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つながりの強いひと
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江夏豊
兵庫県尼崎市出身(奈良県生まれ)の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。 |
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外木場義郎
鹿児島県出水市出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。2リーグ制以降のプロ野球で、3回のノーヒットノーラン(うち完全試合1試合)を達成した唯一の投手であ... |
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島本講平
和歌山県海草郡下津町(現:海南市)出身の元プロ野球選手(外野手)・野球解説者。娘は、テレビ朝日アナウンサーの島本真衣。 |
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古葉竹識
熊本県熊本市出身のプロ野球選手・監督。旧名は「古葉毅」(読みは同じ、1964年に改名)。最終学歴は専修大学。広島東洋カープを球団史上初のリーグ優勝に導... |
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池谷公二郎
日本のプロ野球選手(投手)、野球指導者、野球解説者。 |
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金城基泰
大阪府出身の元プロ野球選手(投手)。在日朝鮮人として生まれ、後に日本人へ帰化した。日本プロ野球(NPB)と韓国プロ野球(KBO)の双方で活動。帰化前の本... |
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高橋一三
広島県府中市出身の元プロ野球選手(投手)。からは、山梨学院大学硬式野球部監督。 |
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山本浩二
73年から3年間マドリードの美術研究所とプラド美術館に学び帰国。82年招かれて渡英。ロンドンに滞在して制作。イギリス文化庁主催の12人展がイギリス全土を巡... |
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湯口敏彦
読売ジャイアンツに所属していた左腕投手(背番号19)。岐阜県郡上郡白鳥町(現在の岐阜県郡上市)出身。 |
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安仁屋宗八
元プロ野球選手(投手)。現役時代は広島東洋カープ、阪神タイガースで活躍した。 |
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高橋里志
福井県敦賀市出身の元プロ野球選手(投手)。 |
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北別府学
鹿児島県曽於郡末吉町(現曽於市)出身の元プロ野球選手(投手)。 |
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長冨浩志
千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(投手)。 |
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衣笠祥雄
京都府京都市東山区出身の元プロ野球選手(内野手)。京都市立洛東中学校、平安高等学校出身。現在は野球解説者。愛称は「鉄人」。 |
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角川博
日本の演歌歌手、タレント。広島県広島市船越町(現・安芸区船越)出身。ドロップオブスター、キングレコード所属。私立広陵高等学校卒。 |
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杉田久雄
静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 |
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山崎隆造
広島県広島市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。愛称は「リュー」。現在は広島東洋カープ二軍監督で登録名は「山崎立翔」(読み同じ)。 |
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内田順三
元プロ野球選手(外野手)、野球指導者。静岡県三島市生まれ、清水市(現静岡市清水区)出身。現在は広島東洋カープ2軍打撃チーフコーチ。 |
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大野豊
島根県出雲市出身の元プロ野球選手(投手)。からまで広島東洋カープに投手として22年間在籍した。1998年に現役引退後は野球解説者・野球評論家を経て、2010... |
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プロフィール
- 佐伯和司とは
- プロ入り前
- プロ入り後
- 引退後
- 年度別投手成績
- 記録
- 背番号
- 関連項目
- 関連サイト
佐伯和司(さえきかずし、1952年6月5日-)は、広島県広島市出身の元プロ野球選手(投手)。1975年の広島東洋カープ 初優勝時の主力投手として知られる。
プロ入り前
| 山口県玖珂郡美和町(現:岩国市)生まれ。 |
| のちに広島で大手タクシー会社の代表取締役を務めた事業家の父と家族で、小学校時に広島市国泰寺町(現中区国泰寺町)に移る。 |
| 広島市立国泰寺中学校を経て、1968年、名門広陵高校に入学1年時の監督は三原新二郎。 |
| また島田洋七(野球部には在籍せず)は3学年上、同期に三迫正廣ら、巨人・山下哲治スカウト部長、角川博(軟式)は1学年下。 |
| 前年度夏選手権に名投手・宇根洋介を擁して準優勝した広陵は、佐伯入学前の春選抜に再びエース宇根の活躍でベスト8、東尾修がエースで四番だった箕島に敗れた(3-7)、夏も準々決勝で敗退(3-6倉敷工業)。 |
| 宇根が抜けた1年秋から佐伯がエースとなり翌1969年夏選手権出場。 |
| 1回戦で春夏連覇を狙った三重高校を打ち合いで降したものの八重樫幸雄が四番を打っていた仙台商業に2回戦で敗れた(1-4)。 |
| 徐々に球威が増し150キロ近い剛速球と、切れのいいカーブ・シュートを武器に三振の山を築く。 |
| 投げれば完封、大半が二桁奪三振。 |
| 「一桁だと気分が悪かった」と豪語するビッグマウス。 |
| 重い剛球で高校3年間の公式戦で浴びた本塁打はわずか2本だった。 |
| 相手チームに「バントするのも恐い」と言わせ、箕島の島本講平(1970年南海ドラフト1位)、岐阜短大付の湯口敏彦(同年巨人1位)と共に高校三羽烏と騒がれた。 |
| 1970年、春選抜では2試合連続完封して準決勝で島本の箕島と当たった。 |
| 箕島のしつこい攻撃と味方の失策絡みで敗れた(0-3)。 |
| 箕島は優勝し、かわいいマスクの島本は前年の太田幸司に続いて甲子園のアイドルとなったが、向こうっ気が強かった佐伯は、試合後のインタビューで「今日の審判は(ストライク・ボールの判定が)辛い」とプロの投手のような発言をしてしまい、世間の反感を買った。 |
| 夏は地区大会準決勝・対広島工業戦で18奪三振を記録したが広島商業に決勝で敗れた。 |
| これは鶴岡一人がキャピー原田を通じて佐伯をアメリカに留学させた上で、アメリカのプロ野球でプレーさせようとしたものだったが、当時の鈴木龍二セ・リーグ会長の反対でこれは実現せずキャピー原田著『太平洋のかけ橋戦後・野球復活の裏面史』ベースボール・マガジン社、1980年、p149、150、同年ドラフト1位で地元広島入団(金城基泰らが同期)、地元出身のスター選手として大いに騒がれた。 |
プロ入り後
| 「走るのは大きらい」と公言するなど相変わらずのところを見せたが、よく走り込みルーキー年は4勝、2年目は6勝し3年目の1973年、フォークボールをマスターし大ブレーク、19勝を上げ防御率2.30のリーグ5位、一躍エースにのし上った。 |
| しかしこの年の酷使が祟ったか肩を痛め、翌1974年は2勝に留まった。 |
| 翌1975年、嘘のように肩の痛みが取れ、新しくマスターしたスライダーを武器に、球団創設25年目にして初優勝に驀進するチームの一翼を担い、外木場義郎20勝、池谷公二郎18勝に次ぐ15勝を上げ面目を保った。 |
| なお最近では同じく広島に在籍経験のある黒田博樹が「打撃の下手な投手」として知られているが、佐伯も1973年から1975年にかけて71打席連続無安打のセ・リーグ記録を打ち立てた。 |
| 1990年、阪神の猪俣隆が更新するまでセ・リーグ記録だった。 |
| 1977年新美敏・皆川康夫・鵜飼克雄・内田順三との交換トレードで宮本幸信・久保俊巳と共に日本ハムファイターズへ移籍(この時広島ファンは地元出身の選手を放出したことに激怒し抗議集会を開いたというエピソードがある)。 |
| 1978年には開幕投手を務め、翌1979年と2年連続二桁勝利を挙げ、1978年の日本ハムファイターズ創設初のAクラス入り(3位)に貢献した。 |
| この年、オールスターゲームのファン投票で、日本ハム選手が組織票により8つのポジションを独占、物議を醸した。 |
| 投手1位は高橋直樹だったが、佐伯も監督推薦で選ばれた。 |
| 1981年高橋里志との交換トレードで広島に復帰するが勝ち星を挙げることなく、1982年に事実上の引退。 |
引退後
| 広島で現役登録のまま打撃投手を1986年まで務めたのち、1987年から同球団のスカウト。 |
| その後二軍投手コーチなどを務め、再び広島スカウトを務めた後2004年退職。 |
| 2007年4月、岡山県に開学した環太平洋大学硬式野球部コーチ。 |
| 2009年から四国・九州アイランドリーグ・高知ファイティングドッグスのコーチを2シーズン務めた。 |
| 2010年9月27日、「体調不良」を理由に9月30日付での辞任が発表された。 |
記録
| オールスターゲーム出場:3回(1973年、1976年、1978年)。 |
背番号
| 21(1971年-1976年、1981年-1982年)。 |
| 32(1977年-1978年)。 |
| 20(1979年-1980年)。 |
| 66(1983年-1986年)。 |
| 80(2000年-2001年)。 |
関連項目
| 山口県出身の人物一覧。 |
| 北海道日本ハムファイターズの選手一覧。 |
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1952年
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佐伯 和司(さえき かずし)は、広島県広島市... |
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1968年
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名門広陵高校に入学 |
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投票数
0
| ふりがな |
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| 生年月日 |
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佐伯和司さんについてのひとこと紹介
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