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俊寛
俊寛(しゅんかん、康治2年(1143年)-治承3年3月2日(1179年4月10日))は平安時代後期の真言宗の僧。村上源氏の出身で、木寺(仁和寺院家)の法印寛雅の子... |
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プロフィール
- 倉田百三とは
- 来歴・人物
- 著書
- 関連項目
- 関連サイト
倉田百三(くらたひゃくぞう、1891年(明治24年)2月23日-1943年(昭和18年)2月12日)は、大正、昭和初期に活躍した日本の劇作家、評論家。超国家主義者。
来歴・人物
| 広島県庄原市出身。 |
| 1891年(明治24年)、呉服商の長男として生まれる。 |
| 他は姉と妹ばかりで男児は百三ただ一人であった。 |
| 西田天香の一灯園で深い信仰生活を送る。 |
| 広島県立三次中学校(現広島県立三次高等学校)入学、卒業。 |
| 生涯の友となる香川三之助と出会う。 |
| 在学中に一高の文芸部の機関誌に寄稿した論文(『愛と認識との出発』等)が一高内の自治組織による検閲の結果、不適切な単語が含まれるとの理由から鉄拳制裁が行われる事となるが、21歳で肺結核を発祥したため鉄拳制裁に耐え得る身体ではなく、死を予感して寄宿寮を脱する。 |
| 一高では退寮はすなわち中退であった。 |
| 以後40余歳まで闘病生活が続く。 |
| また、神経症を患い、森田正馬の治療を受けている。 |
| 病床で執筆活動を続け、『出家とその弟子』や『愛と認識との出発』など生命力みなぎる青春文学を世に送り出した。 |
| また、日蓮宗への傾倒から国家主義者の側面も持っていた。 |
著書
| 『出家とその弟子』岩波書店、1918 のち文庫、角川文庫、新潮文庫、旺文社文庫、講談社文庫 。 |
| 親鸞とその弟子唯円を描いた戯曲。 |
| 歎異抄を下敷きにしているがキリスト教の影響を強く受けている。 |
| 1916年(大正5年)、犬養健らとともに創刊した同人誌『生命の川』にて発表。 |
| 発表とともに当時の青年たちに熱狂的に支持され、大ベストセラーとなった。 |
| 世界各国で翻訳され、ロマン・ロランが絶賛したことでも有名である。 |
| 歌はぬ人岩波書店1920。 |
| 布施太子の入山曠野社1921 のち岩波文庫、「俊寛・布施太子の入山」角川文庫 。 |
| 父の心配岩波書店1922。 |
| 処女の死春陽堂1922。 |
| 静思曠野社1922 のち角川文庫 。 |
| 超克改造社1924 のち角川文庫 。 |
| 標立つ道岩波書店1925。 |
| 希臘主義と基督教主義との調和の道新しき村出版部1925。 |
| 『愛と認識との出発』岩波書店、のち角川文庫、岩波文庫 。 |
| 1921年(大正10年)発表。 |
| 阿部次郎の『三太郎の日記』や西田幾多郎の『善の研究』とならび、当時の学生に多大な影響を与えた。 |
| 一夫一婦か自由恋愛か岩波書店1926。 |
| 桜児日向新しき村出版部1926 。 |
| 絶対的生活先進社1930のち角川文庫 。 |
| 恥以上改造社1930 。 |
| 冬鶯創作集先進社1931 。 |
| 神経質者の天国治らずに治つた私の体験先進社1932 。 |
| 生活と一枚の宗教仏教研究叢書第8大東出版社1932 。 |
| 大乗精神の政治的展開大東出版社1934 。 |
| 一枚起請文・歎異鈔法然と親鸞の信仰仏教聖典を語る叢書第13巻大東出版社1934 「法然と親鸞の信仰」講談社学術文庫。 |
| 祖国の娘平凡社1935 。 |
| 日本青年の往くべき道国民協会本部1935(国民運動パンフレツト。 |
| 生きんとて天来書房1936 。 |
| 信仰読本親鸞聖人大東出版社1936 。 |
| 女人往生集大東出版社1936 改題「光り合ふ女性たち」「女人解脱」。 |
| 青春の息の痕或る神学青年の手紙の束大東出版社1938 のち角川文庫 。 |
| 大地にしく乳房能登三四男1938。 |
| 祖国への愛と認識理想社1938 。 |
| 日本主義文化宣言人文書院1939 。 |
| 浄らかな虹大日本雄弁会講談社1939 。 |
| 法の娘砂子屋書房1940 。 |
| 親鸞大東出版社1940 のち角川文庫、中公文庫 。 |
| 光り合ふいのち新世社1940。 |
| 共に生きる倫理大東出版社1941。 |
| 東洋平和の恋人文書院1942。 |
| その前夜四方木書房1944。 |
| 『大化の改新』紀元社、1944 。 |
| 大化改新の際に蘇我氏を暗殺によって排除したドラマに重ね、閥族打破・軍備増強を訴えた昭和維新運動時の作品。 |
| 倉田百三選集全10巻、大東出版社(1946-51)のち日本図書センターより復刊 。 |
| 別巻は「倉田百三評伝」亀井勝一郎。 |
| 瞳ぼとけ表現社1949。 |
| 絶対の恋愛若き恋人への手紙 創芸社、1950 のち角川文庫 。 |
| 倉田百三作品集 全6巻、創芸社、1951。 |
| 倉田百三選集、全5巻、春秋社(1953-54)。 |
| 倉田百三歌集角川書店、1957 。 |
関連項目
| 無量光寺-「出家とその弟子」を執筆した明石市にある寺。 |
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