| 弥生時代を中心とした考古学研究に携わり、日本人の起源から衣食住にまでわたるその研究範囲は非常に幅広い。 |
| 分かりやすく考古学の成果をやさしく示すことを志している。 |
| 考古学という学問についてわかりやすくやさしくすることが特にいま、とても大切なことだと思う。 |
| 佐原真「考古学をやさしくしよう」/金関恕・春成秀爾編『佐原真の仕事6 考古学と現代』岩波書店2005年、248~274ページ。 |
| 佐原は、戸沢充則「市民の言葉で考古学」を後で知る。 |
| 面白い考古学考古学をやさしく、楽しく、という主張は、一般市民100人のうち考古学・歴史に関心を寄せる一人だけに通じる言葉で語るのではなく、のこる99人にとっても、分かりやすく、楽しくしよう、という主張である。 |
| 佐原真「考古学を楽しくしよう」/金関恕・春成秀爾編『佐原真の仕事6 考古学と現代』岩波書店2005年、278ページを提唱し、考古学の普及啓発を積極的に推し進め、特に博物館の充実・設立に取り組んだ。 |
| また、吉野ヶ里遺跡の保存など考古遺跡の保存運動や史跡の整備遺跡を掘った後は、雨や霜で遺跡が壊れてしまうのを防ぐために埋め戻される。 |
| そこで、穴の中に砂を入れるなど遺跡が傷つかないように手当をして埋め戻す。 |
| その上に遺跡に充分配慮した上で復元建物を建てたり、盛り土で遺跡範囲を示したり、柱の位置を植樹で示したり、色々な工夫で遺跡訪問者に分かるようにする。 |
| このことを整備という。 |
| 史跡整備を史跡のリハビリとよぶ専門家もいる。 |
| さらに、考古学をやさしく、楽しくする運動の中で一番遅れているのが府県市町村史であり、「市民の言葉で考古学」という立場で書かれているのでなく「研究者の、研究者による、研究のための出版物」になってしまっているという。 |
| (佐原真「考古学を楽しくしよう」/金関恕・春成秀爾編『佐原真の仕事6 考古学と現代』岩波書店2005年)290-291ページにも尽力するなど、自身の研究にとどまらない広範な活動を進めていった。 |
| こうした佐原の研究・活動は、日本考古学を新たな段階へ導いたと評価されている。 |
| 佐原は「ものを細かく観察する方法は山内さんに育てられ、学問の組み立て方は小林さんに教わった」と述懐している。 |
| 金関恕・春成秀爾編『佐原真の仕事2 道具の考古学』の上原真人の解説。 |
| 佐原は、考古学資料を美術史の立場から評価している。 |
| たとえば、銅鐸の形態と絵画を分析し、人・動物・建物・船などを一つの対象を複数の視点から見る描く「多視点画」が多く、「一視点画」は少ないことなどに認識している。 |
| 佐原真「多角視点画から一視点画へ-弥生画と子供の絵-、金関恕・春成秀爾編『佐原真の仕事3 美術の考古学』所収 岩波書店 2005年。 |
| 江上波夫ととは騎馬民族論争を展開した事で話題となった。 |
| 対談を収録した記録は小学館より、『騎馬民族は来た!?来ない!?--江上波夫VS佐原真』として刊行されている。 |
| また、戦争の起源にも強い関心を持ち、戦争という現代的課題と考古学を結びつけ「人間が始めた戦争は人間が終わらせることができる」との信念を持ち続けた。 |
| 佐原が考古学を現代社会で役立つ学問したいと考えるようになったのは40歳の頃からである。 |
| 「考古学と現代」というテーマでは、『考古学千夜一夜』(小学館、1993年)、田中琢と共著『考古学の散歩道』(岩波書店、1993年)、『考古学つれづれ草』(小学館、2002年)春成秀爾「編集付記」(佐原真『佐原真の仕事6 考古学と現代』岩波書店2005年)が代表作である311-314ページ。 |
| 佐原が最後の最後まで上梓の熱意を持って取り組んでいたのが『魏志倭人伝の考古学』(岩波現代文庫)であった。 |
| 春成秀爾「後記」、佐原真『魏志倭人伝の考古学』所収 2003年の。 |
| 藤村新一によって捏造された一連の「前期旧石器」については、疑問を投げかけた小田静夫を名指しで批判し、反対意見を封じ込めた。 |
| 1950年(昭和25年)処女論文「茨城県花輪代式土偶の新資料」(『貝塚』第28号)を発表する。 |