| 明治大学では児童文学研究部に所属し、鳥越信、古田足日らの児童文学研究誌「小さい仲間」の同人となる。 |
| その頃に書いた「児童文学における近代性への疑問--児童文学者の戦争責任」「現代児童文学論集」第2巻『現代児童文学の出発 1955-1964』(日本図書センター、2007年)にこの論考と「痛い、痛い、痛いばらのとげ‐小川未明「野ばら」について‐」が掲載されている。 |
| (『小さい仲間』26号)「新美南吉『おじいさんのランプ』論」(『日本児童文学』通巻45号)などで注目をあびた。 |
| 1955年、大学二年の際に「砂川闘争」に参加する。 |
| 大学四年の時から教育映画作家協会(現:日本記録映画作家協会)の機関誌「記録映画」の編集者をつとめ、大島渚、松本俊夫らと知り合う。 |
| 1958年に大学を卒業するが就職はせず。 |
| 米軍統治下の沖縄に行き、人形劇を上演する。 |
| 1960年にTBSラジオのコント番組のライターとなる。 |
| 1961年に小さい仲間で知り合った佐野美津男との合作『少年ロケット部隊』でラジオドラマにデビュー。 |
| 1963年のラジオドラマ『戦国忍法帖』を担当。 |
| 1962年、佐野や阿部進らと「現代こども研究会」(のち、「こどもセンター」)を創立。 |
| 1963年には、テレビドラマ『現代っ子』の脚本を執筆して、テレビデビュー。 |
| 脚本術を、石堂淑朗、田村孟らに学ぶ。 |
| 1964年には、松竹を退社し大島が結成していた、独立系映画製作プロダクション「創造社」に参加。 |
| 『絞死刑』など、大島監督映画の脚本を手がけるようになる。 |
| 同時期には大島の紹介で、当時TBSのディレクターだった実相寺昭雄と知り合う。 |
| 佐々木と実相寺は意気投合し、特撮テレビドラマ『ウルトラマン』をはじめとして、『怪奇大作戦』、『シルバー仮面』などコンビでの仕事を多く行なった。 |
| また、ABCではプロデューサー・山内久司とのコンビで"脱ドラマ"を標榜した『月火水木金金金』『お荷物小荷物』を世に送るなど、テレビの世界にも活躍の場を広げたが、児童文学を知っていることもあり子供向けドラマを中心に脚本を執筆。 |
| 日本古代史や少数民族に着目した作品が多い。 |
| 漫画の原作でも水島新司の作画による『男どアホウ甲子園』などのヒット作を遺した。 |
| 一方、鈴木清順の日活解雇反対運動に参加する中で、やはりこの運動に加わっていた映画評論家の松田政男、映画監督の足立正生と1968年に映画『略称・連続射殺魔』を制作。 |
| 1970年には、この3人にジャズ評論家の平岡正明、相倉久人を加えて「批評戦線」を結成し、雑誌『第二次・映画批評』を創刊した。 |
| 日米安保条約成立後の1960年に日本共産党に入党、数ヶ月で離党した経験から、政治思想的には左翼のスタンスであり、後年のインタビューなどでも「今でも機動隊のバスを見かけると怒りがこみ上げて体が熱くなってくるんですよ」「なぜ今の若者は国に怒りを持たないのだろう」等と述懐しているほか、「今の日本の諸悪の根元は天皇制にあります」などと反天皇制思想を明確に表明していた。 |
| 実際佐々木の代表作『お荷物小荷物』、『アイアンキング』には佐々木の反天皇制思想が垣間見える(前者は琉球王国やアイヌ民族による逆襲、後者は熊襲の子孫による逆襲)。 |
| 1960年代後半においてはいわゆる「新左翼」に近い立場をとり、アイヌ民族解放や琉球独立運動にも支持を寄せていた。 |
| また、日本赤軍の最高幹部重信房子の著書『わが愛わが革命』のゴーストライターをつとめている平岡正明『若松プロ、夜の三銃士』愛育社P.59。 |
| 脚本においては、ごく初期に『ウルトラマン』の劇場用オリジナル長編を天皇制の悪性を主張した内容で描くなど(製作中止)、自己の思想を絡めたものを執筆したものの、それ以降はこれらの思想をドラマ設定の背景に使用することはあっても、劇作家という作品における管理者的立場を利用して自分の思想を振りかざすことはなかった。 |
| この点について佐々木は、岩佐陽一のインタビュー(『映画秘宝5号夕焼けTV番長』1996年7月)に答えて「テレビじゃ反体制の側を主人公にはできないよ。 |
| そんな企画書いても通らないし」と述べるとともに、そのような立場の人々に対する個人的な共感を込めた、と語っている。 |
| 熱心なミステリーファンでもあり、推理ものの脚本も多い。 |
| 特に横溝正史作品の造詣が深く、2時間ドラマなどでは横溝作品を独自の視点でアレンジした脚本を多数執筆している。 |
| 2006年2月24日に内臓疾患で死去。 |
| 亡くなる直前まで『シルバー仮面』のリメイクの脚本を企画していた。 |