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プロフィール
- 佐藤愛子とは
- 経歴
- エピソード
- 受賞
- 著書
- テレビ番組
- 交友関係
- 関連サイト
佐藤愛子(さとうあいこ、1923年11月5日-現在歳)は大阪市出身の小説家。小説家の 佐藤紅緑、女優の三笠万里子の次女として生まれる。異母兄に詩人の サトウハチロー、脚本家で劇作家の大垣肇。甲南高等女学校(現・甲南女子高等学校)卒業。雙葉高等女学校英語専攻科中退。
経歴
| 1943年-12月、最初の夫(病院長長男)とお見合い結婚。 |
| 1944年-11月、長男出産。 |
| 1947年-夏、長女出産。 |
| 1949年-父、紅緑死去。 |
| 夫が太平洋戦争中モルヒネ中毒となり、戦後も治癒せず、別居。 |
| 世田谷区上馬の父母の家に戻る。 |
| 1950年-同人雑誌『文藝首都』に参加、川上宗薫、北杜夫、田畑麦彦、なだいなだらがいた。 |
| 1951年-別居中の夫、死去。 |
| 1953年-母と住む実家を出、自立。 |
| 「聖路加国際病院」で働き始める。 |
| 1956年-二度目の夫、田畑と結婚。 |
| 披露宴が4月1日だったため、嘘だと思って来なかった客もいたともいう。 |
| 田畑と暮らしていた渋谷区初台の家売却、母、世田谷区上馬の家売却。 |
| 世田谷区太子堂にて、母と同居。 |
| 1957年-田畑、北杜夫、川上宗薫らと同人誌『半世界』作る。 |
| 1959年-『三田文学』に作品掲載。 |
| 1960年-田畑との間の長女出産。 |
| 1962年-最初の著作『愛子』を刊行。 |
| 田畑、第一回文藝賞を受賞。 |
| 田畑、父が生前著名な実業家であったことがきっかけで、産業教育教材販売会社「ソノサービス」の設立、経営に参加。 |
| 1963年度-上半期『ソクラテスの妻』で芥川賞候補。 |
| 連続して下半期『二人の女』で芥川賞候補。 |
| 1967年-田畑の会社、倒産。 |
| 夫の莫大な借金を背負う。 |
| 1968年-1月、「借金から身を守るための偽装離婚」という田畑の説得で離婚。 |
| 1969年度上半期-その体験を描いた『戦いすんで日が暮れて』で直木三十五賞受賞。 |
| 波乱万丈の人生は、その後の自身の執筆活動にも活かされている。 |
| 1972年-母、死去。 |
| 借金返済のため、テレビ出演、全国の講演にと飛び回り、戦後の世相の乱れ等を厳しく批判する言動ゆえ、父同様「憤怒の作家」として知られ、一時「男性評論家」と呼ばれていた時期もある。 |
| 小説のほかにも、身の回りの人物や事件をユーモラスに描いたエッセイを多数執筆。 |
| 「娘と私」シリーズ等が知られている。 |
| 父紅緑をルーツに、自身も含めハチローら異母兄弟や、その子孫たちに伝わる「佐藤家の荒ぶる血」を纏めた大河小説『血脈』を十数年かけて完成させ話題となった。 |
| 近年は自身の心霊体験に基づく著作も多い。 |
エピソード
| 60代の頃、北海道の浦河町に建てた別荘でラップ現象やポルターガイスト現象と呼ばれる心霊現象のようなものに悩まされ、さまざまな霊能者に相談し、約20年かかってほぼ解決したという佐藤愛子著 『私の遺言』。 |
受賞
| 1950年『青い果実』でデビュー。 |
| 1963年度上半期『ソクラテスの妻』で芥川賞候補。 |
| 1963年度下半期『二人の女』で芥川賞候補。 |
| 1969年『戦いすんで日が暮れて』で直木賞受賞。 |
| 1979年『幸福の絵』で女流文学賞受賞。 |
| 2000年『血脈』で菊池寛賞受賞。 |
著書
| 愛子現代社,1959年。 |
| おさげとニキビ秋元書房,1962年。 |
| 愉快なやつ秋元書房,1963年。 |
| ソクラテスの妻光風社,1963年。 |
| 美人の転校生秋元書房,1964年。 |
| 加納大尉夫人光風社,1965年。 |
| まんなか娘秋元書房,1965年。 |
| 花はくれない-小説・佐藤紅緑講談社,1967年。 |
| 微笑みのうしろに集英社,1968年.--(コバルト・ブックス)。 |
| さて男性諸君立風書房,1968年。 |
| 忙しいダンディ講談社,1969年。 |
| 鼓笛隊物語潮出版社,1969年。 |
| 青春はいじわる集英社,1969年--(コバルト・メイツ)。 |
| 女の庭光風社書店,1969年。 |
| おしゃれ失格みゆき書房,1970年。 |
| ああ戦友文藝春秋,1970年。 |
| 三十点の女房講談社,1970年。 |
| 赤い夕日に照らされて講談社,1970年。 |
| その時がきた中央公論社,1971年。 |
| 愛子の小さな冒険文藝春秋,1971年。 |
| ああ戦いの最中に講談社,1971年。 |
| 九回裏文藝春秋,1971年。 |
| 天気晴朗なれど読売新聞社,1971年。 |
| さよならのうしろに講談社,1971年。 |
| マッティと大ちゃん講談社,1971年。 |
| アメリカ座に雨が降る講談社,1972年。 |
| 鎮魂歌文藝春秋,1972年。 |
| 愛子の風俗まんだら朝日新聞社,1972年。 |
| 破れかぶれの幸福白馬出版,1972年。 |
| 躁鬱旅行光文社,1972年.--(カッパ・ノベルス)。 |
| 赤鼻のキリスト光文社,1972年.--(カッパ・ノベルス)。 |
| 或るつばくろの話講談社,1973。 |
| 黄昏の七つボタン講談社,1973年。 |
| 忙しい奥さん読売新聞社,1973年。 |
| 愛子のおんな大学講談社,1973年。 |
| 豚は天国へ行く広済堂出版,1973年.--(Kosaidobluebooks)。 |
| 私のなかの男たち講談社,1974年。 |
| 女優万里子文藝春秋,1974年。 |
| まんなか娘秋元書房,1974年.--(秋元文庫)。 |
| 丸裸のおはなし大和書房,1974年。 |
| おさげとニキビ秋元書房,1974年.--(秋元文庫)。 |
| 坊主の花かんざし読売新聞社,1975年。 |
| 父母の教え給いし歌文藝春秋,1975年。 |
| 女の鼻息男の吐息立風書房,1975年。 |
| 男の結び目佐藤愛子,田辺聖子大和書房,1975年。 |
| 坊主の花かんざし.続読売新聞社,1976年。 |
| 女の学校毎日新聞社,1977年。 |
| 幸福の絵新潮社,1979年.3。 |
| 愛子の小さな冒険光風社出版,1981年。 |
| 上機嫌の本PHP研究所,1992年。 |
| 冬子の兵法愛子の忍法佐藤愛子,上坂冬子海竜社,2001年。 |
| 『あの世の話』佐藤愛子・江原啓之著 文春文庫 2001年12月 ISBN4167450054。 |
テレビ番組
| 笑っていいとも! テレフォンショッキング(フジテレビ)。 |
| すばらしき仲間(中部日本放送制作・TBS系列、遠藤周作と北杜夫と共演)。 |
交友関係
| 佐藤は川上との友人関係を「ネコ(佐藤)と手まり(川上)みたいなもん」と表現し、「川上さんには、わたしはホッとひと息つくというか、男でいうなら、会社で上役の機嫌をとり下の連中との人間関係に神経遣ってくたびれ果てて、赤提灯の飲み屋に寄ってひと息つく、そういう感じがある」「だから、これは恋愛の対象とか、結婚の対象とかにはならない」と発言している吉行淳之介『新面白半分対談』p.40-41(講談社、1975年)。 |
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1923年
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佐藤愛子(さとう あいこ、 -現在歳)は大阪... |
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2001年
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『あの世の話』佐藤愛子・江原啓之著 文春文... |
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