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山下敬吾
日本棋院所属のプロ棋士。北海道旭川市出身。緑星囲碁学園出身。棋聖、本因坊などのタイトルを獲得。雅号は「道吾(どうわ)」。義兄に高梨聖健。羽根直樹、... |
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趙治勲
囲碁のプロ棋士。韓国釜山広域市出身。日本棋院所属。血液型はB型。木谷實九段門下。棋聖8期、名人9期の他、本因坊戦10連覇の偉業により現役のうちから「25世... |
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小林覚
囲碁棋士。長野県松本市出身、日本棋院所属、木谷實九段門下、九段。1995年に全盛期の趙治勲を破り棋聖位に就き、3年連続で趙と七番勝負を争う。他に碁聖位、... |
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結城聡
囲碁の棋士。兵庫県神戸市出身、関西棋院所属、佐藤直男九段門下、九段。天元1期、NHK杯2連覇、テレビ囲碁アジア選手権戦準優勝など、同時代の関西棋院の棋士... |
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張栩
日本棋院所属の囲碁棋士。林海峰九段門下。小林光一は義父に当たる。 |
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高尾紳路
日本棋院東京本院所属の囲碁のプロ棋士、九段。千葉県千葉市出身、藤沢秀行名誉棋聖門下。雅号は「秀紳(しゅうしん)」。血液型A型。実兄は、歴史学者の高尾... |
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林海峰
林海峰(りんかいほう、1942年5月6日-)は日本、台湾の囲碁棋士。上海出身、日本棋院東京本院所属、藤田梧郎七段、呉清源九段門下、九段、名誉天元。名人8期... |
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小林光一
囲碁のプロ棋士。北海道旭川市出身。木谷實九段門下。日本棋院所属。前妻の小林禮子(1996年死去)との間に一男一女。後妻との間にも子あり。長女は小林泉美... |
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羽根直樹
羽根直樹(はねなおき、1976年8月14日-)は囲碁のプロ棋士。三重県志摩市磯部町出身。A型。日本棋院中部総本部所属。棋聖、本因坊などのタイトルを獲得。父は... |
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李昌鎬
友達
韓国の囲碁棋士。全羅北道出身、韓国棋院所属、曺薫鉉門下、九段。国内棋戦優勝140回、1990年代から2000年代にかけて世界棋戦優勝20回を数え、世界最強と呼ぶ... |
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武宮正樹
囲碁のプロ棋士、九段。名人1期、本因坊6期など。東京都葛飾区出身。日本棋院所属。本因坊時代の雅号は当初「秀樹(しゅうじゅ)」であったが、2度目の獲得以... |
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大竹英雄
囲碁棋士。福岡県北九州市出身、日本棋院所属、木谷實九段門下、九段。名人位4期、世界囲碁選手権富士通杯優勝など。碁聖位連続6期で名誉碁聖を名乗る。厚く... |
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山田規三生
囲碁の棋士。大阪市出身、日本棋院関西総本部所属、九段、山下順源七段門下。王座1期、三星火災杯世界オープン戦準優勝など。低段時代は剛腕で「ブンブン丸」... |
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河野臨
囲碁のプロ棋士、九段。東京都西東京市出身、明保中学校卒業、日本棋院東京本院所属。小林光一九段門下。早くから将来を嘱望されていたが、2005年には山下敬... |
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加藤正夫
加藤正夫(かとうまさお 1947年3月15日-2004年12月30日)は日本の囲碁棋士。号は「劔正」。同じ木谷實門下の石田芳夫・武宮正樹とともに「木谷三羽烏」「黄金... |
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井山裕太
日本棋院関西総本部所属の囲碁棋士。大阪府東大阪市出身。石井邦生九段門下。 |
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王立誠
王立誠(おうりっせい、1958年11月7日-)は日本、台湾の囲碁棋士。日本棋院東京本院所属、加納嘉徳九段門下、九段。棋聖位3連覇、十段4連覇、LG杯世界棋王戦... |
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山城宏
日本の囲碁棋士。山口県下松市出身、日本棋院中部総本部所属、島村俊廣九段門下、九段。王冠戦優勝14回、棋聖戦挑戦、本因坊戦挑戦3回など。若手の頃から「中... |
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石田芳夫
日本の囲碁棋士。愛知県西春日井郡新川町(現清須市)出身、木谷實九段門下、日本棋院所属、九段。1971年に22歳の史上最年少で本因坊となって秀芳と号し、本... |
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原幸子
結婚
原 幸子
氏名 /Name 原 幸子 Hara Sachiko ヨミ ハラ サチコ 性別 /Sex 女 Female 段位 /Dan 四段 4 dan 生年月日 /Date of Birth 昭... |
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プロフィール
- 依田紀基とは
- 履歴
- 棋風
- 人物
- 表彰
- 著書
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依田紀基(よだのりもと、1966年2月11日-)は日本の囲碁のプロ棋士。北海道岩見沢市出身。安藤武夫七段門下。1980年入段。1993年九段。名人4期、碁聖6期、NHK杯優勝5回などタイトル獲得数35。棋道賞は昭和56年に敢闘賞で初受賞したのをはじめ、優秀棋士賞4回など計20回。左利き。
履歴
| 安藤武夫七段に入門。 |
| 1980年 入段。 |
| 入段後11連勝を記録。 |
| 1981年 棋聖戦初段戦優勝。 |
| 二段、三段。 |
| 1982年 四段。 |
| 1983年 四段戦、新人王戦優勝。 |
| 1984年 18歳で名人戦リーグ入り。 |
| 1985年 六段。 |
| 1986年 俊英、新人王、新鋭トーナメント戦優勝。 |
| 1987年 六段戦、新人王、新鋭トーナメント戦優勝。 |
| 1988年第4回日中スーパー囲碁に先鋒で出場し6人抜き。 |
| 1989年 名人、本因坊両リーグ入り。 |
| 1990年 新人王連覇、七段戦三年連続優勝。 |
| 1991年 NHK杯優勝。 |
| 「囲碁クラブ」誌の企画で李昌鎬と五番勝負を行い3-1で勝利。 |
| 1993年 NHK杯優勝。 |
| 1994年東洋証券杯世界選手権戦準優勝。 |
| 日中スーパー囲碁で中国主将聶衛平を破り、日本勝利をもたらす。 |
| 1995年 第33期十段戦で、二連覇の大竹英雄十段を3-0で破り、初の番碁で十段位を奪取。 |
| 1996年 王立誠を3-1で退け、十段位を初防衛。 |
| 碁聖戦で、小林覚を3-0で下し、碁聖を奪取。 |
| 第3回応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦準優勝。 |
| 第1回三星火災杯・世界オープン戦の決勝三番勝負で、韓国の劉昌赫九段を2-1で破り、世界戦初優勝。 |
| 1997年 第3期JT杯星座戦初優勝。 |
| 同年、碁聖を防衛。 |
| 1998年 NHK杯優勝。 |
| 趙治勲棋聖に挑戦するも2-4で敗れる。 |
| 1999年 NHK杯優勝。 |
| テレビ囲碁アジア選手権戦優勝。 |
| 2000年 NHK杯優勝。 |
| テレビ囲碁アジア選手権戦優勝。 |
| 第25期名人戦で、四連覇の趙治勲を4-0で破り、前年の雪辱を果たすとともに初の名人位に就く。 |
| 2001年 第26期名人戦で、林海峰九段を4-2で破り、名人二連覇。 |
| 2002年 名人三連覇。 |
| 第24期鶴聖位獲得。 |
| 2003年 第28期名人戦で、山下敬吾棋聖の挑戦を退け、名人四連覇。 |
| 第28期碁聖戦で、小林光一碁聖に挑戦、3-2で碁聖位を獲得。 |
| 秀哉賞を初受賞。 |
| 2004年 第59期本因坊戦で、挑戦者となるが、2-4で張栩本因坊に敗退。 |
| 第29期名人戦で、挑戦者張栩九段に、2-4で敗れ、名人位を失う。 |
| 第29期碁聖戦で山田規三生八段の挑戦を退け防衛。 |
| 2005年 第30期碁聖戦で挑戦者結城聡九段を3-0で退け、碁聖三連覇、通算6期。 |
| 2006年 2月、上海で開催された、第7回農心辛ラーメン杯世界囲碁最強戦の最終第3ステージにおいて、日本チームの主将として出場し、韓国副将の趙漢乗八段、中国主将の孔傑七段、韓国主将の李昌鎬九段の3人抜きし、日本チーム初優勝をもたらした。 |
| 第31期碁聖戦で挑戦者張栩に0-3で敗れ、碁聖位を失い無冠になる。 |
| 2007年 本因坊リーグを勝ち抜き、高尾紳路本因坊に挑戦するも1-4のスコアで敗退。 |
| 2008年10月、第1回ワールドマインドスポーツゲームズ囲碁男子団体戦に山下敬吾、羽根直樹、河野臨、高尾紳路と日本代表チームを組み出場、銅メダルを獲得。 |
| 2009年 棋聖戦で山下敬吾に挑戦するが、2-4で敗退。 |
棋風
| 棋風は柔軟で優れた大局観を持ち、捨て石の名手ともされる。 |
| 白2手目で天元、大高目2連打などの意表を突く布石を時折用いる。 |
| 2007年には「神のお告げがあった」として初手5の十や黒3手目での「7の十」を打ち、話題を呼んだ。 |
人物
| 179cm・90kgと大柄で、髪を短く刈り込んだいかつい風貌。 |
| 体型が多少変わっても融通が利くことから、近年は公私ともに和服を着用することが多い。 |
| 若くして頭角を現した「エリート棋士」の経歴からは想像しがたいが、以下に述べるように「最後の無頼派囲碁棋士」とでも呼ぶべき存在である。 |
| 自著「プロ棋士の思考術」で、以下のようなエピソードを明かしている。 |
| 小学校での成績がほとんどオール1であり、「このままでは自分は生きていけないのではないか」と激しい不安を抱いていた。 |
| 18歳で師匠宅から独立して一人暮らしとなったのち、新宿歌舞伎町に入りびたり、ギャンブルなどに熱中する生活を送るようになった。 |
| その生活から脱却したのは、先輩棋士の上村邦夫の助言によるものだという。 |
| 28歳で今度はバカラにのめりこむ。 |
| その生活を見直したのは、中村天風の著書を読んだことがきっかけだという。 |
| 以降、天風の教えを自身の勝負観に盛り込んでいるという。 |
| 韓国の李昌鎬、中国の常昊らとも親しい関係にある。 |
| 「自分は意志が弱い」とし、名人戦のタイトル戦の対局前日に、熱狂的なファンである「三国志のゲーム」に熱中してプレイしていたこともあったという。 |
| 他にも、野球のルールを全く知らなかったなど、逸話が多い。 |
| 1988年に囲碁愛好家と結婚。 |
| その後離婚、1998年に女流棋士の原幸子と再婚し、2002年に長男、2003年に次男、2010年に三男が誕生している。 |
| 原は依田を「大きな赤ちゃん」と形容し、「もしも私が3日間ほど彼の元を離れていたら、彼は餓死するかもしれない」と語っている。 |
| 自他ともに認める子煩悩。 |
| あるアマ囲碁大会で長男が熱を出して欠場したときには、自らが代理出場している |
| 対局中に激しくぼやくことで有名。 |
| 第54回(2006年度)NHK杯の準決勝で趙治勲と対戦した際、優勢だった碁を自身の見落としで必敗の形勢にしてしまい、「ああ分かんねえよ、バカ」「ああひどいなあ、俺なあ」と激しくぼやきながら打つ姿が放送された。 |
| 尚対戦相手の趙も対局中よくぼやくことで知られるが、この時は依田のあまりにも激しいぼやきぶりに黙りこんでしまった。 |
| NHK杯に遅刻を繰り返したことから、当時名人の地位にありながらNHK杯への出場権を取り消されたこともある。 |
| 世界最強とも目される韓国の李昌鎬、中国の古力相手に勝ち越している数少ない棋士。 |
| 政治家の小沢一郎と親交が深い。 |
| 2007年10月、小沢が与謝野馨と対戦した際には解説を務め、「小沢先生の手には一手一手理屈がある」と評している。 |
著書
| 『プロ棋士の思考術』(PHP新書)。 |
| 『21世紀の旗手―依田紀基、タイトル獲得への歩み』(日本棋院)。 |
| 『依田ノート』(講談社)。 |
| 『依田流並べるだけで強くなる古碁名局集』(マイコミ)。 |
| 『新版 基本布石事典 上・下』日本棋院。 |
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1966年
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依田 紀基(よだ のりもと)は日本の囲碁のプ... |
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1988年
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囲碁愛好家と結婚 |
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