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つながりの強いひと
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大鵬幸喜
元大相撲力士。第48代横綱である。身長187cm。血液型はB型。樺太敷香郡敷香町出身で、北海道川上郡弟子屈町川湯温泉で育った。 |
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出羽海
出羽海(でわのうみ)は日本相撲協会の年寄名跡のひとつである。初代から5代までは出羽ノ海であったが、角聖と呼ばれた5代・出羽ノ海(元第19代横綱・常陸山... |
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玉の海正洋
大相撲の第51代横綱。愛知県宝飯郡蒲郡町(現在の蒲郡市)出身。身長177cm、体重130kg。 |
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北の富士勝昭
北海道旭川市(出生地は網走郡美幌町)出身の元大相撲力士で第52代横綱。現役当時は「現代っ子横綱」と呼ばれた。本名は竹澤勝昭(たけざわかつあき)。九重... |
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柏戸剛
大相撲の力士で、第47代横綱。山形県東田川郡山添村(のちの櫛引町、現鶴岡市)出身。鶴岡市名誉市民。現役時代の体格は188cm、144kg。妻は小結櫻錦の娘。 |
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若乃花幹士
大相撲の力士、第45代横綱。所属は入門当時は二所ノ関部屋、1953年に花籠部屋の独立とともに移籍。青森県弘前市青女子(あおなご)出身。身長179cm、体重107k... |
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千代の富士貢
大相撲元力士で、第58代横綱。北海道松前郡福島町出身。身長183cm、体重127kg。現在は年寄・九重。現役時代の異名・愛称はウルフ、大将。血液型はA型。岳父は... |
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北の湖敏満
北海道有珠郡壮瞥町出身で三保ヶ関部屋所属の元大相撲力士、第55代横綱。引退後は、一代年寄北の湖となる。現在日本相撲協会理事。第9代日本相撲協会理事長(2... |
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市川晋
主催者について 後援について 協賛について 今年度ご紹介いただいたメディア
2006年受賞作品 2005年受賞作品
20... |
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オノ・ヨーコ
オノ・ヨーコ(YokoOno、本名:ヨーコ・オノ・レノンYokoOnoLennon、日本名:小野洋子、1933年2月18日-)は日本生まれのアメリカの芸術家、音楽家。ビートル... |
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輪島大士
石川県七尾市出身で花籠部屋所属の元大相撲力士、第54代横綱、全日本プロレス所属の元プロレスラー、元タレント。本名は輪島博(わじまひろし)。血液型はA型... |
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栃ノ海晃嘉
青森県南津軽郡光田寺村(現在の田舎館村)出身で春日野部屋所属の元大相撲力士、第49代横綱。身長177cm、体重110kg。本名は花田茂廣(はなだしげひろ)。花... |
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中村敦夫
日本の俳優、作家、脚本家、政治家。勲等は旭日中綬章。株式会社中村企画社長。本名は中村敦雄(なかむらあつお)。旧姓は遠藤(えんどう)。参議院議員(1期... |
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貴乃花光司
元大相撲力士であり、第65代横綱である。相撲部屋は、入門時には藤島部屋、後に二子山部屋所属。現在は、一代年寄・貴乃花として、貴乃花部屋(無所属、元は... |
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栃錦清隆
東京府南葛飾郡(現在の東京都江戸川区)出身の大相撲の第44代横綱。本名、大塚清(おおつかきよし)(のちに栃木山の養子になり、中田姓)。身長178cm、体重... |
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朝青龍明徳
モンゴル国ウランバートル市出身の元大相撲力士、第68代横綱。現在は実業家、タレントとしてマルチに活躍している。本名はドルゴルスレンギーン・ダグワドル... |
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朝潮太郎
高知県安芸郡(現在の高知県室戸市)出身で高砂部屋所属の元大相撲力士。最高位は大関。現在は年寄・7代高砂浦五郎。本名は長岡末弘(ながおかすえひろ)、現... |
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白鵬翔
モンゴル国ウランバートル市出身で宮城野部屋所属の現役大相撲力士、第69代横綱。本名はムンフバティーン・ダワージャルガル(モンゴル語キリル文字表記:、... |
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日昭
鎌倉時代中期から後期にかけての日蓮宗の僧。俗姓は印東氏。日昭門流・浜門流の祖。日蓮六老僧の一人。字は大成弁。弁阿闍梨とも称される。下総国の出身。生... |
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隆の里俊英
青森県南津軽郡浪岡町(現在の青森市)出身で二子山部屋所属の元大相撲力士、第59代横綱。本名は高谷俊英(たかやとしひで)、現役時代は身長183cm、体重159k... |
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プロフィール
- 佐田の山晋松とは
- 現役力士時代
- 年寄時代
- 通算成績
- 各段優勝
- 三賞・金星
- 改名歴
- 年寄変遷
佐田の山晋松(さだのやましんまつ、2月18日-)は、大相撲の第50代横綱。のち日本相撲協会理事長。本名、市川(旧姓佐々田)晋松。長崎県南松浦郡有川町(現新上五島町)出身。身長182cm、体重129kg。一時期佐田乃山、佐田ノ山を名乗っていた。得意手は突っ張り、右四つ、寄り、上手投げ。
現役力士時代
| 幼い頃地元・五島列島の英雄となっていた元大関五ツ嶋の話を聞いて大相撲に憧れ、千代の山・栃錦らが五島に巡業に来た折りに五ツ嶋が所属した出羽海部屋に入門、1956年(昭和31年)1月場所初土俵。 |
| 1960年(昭和35年)3月場所で新十両、1961年(昭和36年)1月場所新入幕した。 |
| 同年5月場所では西前頭13枚目の位置で12勝3敗を挙げて初優勝を果たすが、成績もさることながら対戦した役力士は小結冨士錦のみ、しかも十両優勝の清ノ森と対戦して負けているのでこの場所の最高優勝は十両ではないのかとまで言われてしまった。 |
| これが後に平幕下位の好成績力士を横綱や大関と対戦させるきっかけとなる(ただし佐田の山以降も富士錦と若浪の2名が横綱大関戦無しの平幕優勝を決めている)。 |
| 1962年(昭和37年)3月場所関脇で13勝2敗、横綱大鵬との優勝決定戦に勝って2度目の優勝、場所後大関に昇進した。 |
| 部屋の大先輩だった出羽錦は佐田の山を熱心に指導し「晋松が綱を取ったら儂が太刀を持つからそれまでは引退しない」と言って横綱昇進を心待ちにしていたがこれには間に合わず、1964年(昭和39年)9月場所に出羽錦は引退してしまった。 |
| 長い腕を生かした激しい上突っ張りは出羽錦の指導によるとされる。 |
| 同年9月場所から3場所連続13勝2敗、1965年(昭和40年)1月場所には3度目の優勝で横綱に推挙される。 |
| 長年にわたり平幕優勝した力士は横綱や大関にはなれないと言われてきたが、佐田の山によってこれは破られた(後に平幕優勝した力士では、琴光喜が大関、貴乃花が横綱に昇進、また魁傑は大関陥落後に平幕優勝したのをきっかけに返り咲いた)。 |
| そして出羽錦引退相撲で土俵入りを披露し恩に報いた。 |
| 昇進後、2場所目の同年5月場所で4度目の優勝を果たしてから2年以上優勝を果たせなかったが、1967年(昭和42年)11月場所に5度目の優勝、翌1968年(昭和43年)1月場所も優勝して連覇を果たした。 |
| ところが続く3月場所に序盤で3敗を喫するとあっさり引退してしまった。 |
| 30歳になったばかりでもあり、悲願の連覇を達成した直後なので周囲は驚き、前頭4枚目髙見山に金星を献上したことが悔しかったのではないかという憶測まで流れたが、本人は前年3月場所にかつて弟弟子だった大関北の冨士に敗れ初優勝を許した時点で引退を考えていたそうである。 |
| 出羽海一門の横綱、大関に見られる引き際の潔さという伝統を受け継いだとも言われた。 |
| 同年6月に行われた引退相撲では、直近の5月場所に柏戸と大鵬の両横綱が休場したこともあり、同部屋の福の花を露払いに、海乃山を太刀持ちに従えて引退土俵入りを執り行った。 |
| 引退土俵入りにおいては現役の横綱が露払い・太刀持ちを務めるのが通例(最近では大関以下の現役力士が務める例も増えてきた)であり、当時としては異例の組合せであった。 |
| 優勝6回は横綱としても悪くない数字だが(柏戸より多い)、大鵬との合口が悪く、通算5勝27敗(うち不戦勝と不戦敗が1回ずつ、他に決定戦1勝1敗)に終わった。 |
| 右でも左でもがっぷりになると勝負にならず、長びくと勝機はなかった。 |
| 活路は得意の突っ張りで先手を取って大鵬に上手を許す前の決着といわれたが、それをさせない強さ、巧さが大鵬にはあり、正攻法の佐田の山に攻め手がなかった。 |
| 毎場所同じような相撲で敗退を繰り返し、大鵬とは勝てば優勝という場面での対戦が最も多い力士(大鵬に勝っていれば優勝あるいは優勝決定戦となっていたケースが8度ある)であることから、もう少し勝っていれば優勝回数を2桁にすることも可能だったといわれている。 |
| それでも大鵬より格下に見られることは嫌っており、1965年11月場所に大鵬に勝った際にはある記者に「おめでとうございます」と言われると「ワシは横綱だぞ」と一蹴した。 |
| 全勝優勝はなかった。 |
| 素質の面でさほど優れているわけではなかったが、猛稽古と激しい闘志、一門を背負って立つという責任感で横綱に登りつめたとも評価される。 |
| 本人も引退後のインタビューで「自分の相撲は闘魂がなくなったらどうにもならない」と語っていた(NHKビデオ「大相撲大全集・昭和の名力士」)。 |
| 1967年には映画007シリーズ第5作『007は二度死ぬ』に本人役で出演した。 |
年寄時代
| 大関時代に当時の出羽海親方である出羽ノ花の娘と結婚して市川家の婿養子となっており、横綱時代には既に部屋の土地建物も市川晋松(佐田の山)名義となっていた。 |
| このため彼が出羽海部屋後継者であることは誰の目にも明白だったが、佐田の山が引退すると出羽海親方は即座に彼に部屋を継承させ武蔵川の名跡に戻ってしまった。 |
| この時「引退して少しは楽になると思ったらますます大変なことになった、もう少し現役でいればよかった」と言っていたようである。 |
| 出羽海一門には常陸山が一門を創設して以来となる「不許分家独立」の不文律があり、大坂相撲から一門に加入後消滅した部屋の再興以外独立がなかった武隈(元両國勇治郎)と九重(元千代の山)は破門されたので数えない。 |
| が、かわいがってきた弟弟子の三重ノ海が独立の意思を持っていると知るとこれを許可した。 |
| 1919年(大正8年)の栃木山(引退後春日野部屋を創設)以来となる円満独立だった。 |
| それ以降不文律は事実上消滅したのか、特に1980年代以降出羽海一門でも分家独立が相次いだ。 |
| 2011年8月現在では、最も部屋数の多い一門が出羽海一門となっている(貴乃花派を二所ノ関一門から除いた場合)。 |
| 師匠としては先代から引き継いだ三重ノ海を横綱に育てたほか、子飼いの弟子からも出羽の花、大錦、佐田の海、舞の海ら上位力士を多く育てた。 |
| 舞の海に「立合いに頭で当たらなくていい、技は何をやってもいい」と角界では異例の指導をして「技のデパート」を開花させたのは有名である。 |
| 引退後は日本相撲協会の監事(1972年から1期)・1974年から理事を務め、二子山理事長が停年を迎えた1992年(平成4年)から理事長を3期6年務めた。 |
| この間の1996年に元関脇・鷲羽山と名跡を交換し「出羽海智敬」から「境川尚」となった。 |
| 理事長の6年間で、「巡業の勧進元興行から協会自主興行への変更」、「外国人力士の入門規制」、「新規入門の年齢制限」、「幕下付出の基準設定」、「年寄株の複数所有,貸借禁止」、「大関経験者の時限付年寄襲名許可と準年寄制度の創設」の施策を実施した。 |
| しかし、年寄空き株の協会管理を打ち出すと、反対する理事が続出して混乱し、責任を取る形で4期目以降の理事長続行を断念した。 |
| 当初マスコミは反主流派を守旧派と呼んで批判していたが実際には当時の年寄株の取得相場が数億円単位で推移していたという経済的事情や、名跡変更で後継者を指名し自らは茶屋利権を握る先代の婿養子で停年後も悠悠自適(市川家は相撲茶屋中最大の「四ツ万」のオーナーである)という立場にありながらも借株禁止、空き株の協会保有という厳格な方針を打ち出した事に対する佐田の山個人の立場に対する批判も噴出していた。 |
| この騒動が原因からか、還暦土俵入りを辞退している。 |
| これらの施策の中で現在もそのまま生き残っているのは、「大関経験者の時限付年寄襲名許可」(準年寄制度は猶予期間を経て廃止)と「新規入門の年齢制限」くらいであり、「幕下付出の基準設定」のように次代の時津風理事長の時さらに基準が強化されたものや「巡業の勧進元興行から協会自主興行への変更」、「年寄株の貸借禁止」のように北の湖理事長によって旧に復されたものもある。 |
| 理事長時代にはテレビのインタビューであるのにも関わらず公然と一人称を「オレ。 |
| 」と称し答えた事もある等組織の長として疑問を持たれるような言動も示した。 |
| 理事長続行断念後も理事職には留まり、1998年(平成10年)から教習所長、2000年(平成12年)からは審判部長に返り咲いたが理事長経験者の現場復帰は異例であった。 |
| 2002年(平成14年)からは相談役に就任した。 |
| 2003年(平成15年)1月場所後に直弟子の元小結・両国と名跡交換して年寄・中立を襲名し、同年2月17日を最後に停年(定年)退職した。 |
| 審判部長時代には昇進基準を満たしていた琴光喜の大関昇進を見送り話題になったが、一部では理事長選挙の二所ノ関一門に対する報復かと囁かれた。 |
| 現在はスポーツ報知専属の相撲評論家、年間最優秀力士賞選考委員を務める。 |
| 日本会議で代表委員を務める。 |
| 趣味は刀剣収集、血液型はA型。 |
| 故郷の五島では「佐田の山せんべい」なる銘菓が売られている。 |
| 2011年1月現在、横綱経験者として最年長の人物でもある(初代若乃花没後)。 |
通算成績
| 通算成績:591勝251敗61休。 |
| 幕内成績:435勝164敗61休 勝率.726。 |
| 横綱成績:188勝64敗33休 勝率.746。 |
| 幕内在位:44場所(うち横綱19場所、大関17場所、関脇4場所)。 |
| 横綱在位:19場所。 |
| 大関在位:17場所。 |
| 三役在位:4場所(関脇4場所、小結なし)。 |
| 連勝記録:25(1965年5月場所2日目~1965年7月場所11日目)。 |
| 年間最多勝:1965年(74勝16敗)。 |
| 連続6場所勝利:77勝(1964年9月場所~1965年7月場所)。 |
| 幕内連続2ケタ勝利:8場所(1964年9場所~1965年11月場所)。 |
| 幕内連続12勝以上勝利:7場所(1964年9月場所~1965年9月場所)。 |
三賞・金星
| 三賞:3回。 |
| 殊勲賞1回(1961年7月場所)。 |
| 敢闘賞1回(1961年5月場所)。 |
| 技能賞1回(1962年3月場所)。 |
| 金星:2個(若乃花・朝潮)。 |
改名歴
| 佐々田晋松(ささだしんまつ)1956年1月場所-1959年3月場所。 |
| 佐田の山晋松(さだのやま-)1959年7月場所-1963年3月場所。 |
年寄変遷
| 出羽海智敬(でわのうみともたか)1968年5月-1996年1月。 |
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1959年
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佐田ノ山 晋松(さだのやま-)場所 |
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1961年
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敢闘賞1回(場所) |
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投票数
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佐田の山晋松さんについてのひとこと紹介
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