| 1966年、小説「青春の記憶」が第4回有島青少年文芸賞優秀賞を受賞。 |
| 1967年、函館西高等学校で起きた防衛大学校入学説明会阻止闘争に取材して執筆した小説「市街戦の中のジャズメン」で第5回有島青少年文芸賞優秀賞を受賞するものの、この作品は高校生が書いたものとしては内容的に問題があるとされ、北海道新聞への掲載を拒否される。 |
| 高校卒業後、函館で浪人生活を送る。 |
| 「市街戦の中のジャズメン」を書き直し、「市街戦のジャズメン」と改題して『北方文芸』に掲載する。 |
| 1970年、上京して國學院大學文学部哲学科に入学し、中野区上高田に住む。 |
| 同人誌『黙示』が創刊された際には高校時代の友人らと参加する。 |
| 1971年に大学の同級生だった漆畑喜美子と中野区上薬師で生活を始める。 |
| 7月、『黙示』を脱会し、『黙示』同人だった藤川巖、茜堵志哉、岩崎理らと同人誌『立待』を創刊し、創刊号に小説「贋の父親」を掲載する。 |
| 1974年に大学を卒業、卒業論文の標題は、「神なきあとの人間の問題」。 |
| 同人誌『贋エスキモー』を、藤川巖、酒井俊郎と謄写版で創刊し、創刊号に小説「休暇」を掲載する。 |
| 就職を希望し、市役所を15ヵ所も受験するがすべて不採用となり、やむなく服装メーカーで製品値札付けのアルバイトを始め、翌1975年、あかつき印刷に勤務。 |
| 小説「颱風」が第39回文學界新人賞候補となる。 |
| 1976年、小説「深い夜から」が第1回北方文芸賞佳作となる。 |
| 1977年、精神の不調に悩み、3月に上目黒診療所で受診し自律神経失調症と診断され通院を始める。 |
| 以後、死去するまで精神安定剤の服用を続けることになる。 |
| 9月から一橋大学生活協同組合に調理員として勤務する。 |
| 『新潮』6月特大号に掲載の小説「移動動物園」が第9回新潮新人賞候補作となる。 |
| 1978年5月、長女・朝海(あさみ)誕生。 |
| 10月には同人誌『贋エスキモー』をあらたにタイプ印刷で第1号から発刊し、その第1号に小説「光の樹」を掲載する。 |
| 1979年、梱包会社の株式会社大崎に正規採用の従業員として就職する。 |
| 1979年12月9日、睡眠薬による自殺未遂で入院。 |
| 翌1980年、小説「もうひとつの朝」で第16回作家賞を受賞。 |
| 1980年1月、長男・綱男誕生。 |
| 1月23日、退院する。 |
| 1981年、函館市に転居。 |
| 職業訓練校の建築科に入学する。 |
| 『文藝』9月号に掲載の小説「きみの鳥はうたえる」が第86回芥川賞候補作となる。 |
| 1982年、東京に戻り、国分寺市日吉町四丁目に住む。 |
| 『きみの鳥はうたえる』が河出書房新社より刊行される。 |
| 『新潮』10月号に掲載の小説「空の青み」が第88回芥川賞候補作となる。 |
| 1983年ころから、文芸誌の新人賞下読みの仕事と、新聞での書評の仕事を依頼されるようになる。 |
| 『新潮』6月号に掲載の小説「水晶の腕」が第89回芥川賞候補作となる。 |
| 『文學界』9月号に掲載の小説「黄金の服」が第90回芥川賞候補作となる。 |
| 1984年5月から『日刊アルバイトニュース』でエッセイ「迷いは禁物」の連載を始める。 |
| 週に1篇の掲載で、1985年6月までで56篇を執筆する。 |
| 5月には国分寺市日吉町三丁目に転居し、歿するまでの住居となった。 |
| 同月、次女・佳乃子誕生。 |
| 1985年、『文學界』5月号に掲載の小説「オーバー・フェンス」が第93回芥川賞候補作となる。 |
| 1988年4月から共同通信社の配信でテレビドラマの時評「放送時評」・「テレビ時評」を月に1回のペースで執筆し、1989年3月まで継続する。 |
| 1989年、『そこのみにて光輝く』が河出書房新社より刊行され、第2回三島由紀夫賞候補作となる。 |
| 1990年10月9日夜、ロープを携えて外出し、翌日、自宅近くの植木畑にて遺体で発見される。 |
| 享年41であった。 |
| 没後はすべての作品が絶版となっていたが、2007年に個人出版社クレインが作品集を刊行。 |
| 熱心なファンの働きかけや『海炭市叙景』の映画化が追い風となり、2010年以降に『海炭市叙景』『移動動物園』『そこのみにて光輝く』が次々と文庫で復刊され再評価がなされるようになった。 |