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つながりの強いひと
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武藤章
昭和の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。極東国際軍事裁判(東京裁判)で唯一中将として絞首刑判決を受けた。 |
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木戸幸一
第二次世界大戦期の日本の政治家である。侯爵。最後の内大臣。幸一の父・木戸孝正は明治の元勲・木戸孝允の妹・治子と長州藩士・来原良蔵の長男。夫人は陸軍... |
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重光葵
第二次世界大戦期の、日本の外交官・政治家である。第二次世界大戦中に外務大臣を務め、終戦時に政府全権として降伏文書に調印した。戦後は東京裁判で有期禁... |
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大島浩
昭和期日本の陸軍軍人である。最終階級は陸軍中将。第二次世界大戦前から戦中にかけて駐ドイツ特命全権大使を務め、日独伊三国同盟締結の立役者としても知ら... |
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鈴木貞一
日本の軍人、陸軍中将。千葉県出身。通称「背広を着た軍人」。「三奸四愚」と呼ばれた東條英機側近三奸の一人とされる。 |
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嶋田繁太郎
大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍大将。東京都出身。 |
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白鳥敏夫
大正、昭和期の日本の外交官・政治家。東洋史学者の白鳥庫吉は叔父。元外務大臣石井菊次郎も叔父にあたる。息子に白鳥正人元北陸財務局長。 |
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木村兵太郎
昭和期の陸軍軍人、陸軍大将。太平洋戦争(大東亜戦争)後、A級戦犯として逮捕、極東国際軍事裁判にて死刑の判決を受け、絞首刑に処された。 |
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岡敬純
昭和期の海軍軍人、海軍中将、海兵39期、海大21期。 |
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東條英機
日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功二級。新字体で東条英機(とうじょうひでき)とも表記される。陸軍大臣、内... |
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東郷茂徳
東郷茂徳(とうごうしげのり、1882年(明治15年)12月10日-1950年(昭和25年)7月23日)は日本の外交官、政治家。太平洋戦争開戦時及び終戦時の日本の外務大... |
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梅津美治郎
昭和期の陸軍軍人、陸軍大将。通称「無言の将軍」。東京裁判で終身刑の判決を受け、服役中に獄中死。昭和53年(1978年)に靖国神社に合祀される。 |
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荒木貞夫
日本の陸軍軍人、第一次近衛内閣・平沼内閣の文部大臣、男爵。最終階級は陸軍大将。皇道派の重鎮であり、昭和初期の血気盛んな青年将校のカリスマ的存在であ... |
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畑俊六
日本の陸軍軍人。最終階級は元帥陸軍大将。偕行社会長。位階勲等は正三位勲一等功一級。兄・英太郎は陸軍大将・陸軍省軍務局長・関東軍司令官、長男・俊八は... |
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松井石根
松井石根(まついいわね、明治11年(1878年)7月27日-昭和23年(1948年)12月23日)、中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官、ハルピン特務機関長、陸軍大将... |
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板垣征四郎
大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長、陸軍大臣などを務めた。関東軍高級参謀として石原莞爾とともに満州事変を... |
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永野修身
大日本帝国海軍の軍人。海軍兵学校28期。最終階級は元帥海軍大将・正三位・勲一等・功五級。東京裁判中に巣鴨プリズンにて病死。帝国海軍の歴史上、海軍三長... |
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橋本欣五郎
昭和時代の日本の陸軍軍人、政治家(衆議院議員1期)。右翼活動家。たびたびクーデターを試みたが失敗し、極東国際軍事裁判(東京裁判)で訴追された。通称「... |
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プロフィール
- 佐藤賢了とは
- 来歴・人物
- 「黙れ」事件
- 逸話
- 年譜
- 著書
- 参考文献
佐藤賢了(さとうけんりょう、1895年(明治28年)6月1日-1975年(昭和50年)2月6日)は、日本の陸軍軍人、陸軍中将。石川県河北郡花園村字今町(現・金沢市今町)出身。身長5尺6寸(169cm)。
来歴・人物
| 金沢一中を経て、1917年(大正6年)5月、陸軍士官学校卒業。 |
| 1925年(大正14年)、陸軍大学校卒業。 |
| アメリカ駐在を経て、陸軍省軍務局長を務めた。 |
| 陸軍部内ではその経歴から知米派の扱いを受けた。 |
| 1938年(昭和13年)3月、国家総動員法審議中に、議員からの野次に対し「黙れ!」と一喝して問題になった(「黙れ」事件)。 |
| 相手の議員は『時刻表昭和史』(宮脇俊三著)によると立憲政友会の宮脇長吉(宮脇俊三の父)。 |
| 宮脇は退役陸軍大佐で、嘗て佐藤が陸軍士官学校生徒だったときの教官であった。 |
| 1942年(昭和17年)、陸軍省軍務局長。 |
| 1943年(昭和18年)、山本五十六が戦死した際にはミッドウェー海戦の失敗を引き合いに出して「国葬にするのは適当ではない」と東條英機首相に進言したが、東條は陸海軍の協調を優先して進言を退けた。 |
| 「三奸四愚」と呼ばれた東條側近四愚の一人ともいわれる。 |
| 大東亜戦争後、最年少のA級戦犯となり、極東国際軍事裁判で終身刑の判決を受けて服役し、いわゆるA級戦犯では最も遅くまで拘留され1956年(昭和31年)3月31日に釈放。 |
| その後は東急管財(現・東急ファシリティサービス)社長を務めた。 |
| また、自身の反米体験をもとにベトナム戦争反対運動に参加して話題になり、「共産党は無理だが、社会党の公聴会に呼んでくれないものか」と語った事もある。 |
| 死の直前まで面談者には大東亜戦争(太平洋戦争)は聖戦だったと主張していた。 |
| 長男は陸軍から戦後、航空自衛隊に入隊し、空将補に昇進、次男は関西電力勤務、三男は早稲田大学教育学部教授。 |
「黙れ」事件
| 1938年(昭和13年)3月3日の衆議院・国家総動員法委員会において、陸軍省の説明員として出席していた賢了が、法案の精神・自身の信念などを長時間演説した事に端を発する事件。 |
| 賢了の演説に対し、他の委員(賢了の陸軍士官学校時代の教官だった、宮脇長吉など)より「やめさせろ」「討論ではない」などの野次が飛び、それに対し佐藤が「黙れ!」と一喝した。 |
| その発言は板野友造らによって問題視されるも、賢了が床を蹴って退場したため、委員会は紛糾し散会となった。 |
| その後杉山元陸相により陳謝がなされたが、本件に関して賢了に対して特に処分は下らなかった。 |
逸話
| 陸軍大学校では東條に学んでおり、以後も東條と行動をともにしたためか、「東條の納豆」とよばれた。 |
| 囲碁が好きであり、岡敬純海軍中将とは囲碁仲間であった。 |
| 対米英開戦をすることに賛成しており、軍務課長という立場であったが昭和天皇の開戦回避の聖旨に添って動く東條英機や陸軍省・軍務局よりは、開戦派の田中新一等参謀本部側の意見を支持していた。 |
| 自身も東條の前で日米交渉に消極的な意見を吐き、逆に東條に叱責されている。 |
年譜
| 1917年(大正6年)。 |
| 5月25日-陸軍士官学校卒業(29期)。 |
| 12月25日-少尉に昇進。 |
| 野砲兵第1連隊附。 |
| 1920年(大正9年)11月26日-陸軍砲工学校高等科卒業(26期)。 |
| 1921年(大正10年)4月-中尉に昇進。 |
| 1925年(大正14年)11月27日-陸軍大学校卒業(37期)。 |
| 1926年(大正15年)。 |
| 3月-大尉に昇進。 |
| 12月-整備局附勤務(統制課)。 |
| 1928年(昭和3年)3月-整備局課員。 |
| 1930年(昭和5年)5月-アメリカ駐在、米野砲兵第12連隊附(~1932年7月)。 |
| 1932年(昭和7年)8月-少佐に昇進、野重砲兵第6連隊大隊長。 |
| 1933年(昭和8年)8月-整備局課員(統制課)。 |
| 1935年(昭和10年)8月1日-陸軍大学校教官。 |
| 1936年(昭和11年)8月1日-軍務局課員(軍務課国内班長)。 |
| 1937年(昭和12年)。 |
| 3月-中佐に昇進。 |
| 8月-航空兵に任ぜられる。 |
| 1938年(昭和13年)。 |
| 3月3日-「黙れ」事件を起こす。 |
| 7月15日-大佐に昇進、新聞班長兼大本営報道部長。 |
| 12月10日-浜松陸軍飛行学校附。 |
| 1939年(昭和14年)3月9日-第21軍参謀副長。 |
| 1940年(昭和15年)2月10日-南支那方面軍参謀副長。 |
| 1941年(昭和16年)。 |
| 3月1日-陸軍省軍務課長。 |
| 10月15日-少将に昇進。 |
| 1942年(昭和17年)4月20日-陸軍省軍務局長。 |
| 1944年(昭和19年)12月14日-支那派遣軍総参謀副長。 |
| 1945年(昭和20年)。 |
| 3月1日-中将に昇進。 |
| 4月7日-第37師団長。 |
| 12月-予備役編入。 |
著書
| 『新國民運動に待望す』(農村研究社、1938年(昭和13年))。 |
| 『東条英機と太平洋戦争』(文藝春秋社、1960年(昭和35年))。 |
| 『大東亜戦争回顧録』(徳間書店、1966年(昭和41年))。 |
| 『佐藤賢了の証言』(芙蓉書房、1976年(昭和51年))。 |
| 『軍務局長の賭け』(芙蓉書房、1985年(昭和60年))。 |
参考文献
| 『昭和日本史』(暁教育図書、1977年(昭和52年))。 |
| 『陸軍省軍務局と日米開戦』(中公文庫、1989年(平成元年))。 |
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