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つながりの強いひと
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南解次次雄
父
新羅の第2代の王(在位:4年-24年)であり、姓は朴。二聖と称される新羅始祖赫居世居西干と閼英夫人との間の長子。王妃は雲帝夫人(または阿婁夫人)。紀元4年... |
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葛文王
親
新羅における王族の称号のひとつ。『三国史記』からは、王位にはつけなかった王の父や王の舅などに尊称として与えられたものと考えられている。発生の経緯や... |
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逸聖尼師今
新羅の第7代の王(在位:134年-154年)。第3代儒理尼師今の長男であり、姓は朴。『三国史記』新羅本紀・逸聖尼師今紀には分注で日知葛文王の子とも記され、『... |
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脱解尼師今
新羅の第4代の王(在位:57年-80年)であり、姓は昔(ソク)、名は脱解(タレ)。吐解尼師今(とかいにしきん、、トヘ・イサグム)とも記される。第2代の南解... |
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婆娑尼師今
新羅の第5代の王(在位:80年-112年)であり、第3代儒理尼師今の第二子。姓は朴。『三国史記』新羅本紀・婆娑尼師今紀の分注には儒理尼師今の弟・奈老の子とも... |
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百済
古代の朝鮮半島南西部にあったツングース系扶余族による国家(346年-660年)。朝鮮史の枠組みでは、半島北部から満州地方にかけての高句麗、半島南東部の新羅... |
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儒礼尼師今
新羅の第14代の王(在位:284年-298年)であり、姓は昔氏。第11代の助賁尼師今の長男で、母は葛文王(朴)奈音の娘であり、ある夜に星の光が口の中に入り身ご... |
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新羅王
秦氏と新羅王伝説 皆神山すさ/著 出版社名 : 彩流社 出版年月 : 2010年4月 ISBNコード : 978-4-7791-1527-1
( 4-7791-1527-2 ) 税込価格 : ... |
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基臨尼師今
新羅の第15代の王(在位:298年-310年)であり、姓は昔氏。第11代の助賁尼師今の孫であり、父は(昔)乞淑用飡、母の名は伝わらない。『三国史記』新羅本紀・... |
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にしきん
はは (3) 08/09 m9(^д^) (5) 08/06 参加サークル もっと見る 最近のつぶやき バンってしてないだろ! 更新日時 :2010/08/20 16:53 伝言板 もっと見る 違... |
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赫居世居西干
新羅の初代の王(在位:紀元前57年-4年)であり、姓を朴、名を赫居世とする。「居西干」は辰韓語で王もしくは貴人を意味する称号と記されているが、高句麗の官... |
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助賁尼師今
新羅の第11代の王(在位:230年-247年)であり、姓は昔。父は第9代の伐休尼師今の太子の骨正葛文王、母は金仇道葛文王(後の味鄒尼師今の父)の娘の玉帽夫人。... |
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味鄒尼師今
新羅の第13代の王(在位:262年-284年)であり、姓は金氏。金閼智の7世孫であり、父は葛文王(金)仇道、母は葛文王(朴)伊柒の娘。王妃は第11代助賁尼師今の... |
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奈解尼師今
新羅の第10代の王(在位:196年-230年)であり、先代の伐休尼師今の第2子伊買の子。姓は昔。母は内礼夫人、王妃は第11代の助賁尼師今の妹。伐休尼師今が196年4... |
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伐休尼師今
新羅の第9代の王(在位:184年-196年)であり、姓は昔。父は第4代の脱解尼師今の子の仇鄒角干、母は金氏の只珍内礼夫人。184年3月に先代の阿達羅尼師今が死去... |
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阿達羅尼師今
新羅の第8代の王(在位:154年-184年)であり、先代の逸聖尼師今の長男。姓は朴。母は朴氏の支所礼王の娘、王妃は第6代の娘の内礼夫人。154年2月に先王が死去... |
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慈悲麻立干
新羅の第20代の王(在位:458年-479年)であり、姓は金氏。先代のの長男であり、母は18代実聖尼師今の娘、王妃はの弟の舒弗邯(1等官)未斯欣の娘。458年8月に... |
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文武王
新羅の第30代の王(在位:661年–681年)であり、姓は金、諱は法敏。先代の武烈王の長子であり、母は角干(1等官)の金舒玄の娘(金庾信の妹)の文明夫人。王妃... |
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武烈王
新羅の第29代の王(在位:654年-661年)であり、姓は金、諱は春秋。父は第25代真智王の子の伊飡(2等官)の金龍春(龍樹とも記される。後に文興葛文王と追封)... |
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プロフィール
- 儒理尼師今とは
- 即位まで
- 治世
- 王号について
- 歌楽として伝えるもの
- 参考文献
儒理尼師今(じゅりにしきん、生年不詳-57年)は、新羅の第3代の王(在位:24年-57年)であり、姓は朴。先代の 南解次次雄の長子であり、母は雲帝夫人(または阿婁夫人)。王妃は日知 葛文王の娘(『三国史記』新羅本紀・ 儒理尼師今紀の分注には王妃の姓を朴、許婁王の娘とする)。紀元24年9月以降に 南解次次雄が亡くなり、王位についた。『三国遺事』では王名を弩禮尼叱今(どれいにしきん、)とする。
即位まで
| 南解次次雄が死去したとき儒理は太子の位にあったが、妹の婿であり大輔の位にあった昔脱解(後の脱解尼師今)が徳望を備えていたので脱解に王位を譲ろうとした。 |
| 脱解は「聖人は歯が多いと聞きます。 |
| あなたと私とで餅を噛んでみて、歯の数を調べてみましょう。 |
| 」と答え、儒理のほうが歯が多かったので国人は儒理を王に立て、尼師今と号した。 |
治世
| 28年11月、役人に命じて国内の寡婦・寡夫・独り身の者・老人などに食料を与えて養ったため、隣国から新羅に移入するものが多かった。 |
| 32年、元の六村(六部)の名を改めて、それぞれに姓を与えるとともに、17等の官位を整備したとされる。 |
| 官制については新羅#官位制度、六部の名や賜姓は新羅#六部を参照。 |
| 36年、楽浪の兵が北辺に攻め入り、朶山城(京畿道安城市二竹面)が奪われた。 |
| その翌年(37年)、高句麗の大武神王が楽浪を攻め滅ぼし、楽浪の民5千人が新羅に流入した。 |
| これらの民は六部に分けられて住まわされた。 |
| 40年9月、先に楽浪から独立していた濊の治める華麗県・不耐県が新羅の北辺に攻めてきたが、貊国が出兵してこれら二県の兵を打ち負かした。 |
| 儒理尼師今はこのことを喜んで、貊国と好を通じることとした。 |
| 42年8月には貊国の首長は禽獣を献上してきた。 |
| 『三国遺事』によれば、この年に伊西国を討滅し、高句麗から侵攻されたとする。 |
| 在位34年にして儒理尼師今は57年9月に病に倒れ、脱解を王位につけるように訓示を残して10月に死去した。 |
| 父南解次次雄と同じように、始祖赫居世の陵である虵陵(現在地未詳)の域内に葬られた。 |
王号について
| 『三国史記』新羅本紀・儒理尼師今紀及び『三国遺事』紀異・第二南解王条では金大問(8世紀の新羅の学者)の解説として、「尼師今(尼叱今)」とは歯の筋が整っているさまを言う。 |
| 尼師今方言也。 |
| 謂齒理)また、南解次次雄が亡くなるときに息子の儒理と娘婿の脱解とを呼び寄せ、「私の死後は朴氏と昔氏とで年長者が王となりなさい」と言ったこと、後に金氏が加わって朴・昔・金の三姓の間で年長者(「歯長者」と表記される)が王位を継ぐようになったので、「歯」を表す「尼師今」が王の称号に用いられたとする。 |
歌楽として伝えるもの
| 国内に慰撫の施しをしたとき、このことに悦んだ国民が兜率歌(とそつか)を作ったといい、これが新羅での初の歌楽とされる。 |
| また、六部の改組を行った後に、六部を二つに分けてそれぞれに王女を配して二組に別け、7月16日(旧暦)から8月15日(旧暦)までの間、二組が互いに麻を紡ぎ、どちらがたくさん作れるかの競争をさせたという。 |
| 負けたほうが勝ったほうに食べ物を捧げ、皆で歌ったり舞ったりする「嘉俳」という祭りとなった。 |
| 負けたほうが感嘆して発する「会蘇」という声色が哀れながらも趣のあるものだったので、この声色に因んだ会蘇曲(かいそきょく)という歌が作られた。 |
参考文献
| 『三国史記』第1巻金富軾撰井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫372〉、1980ISBN4-582-80372-5。 |
| 『三国遺事』一然撰 坪井九馬三・日下寛校訂<文科大学史誌叢書>東京、1904(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)。 |
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儒理尼師今さんについてのひとこと紹介
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