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昭聖王
昭聖王(しょうせいおう、生年不詳-800年)は新羅の第39代の王(在位:799年-800年)であり、姓は金、諱は俊邕(しゅんよう)。父は第38代元聖王の元太子の金... |
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宣徳王
祖父を元訓角干、父を孝方海干(4等官)、母を四召夫人、王妃を狼品角干の娘の具足王后とする。780年4月に先代の恵恭王を殺して王位に就いた。宣徳王以降を新... |
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恵恭王
恵恭王(けいきょうおう、758年-780年)は新羅の第36代の王(在位:765年-780年)であり、姓は金、諱は乾運。先代の景徳王の嫡男であり、母は舒弗邯(1等官)... |
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大元義
大元義(だいげんぎ)は渤海の第4代王。793年に大欽茂が病死した際、渤海王の継承を巡っての内部紛争が発生した。大欽茂の世子である大宏臨は父王に先立ち病... |
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大欽茂
大欽茂(だいきんも)は渤海の第3代王。大武芸の第3子として生まれた大欽茂は737年に渤海国王の地位を継承すると、大興と改元した。即位後、唐は内侍を派遣し... |
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聖徳王
聖徳王(せいとくおう、生年不詳-737年)は新羅の第33代の王(在位:702年–737年)であり、姓は金、諱は興光。元の名は隆基であったが、唐の玄宗と同名であっ... |
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武烈王
新羅の第29代の王(在位:654年-661年)であり、姓は金、諱は春秋。父は第25代真智王の子の伊飡(2等官)の金龍春(龍樹とも記される。後に文興葛文王と追封)... |
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一然
高麗時代の禅宗の仏僧。俗姓は金、幼名を見明(または景明)、字は晦然。慶州章山郡(現在は慶山市)の出身で、1283年に忠烈王より国尊の称号を賜り、円径冲... |
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味鄒尼師今
新羅の第13代の王(在位:262年-284年)であり、姓は金氏。金閼智の7世孫であり、父は葛文王(金)仇道、母は葛文王(朴)伊柒の娘。王妃は第11代助賁尼師今の... |
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文武王
新羅の第30代の王(在位:661年–681年)であり、姓は金、諱は法敏。先代の武烈王の長子であり、母は角干(1等官)の金舒玄の娘(金庾信の妹)の文明夫人。王妃... |
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金富軾
高麗の官僚・儒学者であり、慶州金氏という新羅王室に連なる門閥貴族である。朝鮮に現存する最古の歴史書である『三国史記』を編纂し、後に楽浪郡開国侯を賜... |
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井上秀雄
愛知県生まれの歴史学者。東北大学、樟蔭女子短期大学名誉教授。専門は古代朝鮮史、日朝関係史。 |
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奈勿尼師今
新羅の第17代の王(在位:356年-402年)であり、姓は金氏。『三国史記』に拠れば、分注に別名として那密(尼師今)を伝え、第13代味鄒尼師今の甥(父は仇道葛... |
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徳宗
徳宗時代の失敗の教訓が活かされた結果とも言われる。 |
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閔哀王
閔哀王(びんあいおう、生年不詳-839年)は新羅の第44代の王(在位:838年–839年)であり、姓は金、諱は明。『三国遺事』王暦では敏哀王の別表記も伝える。第3... |
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哀荘王
哀荘王(あいそうおう、788年-809年)は新羅の第40代の王(在位:800年-809年)であり、姓は金、諱は清明、のちに重熙と改名。父は第39代昭聖王、母は大阿飡(... |
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僖康王
僖康王(きこうおう、生年不詳-838年)は新羅の第43代の王(在位:836年–838年)であり、姓は金、諱は悌隆(ていりゅう)または(ていぐう)。38代元聖王の曾... |
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神武王
神武王(しんぶおう、生年不詳–839年)は新羅の第45代の王(在位:839年)であり、姓は金、諱は祐徴。第38代元聖王の曾孫であり、父は上大等金均貞、母は朴氏... |
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興徳王
興徳王(こうとくおう、生年不詳-836年)は新羅の第42代の王(在位:826年–836年)であり、姓は金、諱は秀宗、のちに景徽(けいき)と改名した。父は38代元聖... |
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憲徳王
憲徳王(けんとくおう、生年不詳-826年)は新羅の第41代の王(在位:809年-826年)であり、姓は金、諱は彦昇。父は第38代元聖王の元太子の金仁謙(昭聖王によ... |
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プロフィール
元聖王(げんせいおう、生年不詳-798年)は新羅の第38代の王(在位:785年-798年)であり、姓は金、諱は敬信。第17代の 奈勿尼師今の十二世孫であり、父は一吉飡(7等官)の金孝譲、母は朴氏の継烏夫人。王妃は角干(1等官)の金神述の娘の淑貞夫人。785年正月に先代の 宣徳王が死去すると、 金周元との抗争に勝って王位に就いた。
即位まで
| 第36代恵恭王の末年に志貞の反乱(780年2月)が起こり、当時の上大等の金良相(宣徳王)がこれを鎮圧するために挙兵すると、伊飡(2等官)だった金敬信も参加し、乱の鎮圧に功績があった。 |
| 反乱のなかで恵恭王が落命してその後を金良相が宣徳王として即位し、敬信は宣徳王の下で上大等に任命された。 |
| 宣徳王が子を儲けないままに死去し、群臣は初め武烈王五世孫の金周元を推戴しようとしたが、周元が大雨に遭って王城入りできない間に敬信が王城に王位を継いだ、と伝えられている。 |
| 『三国史記』新羅本紀では、この大雨は周元の即位を天が望まないためと解し、改めて王の推戴を審議して敬信を選出することになり、敬信が即位すると雨が止んだ、即ち天意に適ったと伝える。 |
| 『三国遺事』紀異・元聖王条では、周元が上宰、敬信が次宰であったときに、敬信が「貴人の帽子を脱いで素笠を被り、手に十二弦の琴を持ち、天官寺の井戸に入る」という夢を見たこと、その夢占いによれば「帽子を脱ぐのは上に人がいなくなること、素笠を被るのは王冠を被る兆し、十二弦の琴は十二世孫が王位を継ぐ兆し、天官寺の井戸に入るのは宮殿に入る兆し」であること、宣徳王の死後に敬信が王位を継いだのはほぼ夢のとおりであった、と伝えられている。 |
治世
| 即位後直ち(785年2月)に自身の祖先への追封を行ない、五廟を再整備した元聖王の高祖父の大阿飡法宣を玄聖大王、曽祖父の伊飡義寛を神英大王、祖父の伊飡魏文を興平大王、父の孝譲を明徳大王とし、母の朴氏を昭文大后とした。 |
| 五廟については、宣徳王代に「始祖大王(味鄒尼師今)・太宗武列王・文武王・聖徳王・開聖大王(宣徳王の父)」であったところを、聖徳王・開聖大王の廟を壊して元聖王の祖父興平大王・父明徳大王の廟を加えており、始祖・武烈王・文武王を不変の宗として祭り、自身の父・祖父を加えて五廟とする慣わしが定着したことを示すものである。 |
| 王家の祖廟を五廟としたことについては『礼記』王制篇「天子七廟諸侯五廟」に基づく。 |
| 788年には官吏登用の制度として、科挙に類似する「読書三品」を定めたように、儒教的・律令体制的な政策を打ち出した。 |
| また、度々の天災により民が餓えることがあったが、律令体制の下で貢納された租粟を振舞って民の救済を行なっている。 |
| 恵恭王の末年以来の政治的混乱の収拾に努めたが、こうした天災が続いたこともあって、788年秋には国の西部で盗賊が現われ、791年には元の侍中の悌恭が反乱を起こして誅殺されるなど、。 |
| 決して安定した政治が行なわれたわけではなかった。 |
| 唐に対しては786年に使者を派遣して貢納し、徳宗からは新羅の長年の忠勤を慰撫する詔書をいただいている。 |
| また、宣徳王に与えられた官爵〈検校大尉・雞林州刺史・寧海軍使・新羅王〉をそのまま引き継いだ『旧唐書』211・新羅伝・貞元元年其年条。 |
| 794年7月には奉恩寺(ソウル特別市江南区)を建て、王宮の西には望恩楼を築いた『三国遺事』紀異・元聖王条では報恩寺・望徳楼と異なる名で伝わっている。 |
| 在位14年にして798年12月29日に死去し、元聖王と諡された。 |
| 遺詔により、奉徳寺の南で火葬されたという。 |
| 『三国遺事』紀異では王陵は吐含山の西の崇福寺(寺跡は慶尚北道慶州市外東面末方里)にあるというが、掛陵(慶州市外東面掛陵里。 |
| 史跡第26号とする説もある井上訳注1980p.352注7.一般には掛陵を元聖王陵とする説が有力になっているが、慶州市公式サイトなどのように、公式には元聖王陵と掛陵とは別のものとして扱われている。 |
関連項目
| 代宗(在位:762年-779年)。 |
| 徳宗(在位:779年-805年)。 |
| 大欽茂(文王、在位:737年-793年)。 |
| 大元義(在位:793年-794年)。 |
| 大華璵(成王、在位:794年)。 |
| 大嵩璘(康王、在位:794年-808年)。 |
参考文献
| 井上秀雄『古代朝鮮』、日本放送出版協会<NHKブックス172>、1972ISBN4-14-001172-6。 |
| 『三国史記』第1巻金富軾撰井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫372〉、1980ISBN4-582-80372-5。 |
| 『三国史記』第3巻金富軾撰井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫454〉、1986ISBN4-582-80454-3。 |
| 『完訳三国遺事』一然著金思燁訳、明石書店、1997ISBN4750309923(原著『完訳三国遺事』六興出版、1980)。 |
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