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的場順三
日本の元大蔵官僚。滋賀県出身<REF>近江商人(飴屋)の次男であるという。仲人は京大の先輩である池田勇人(蔵相、のち首相)</REF>。2006年9月から2007年9月... |
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森田一
森田一(もりたはじめ、5月14日-)は日本の政治家、元自由民主党衆議院議員(当選8回)。香川県坂出市出身。大平正芳の娘婿にあたる。 |
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福田赳夫
日本の大蔵官僚、政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。衆議院議員、農林大臣(第27代)、大蔵大臣(第70・73・74・78代)、外務大臣(第99代)、行政管理庁... |
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橋本龍太郎
日本の政治家。岡山県総社市名誉市民。位階勲等は正二位大勲位。愛称は橋龍(はしりゅう)。衆議院議員(14期)、厚生大臣(第57代)、運輸大臣(第58代)、... |
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棚橋祐治
日本の弁護士。元官僚(通商産業事務次官)。 |
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小和田恆
日本の元外交官。国際司法裁判所所長。外務事務次官、国連大使、早稲田大学大学院教授、財団法人日本国際問題研究所理事長などを歴任した。 |
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田波耕治
日本の大蔵官僚。国際協力銀行総裁、大蔵事務次官を歴任した。 |
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古田陽久
世界遺産総合研究所所長。広島県呉市生まれ。広島県立呉三津田高等学校卒業、慶應義塾大学経済学部卒業。15年間の総合商社勤務(日商岩井(現双日))を経て... |
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藤井秀人
藤井秀人(ふじいひでと、1947年12月13日-)は島根県出身の財務官僚。財務省主計局長、財務事務次官等を歴任。2007年退官。2008年より株式会社日本政策投資銀... |
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甲賀真理子
甲賀真理子(こうがまりこ、MARIKOKOUGA、1949年7月30日-)はファッションデザイナー。広島県豊田郡安浦町(現・呉市)出身。広島県立呉三津田高校-東京学芸... |
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保岡興治
日本の政治家、前衆議院議員(11期)。法務大臣(第69代、第81代)。弁護士。司法の畑を歩き続けてきた法務族議員のひとりである。 |
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武藤敏郎
日本の財務官僚、経済学者(財政政策・金融政策)、実業家。株式会社大和総研理事長、東京大学先端科学技術研究センター客員教授、学校法人開成学園理事長。... |
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扇千景
日本の女優(宝塚歌劇団の娘役でもあった)、タレント、政治家。 兵庫県神戸市出身。参議院議員(5期)、参議院議長(第26代)、国土交通大臣(初代、第2代... |
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サウリ・ニーニスト
フィンランドの政治家、弁護士。フィンランド南部サロ出身。郷里のサロで弁護士事務所を開業後、1997年サロ市議会議員となり、政界入り。1987年フィンランド... |
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末田正雄
NHKのエグゼクティブアナウンサー(局次長級)。 |
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碓井優
日本の実業家。広島県呉市長迫町出身。石川島播磨重工業(IHI)のコンピュータ外販部門のリーダーだった1981年、79人の仲間を率いて同社を集団脱藩(退社)。... |
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プロフィール
保田博(やすだひろし、1932年5月14日-)は、日本の大蔵官僚。元大蔵事務次官。初代国際協力銀行総裁。
来歴
| 広島県呉市(江田島)出身。 |
| 父は呉海軍工廠技官。 |
| 呉市立二河国民学校を経て、呉第一中学校(のちの呉三津田高校)入学。 |
| 高校時代テニス選手で広島県ベスト4だったが、肋膜炎を患い留年に直面したのを機に高校3年夏、都立日比谷高校へ転校し、東京大学入学。 |
| 東京大学法学部公法を卒業後、法学部私法へ内部学士入学し、国家六級職試験を通り、1957年、大蔵省入省。 |
| 入省同期に、的場順三、内海孚、森田一、大山綱明(関税局長)、中田一男(北海道開発次官)、亀井敬之(官房審議官、元泉州銀行頭取)、山崎高司(駐英公使、IMF理事、元日本総研副理事長)など。 |
| 1971年に主計局厚生労働担当主査を経て、1973年に主計局企画官心得から福田赳夫蔵相秘書官に。 |
| 博覧強記といわれるほど的確な情報を大臣答弁で流すことで知られていた。 |
| 1974年、内閣審議官、1976年、主計局厚生労働担当主計官、同年12月には福田赳夫内閣総理大臣秘書官に。 |
| 秘書官には他に福田康夫、棚橋祐治、小和田恆ら。 |
| 1979年に公共事業担当主計官として、運輸省が撤回を求めた航空運賃に通行税を上乗せ。 |
| 栗林良光によると、厚生労働担当主査と主計官をしていた時の経験から、一例として生活保護費等の捻出のためには、航空機等を利用する機会の多い金持ちを対象としていたという。 |
| 1981年に同期トップに躍り出て大臣官房文書課長、1983年に主計局次長、1986年、近藤鉄雄長官の意向で経済企画庁長官官房長を、同じく経企庁総合計画局計画課長に出向していた西村吉正と共に二年間勤めたが、大蔵次官コースへの指定席を歩み、1988年6月15日、大蔵省大臣官房長、1990年6月、主計局長就任、1991年6月から1992年6月まで大蔵事務次官を務めた。 |
| 主計官時代には各省の予算を厳しく査定し「ブッタ切りのヤスさん」の異名をとった。 |
| 無頼派と呼ばれ、東京湾横断道路、関西新国際空港などの大プロジェクトを軒並みゼロ査定した。 |
| しかし80年代、バブル期の時価つり上げに一役かった不動産業者に、争って融資した金融機関を放置していた大蔵省への批判は強く、1991年7月の事務次官就任直後に野村、大和、日興、山一の大手証券会社の損失補填など一連の“証券スキャンダル”と巷間騒がれた証券不祥事が表面化、大蔵省への批判はさらに強くなり、富士・住友・東海・協和埼玉などの不正融資問題も発覚し、金融界への不信感も出て収拾に奔走する事となった。 |
| これらの問題では、最終的に監督責任を取って橋本龍太郎蔵相、保田、松野允彦証券局長らが減給、訓告処分を受け、他に中平幸典証券局担当審議官、堀田隆夫証券局業務課長らも訓告処分を受けるなど、官界では異例の自らの行政の誤謬を認めた形となった。 |
| また橋本蔵相辞任の際、自らも辞意を表明したが慰留された。 |
| ただしこれらの一連の処分は、斎藤次郎主計局長、濱本英輔主税局長らを留任させ、小村武は経企庁官房長に栄転、涌井洋治は筆頭主計局次長に、中平幸典も国際金融局次長からミュンヘン・サミット後に局長に昇格させる一方、銀行局・証券局の主要人事は総入替したが、当時総務審議官から小川是を証券局長に起用するなど、省内“人材銀行”としての主計局出身者を中心とする人事には手をつけず、さらに戦力低下を招かぬよう実質的に巧妙に各局人事を強化したものだったといわれた『大蔵省不信の構図』(栗林良光、講談社、1992年12月)P231~P234。 |
| 退官後は、財政金融研究所官民役割分担研究会長。 |
| 主計畑一筋で海外留学・勤務のいずれもまったく経験が無く、主に主計・官房畑を歩んできた自称「国内派」だったが1994年5月、予想もしていなかった日本の国際資金援助機関・日本輸出入銀行総裁に就任。 |
| のちに海外経済協力基金と合併したため、初代国際協力銀行総裁に就任、2001年6月まで務めた。 |
| 一時広島県知事候補に推す声もあったが、その後日本投資保護基金初代理事長、日本法制学会2代目会長を務め、2006年現在、資本市場振興財団理事長を務めている。 |
| 他に日比谷高校如蘭会会長など。 |
| 2008年3月の日銀総裁候補の国会提示でも、長岡實-吉野良彦-保田博の大蔵次官経験者の主流ラインは、武藤敏郎の後の田波耕治の総裁候補指名にも、福田康夫首相と保田との福田赳夫首相秘書官時代の関係からその名が取りざたされた。 |
参考文献
| 『大蔵省主計局』(栗林良光、講談社、1986年8月)。 |
| 『大蔵省不信の構図』(栗林良光、講談社、1992年12月)。 |
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1932年
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保田 博(やすだ ひろし)は、日本の大蔵官僚... |
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1957年
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大蔵省入省 |
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