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稲垣武
稲垣武(いながきたけし、1934年12月12日-2010年8月5日)は日本のフリーランスジャーナリスト。 |
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栗林忠道
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大田昌秀
日本、沖縄の政治家、社会学者。元沖縄県知事、元社会民主党参議院議員。琉球大学名誉教授。沖縄県島尻郡具志川村(現・久米島町)出身。 |
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辻政信
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湯浅禎夫
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東京都台東区出身のタレント。スターダストプロモーション所属。血液型はAB型。愛玩動物飼養管理士2級資格・ベジタブル&フルーツマイスター資格所持。美ら島... |
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石原莞爾
昭和の陸軍軍人、最終階級は陸軍中将。栄典は勲一等・功三級。「世界最終戦論」など軍事思想家としても知られる。「帝国陸軍の異端児」の渾名が付くほど組織... |
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松浦武四郎
松浦武四郎(まつうらたけしろう、文化15年2月6日(1818年3月12日)-明治21年(1888年)2月10日は江戸時代、幕末から明治時代にかけて活動した日本の探検家、... |
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山本五十六
新潟県出身の大日本帝国海軍の軍人。26、27代連合艦隊司令長官。位階勲等は元帥海軍大将・正三位・大勲位・功一級。ソロモン戦線で米軍の攻撃によって戦死す... |
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松岡忠男
松岡忠男(まつおかただお、明治34年(1901年)4月24日-昭和61年(1986年)6月6日)は日本の教育者。元鳥取県中学校長会長、元米子市教育長。教育長在任中は... |
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プロフィール
- 八原博通とは
- 生涯
- 沖縄戦での評価
- 家族
- 参考文献
- 演じた人物
- 関連サイト
八原博通(やはらひろみち、1902年(明治35年)10月2日-1981年(昭和56年)5月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。米国通で知られ、沖縄戦で高級参謀として活躍した。
生涯
| 生家は養蚕農家(自作農)。 |
| 父・八原宇三郎は役場吏員。 |
| 父・宇三郎の生家は村一番の地主ではあったが、次男の父は役場のささやかな給料、それに一町歩近い桑畑から上る養蚕の収入で生活をまかなっていた。 |
| 水田や果樹園からの収入はごくわずかなもので、子どもがふえるに従い、自家飯米も確保できず、端境期には当時、南京米といった外米などを買わねばならぬといった状態だった。 |
| いわば、当時の平均的な貧しい農村の自作農だった。 |
| 稲垣武『沖縄悲遇の作戦異端の参謀八原博通』20頁父・宇三郎の兄は長年村長を勤めており、当時米子では最高学府であった高橋塾で漢学を学んだインテリで、村の名士といってもよい存在だった稲垣武『沖縄悲遇の作戦異端の参謀八原博通』23頁。 |
| 小学校三年のとき、母のちよのが亡くなった。 |
| 米子中学校(現米子東高校、第17期卒、同期生に湯浅禎夫)を経て、7月、陸軍士官学校(第35期)を卒業。 |
| 同年10月、歩兵少尉に任官。 |
| 歩兵第63連隊付などを経て、最年少で入学した陸軍大学校(第41期)を11月に優等(5位)で卒業、恩賜の軍刀を拝領した。 |
| 1935年11月、人事局課員(補任課)となり、陸大教官に転じ、8月、歩兵少佐に昇進し第2軍参謀に就任。 |
| 同年12月、第5軍参謀となり、陸大教官に異動。 |
| 8月、歩兵中佐に進級。 |
| 9月、大本営付仰付となり、タイ・マレー潜入、大本営参謀(作戦課)、タイ大使館付武官補佐官を歴任。 |
| 太平洋戦争が始まると、第15軍参謀としてビルマ(現ミャンマー)攻略作戦を担当した。 |
| 積極攻勢を提示し、軍司令官飯田祥二郎としばしば対立した。 |
| その後、デング熱を発症し内地へ帰還した。 |
| 回復後、陸軍大学校教官に発令され、3月、陸軍大佐に昇進。 |
| 3月20日に沖縄防衛を担う第32軍の高級参謀(作戦担当)となった。 |
| 当初は水際での積極攻勢を立案していたが、第9師団の台湾抽出後は「戦略持久」方針へ変更し、米軍の襲来に備えた。 |
沖縄戦での評価
| 沖縄戦では、司令官牛島満中将をよく補佐し、持久戦術を提案した。 |
| 当初は、航空支援下での水際撃滅戦を主眼としていたが、大本営の誤った敵情判断による防衛戦略の見直しにより、1個師団を台湾に引き抜かれる事態に及んでいたこともあり、持久戦への方針転換がもっとも堅実な作戦であった。 |
| 八原は、ただ兵力不足のため持久戦を提案したのではなく、地道な持久戦で長期間米兵に出血を強いることにより、アメリカ世論を操作し、日本の立場を有利にする考えがあったという。 |
| しかし八原戦略は表面的な武勇を尊ぶ当時の日本軍に理解されず、大本営からの攻撃の催促と長勇参謀長の直情的な思考により、米軍上陸後、約1週間で無謀な夜間突撃に切換えられた。 |
| 八原の想定どおり前線の兵力は大損害を被り、砲兵部隊の弾薬は大半を使い果たしてしまう。 |
| 嘉数高地の防衛戦、首里城攻防戦では、苦境のなかで善戦するが、損耗が激しく、雨天を利用して摩文仁高地に撤退した。 |
| ここでの持久戦によりアメリカ軍司令官サイモン・B・バックナー・ジュニア(:en:SimonBolivarBuckner,Jr.)中将の狙撃に成功し戦死させている。 |
| バックナー中将の戦死は、アメリカ軍史上、司令官クラスの初の戦死者であり、アメリカ国内世論を騒然とさせた。 |
| 『沖縄決戦-高級参謀の手記』中で八原は第九師団が引き抜かれず、自分が想定したような徹底した持久戦をおこなっておれば、終戦の日まで首里で持ちこたえることが可能で牛島司令官も死なずに済んだのではないかと回想している。 |
| 八原自身はアメリカをよく理解した上で作戦計画を立てた。 |
| そのため八原を評価したのは敵手である敵であるアメリカ軍であった。 |
| アメリカ軍は「八原戦略は日本では不換紙幣であった。 |
| 」と八原の作戦計画を高く評価している。 |
| このエピソードは伊藤正徳が『帝国陸軍の最後』でも紹介している。 |
| 作家山本七平は、敗戦後の捕虜収容所で米軍将兵が「沖縄の日本軍の作戦はスマートだった。 |
| 」「あれを徹底的にやられたら参る所だった。 |
| 」と語るのを聞いた、と書き残している。 |
| また、米陸軍戦史「最後の戦い」も、「沖縄における日本軍は、まことに優秀な計画と善謀をもって、わが進攻に立ち向かった」と述べている。 |
| これらの賞賛は、八原立案作戦の優秀さを示すものだが、大日本帝國はその才能を生かしえなかった。 |
参考文献
| 八原博通『沖縄決戦-高級参謀の手記』読売新聞社、1972年。 |
| 稲垣武『沖縄悲遇の作戦異端の参謀八原博通』光人社NF文庫ISBN4-7698-2218-9。 |
| 『勝田ヶ丘の人物誌』』(編集・勝田ヶ丘の人物誌編集委員会、発行・鳥取県立米子東高等学校創立百周年記念事業実行委員会2000年、331-335頁)。 |
| 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。 |
| 『沖縄 日本軍最期の決戦』別冊歴史読本 1992年。 |
| 『決定版 太平洋戦争8「一億総特攻」「本土決戦」への道』 学習研究社 2010年。 |
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1935年
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人事局課員(補任課)となり、陸大教官に転じ... |
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