともなり、明治42年(1909年)2月20日-平成5年(1993年)6月14日)は住友家16代当主。 |
| アララギ派の歌人でもあり、斎藤茂吉、川田順(住友本社の重役でもあった)とも交流があった。 |
| 友成の歌人としての雅号は「泉幸吉」である。 |
17代目 芳夫
| 住友芳夫(すみともよしお、昭和18年(1943年)9月3日-)は住友家17代当主。 |
| 友成の甥(弟・住友元夫の長男)にあたる。 |
関連項目
| 泉屋博古館(理事住友吉左衞門)。 |
| 住友財団(理事長住友吉左衞門)。 |
参考書籍/サイト
| 1691(元禄4)年、和泉屋(後の住友)は、別子銅山の歓喜坑で採鉱を開始している。 |
| 1714(正徳4)年、大阪の和泉屋吉左衛門が、今出銅山の開発許可を宇和島藩から得ている。 |
| 丸山国夫先生の研究により「今出銅山の変遷」が昭和59年10月に、「今出銅山の発祥・片河(かたこ)銅山」が平成6年にまとめられている。 |
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1691年
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開発した愛媛県の別子銅山によってである |
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1865年
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住友 友純(すみとも ともいと、元治元年12月... |
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