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つながりの強いひと
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山響
日本相撲協会の年寄名跡のひとつで、初代・山響が四股名として名乗っていたもので、その由来は定かではない。現在まで部屋を興したことのない数少ない名跡で... |
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出羽錦忠雄
東京府南<spanlang="zh">葛飾郡(現在の東京都墨田区)出身で出羽海部屋所属の元大相撲力士。最高位は関脇。身長181cm、体重143kg。 |
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鶴ヶ嶺昭男
鹿児島県姶良市(旧:姶良郡加治木町)出身で井筒部屋に所属した大相撲力士。最高位は西関脇(1956年5月場所・1962年9月場所)。現役時代の体格は177cm、114k... |
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伊藤宗一郎
日本の政治家。衆議院議員を13期務め、在任中には科学技術庁長官や衆議院議長などを歴任した。 |
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時津山仁一
福島県いわき市出身で立浪部屋所属の元大相撲力士。最高位は関脇。現役時代の体格は182cm、137kg。本名は藁谷純一。得意手は左四つ、吊り、矢柄投げ、掬い投げ。 |
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升田幸三
将棋棋士。実力制第4代名人。広島県双三郡三良坂町(現三次市)生まれ。名前は正しくは「こうそう」と読むが、将棋界では「こうぞう」で通した。木見金治郎九... |
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吉葉山
北海道厚田郡厚田村(現、 石狩市)出身の大相撲力士、第43代... http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E8%91%89%E5%B1%B1%E6%BD%A4%E4%B9%8B%E8... 相撲... |
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新海幸藏
大相撲の力士。秋田県秋田市出身。本名中野幸藏。出羽海部屋所属。最高位は東関脇(1935年5月)。現役時代の体格は174cm、98kg。得意手は、右四つ、足癖、吊... |
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琴錦功宗
琴錦功宗(ことにしきかつひろ、1968年6月8日-)は群馬県群馬郡箕郷町(現・高崎市)出身の元大相撲力士。佐渡ヶ嶽部屋所属。本名は松澤英行。最高位は東関脇... |
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秋山長造
日本の政治家。元日本社会党参議院議員・参議院副議長。岡山県出身。1940年に東京大学法学部を卒業し、『朝日新聞』記者となる。戦後日本社会党結成に参加。1... |
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大雄辰實
鹿児島県肝属郡大根占町(現在の肝属郡錦江町)出身の元大相撲力士。本名は柳田辰実(やなぎだたつみ)→横山辰実(よこやま-)。現役時代の体格は176cm、118k... |
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栃錦清隆
東京府南葛飾郡(現在の東京都江戸川区)出身の大相撲の第44代横綱。本名、大塚清(おおつかきよし)(のちに栃木山の養子になり、中田姓)。身長178cm、体重... |
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出羽海
出羽海(でわのうみ)は日本相撲協会の年寄名跡のひとつである。初代から5代までは出羽ノ海であったが、角聖と呼ばれた5代・出羽ノ海(元第19代横綱・常陸山... |
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貴闘力忠茂
兵庫県神戸市出身で二子山部屋(入門時は藤島部屋)所属の元大相撲力士。大嶽部屋所属の若闘力駿磁は甥。 |
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梅ヶ谷藤太郎
20代 梅ヶ谷 藤太郎(二代) 所属部屋 雷部屋 本名 小江音松 生年月日 明治11年3月11日 出身地 富山県富山市水橋大町 四股名改変 梅ノ... |
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東富士
−東富士カントリークラブ ゴルフ会員権のお申込み・お問合せ 受付フォーム−
東富士カントリークラブのご購入・ご売却を下記のフォームで受け付けております... |
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吉葉山潤之輔
北海道厚田郡厚田村(現、石狩市)出身の大相撲力士、第43代横綱。身長179cm、体重143kg。 |
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柳宗悦
民藝運動を起こした思想家、美学者、宗教哲学者。 |
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松平永芳
日本の東京都出身の海軍軍人、陸上自衛官、神官。靖国神社第6代宮司(1978年-1992年)時代には、昭和殉難者(東京軍事裁判におけるA種戦犯容疑者、俗にA級戦... |
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プロフィール
信夫山治貞(しのぶやまはるさだ、本名:本間栄、 1925年3月21日-1977年9月2日)は、福島県伊達郡保原町(現伊達市)出身の大相撲力士。小野川部屋所属で、最高位は関脇。現役時代の体格は177cm、109kg。得意手はもろ差し、寄り。
来歴
| 1940年5月場所に初土俵。 |
| 1944年、幕下入りを目前にしたところで召集され、朝鮮半島北部で敗戦を迎えた。 |
| ソ連の収容所に送られたが脱走し、偽名を使ってソウルまで逃れ、なんとか引揚船で博多港へと帰り着いた。 |
| 1946年11月場所、吾妻山の四股名(四股名はいったん本名の本間に戻した後、1949年10月場所で信夫山と改名した)で大相撲に復帰し、翌年11月場所で十両に昇進。 |
| しばらくは十両と幕下との間を往復したが、大関増位山の胸を借りて実力を増し、1950年9月場所で入幕した。 |
| 技能派力士として注目され、1955年1月場所には小結に昇進し、これから3場所連続で勝ち越したにもかかわらず関脇に昇進できなかったのは、小部屋で番付運が悪かったためと言われている。 |
| 研究熱心で知られ、足腰を鍛えるために一本歯の高下駄をはいてつり革につかまらずに山手線を回ったり、左手の握力を強化するために左手で箸を持って米や豆をつまむ練習をしたりしたというエピソードがある。 |
| 1958年3月場所の初日には新横綱の若乃花を降しているが、これは雑誌「相撲」1956年11月号の表紙に載った若乃花の写真を見て立合いを研究した成果だという表紙に載っていた若乃花の写真は仕切り直しを終えて立ち上がる様子を捉えたものだった。 |
| この姿から若乃花の右脇がやや甘いと見た信夫山は、立合い左から張り手をかます奇襲に出た。 |
| すると狙い通り若乃花の体が起きて右脇が空き、信夫山は左から右へと二本差しに成功、見事寄り切りで若乃花を降した。 |
| しかし3場所関脇を保ったものの、以降は古傷の腰痛が悪化して十両まで落ち、椎間板ヘルニアのために1960年9月場所で引退した。 |
| 年寄竹縄から山響を襲名し、山響部屋として独立の準備を進めていたが、当時の出羽一門の「分家独立を許さず」の方針の前に独立を断念、1965年9月に廃業し、1977年52歳で没した。 |
| 鋭い出足からのもろ差しの型を得意とし、「りゃんこの信夫」というあだ名がつけられた。 |
| (「りゃんこ(両個)」とは、刀を二本差しにしていることに由来する武士の俗称。 |
| 同時期のもろ差しの型を得意にした力士には、鶴ヶ嶺がいるモンロー・ウォークに似た歩き方にも特徴があり、特に若い女性に人気があった。 |
| 出足でみせるすり足は「土俵の砂に二本のレールの跡が残る」と言われたほど基本に忠実で見事なものであった。 |
主な成績
| 幕内成績:308勝322敗15休 勝率.489。 |
| 幕内在位:43場所(うち関脇3、小結6場所)。 |
| 三賞:殊勲賞1回、敢闘賞1回、技能賞6回。 |
| 金星:7個(東富士1、鏡里2、吉葉山2、若乃花1、朝潮1)。 |
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1944年
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幕下入りを目前にしたところで召集され、朝鮮... |
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1965年
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廃業し、1977年52歳で没した |
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投票数
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信夫山治貞さんについてのひとこと紹介
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