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つながりの強いひと
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太田道灌
室町時代の武将。武蔵守護代、扇谷上杉家の家宰。摂津源氏の流れを汲む太田氏。諱は資長。扇谷上杉家家宰太田資清(道真)の子で、家宰職を継いで享徳の乱、... |
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左大臣
朝廷の最高機関、太政官の職の一つ。唐名は「左府」「左丞相」「左相国」「左僕射」「太傅(たいふ)」。和訓は「ひだりのおおいもうちぎみ/ひだりのおとど」... |
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具平親王
第62代村上天皇の第七皇子。官位は二品・中務卿。通称は後中書王、または千種殿・六条宮。 |
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三条天皇
三条天皇(さんじょうてんのう、天延4年1月3日(976年2月5日)-寛仁元年5月9日(1017年6月5日))は第67代天皇。諱は居貞(おきさだ/いやさだ)。享年42。在... |
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源高明
平安時代の公卿。醍醐天皇の第10皇子。母は源周子。法名は覚念。官位は正二位・左大臣。京都右京四条に壮麗な豪邸を建設し、西宮左大臣と呼ばれた。一世源氏... |
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醍醐天皇
父
平安時代の第60代天皇(在位:寛平9年7月13日(897年8月14日)-延長8年9月22日(930年10月16日))。はじめの諱は維城(これざね)、のちに敦仁(あつぎみ・... |
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藤原菅根
母
平安時代前期の貴族・学者。藤原南家、右兵衛督・藤原良尚の四男。字は右生。官位は従四位上・参議、贈従三位。 |
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敦明親王
第67代三条天皇の第一皇子、母は藤原済時の女・皇后藤原娍子。 |
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藤原行成
平安時代中期の廷臣。藤原北家、右少将・藤原義孝の長男。官位は正二位・権大納言。一条朝四納言の一。世尊寺家の祖。当代の能書家として三蹟の一人に数えら... |
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平忠度
平安時代の平家一門の武将。平忠盛の六男。平清盛の異母弟。 |
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広平親王
広平親王(ひろひらしんのう、天暦4年(950年)-天禄2年9月10日(971年10月1日))は平安時代の皇族で村上天皇第一皇子。母は大納言藤原元方の娘の更衣藤原祐... |
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昭平親王
平安時代の皇族。名は照平とも表記する。村上天皇の第5皇子で、母は更衣藤原正妃(まさひめ、左大臣藤原在衡の娘)。妻は右近衛少将藤原高光(藤原師輔の8男... |
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藤原佐理
平安中期の能書家・公卿。藤原北家小野宮流、太政大臣・藤原実頼の孫、左近衛少将・藤原敦敏の子。官位は正三位・参議。 |
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致平親王
平安時代の皇族。村上天皇の第三皇子、母は更衣正妃(左大臣藤原在衡女)。冷泉天皇・円融天皇らの異母兄弟。同母兄弟姉妹に保子内親王(藤原兼家室)・昭平... |
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源師房
平安時代中期の公家・歌人。村上源氏の祖。村上天皇の皇子具平親王の子。中院流祖。従一位・右大臣。土御門右大臣と号した。幼名は万寿宮。 |
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大田道灌
「 大田道灌 」グループ 大田道灌を ガイドミー グループ 教えて!ガイドミー 掲示板
画像ロード中... 2011年07月17日22時53分更新
大田道灌公の墓の地図 ... |
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村上天皇
平安時代中期の第62代天皇(在位:天慶9年4月28日(946年5月31日)-康保4年5月25日(967年7月5日))。諱は成明(なりあきら)。 |
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源朝臣
●諸経歴とか
本名:源朝臣なんたらかんたら ああ、源朝臣新田かんたら と書かれる事もあるかな?
忌名:書くわけねーじゃん。
法名:たぶん 妙心なんたらかん... |
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朱雀天皇
朱雀天皇(すざくてんのう、延長元年7月24日(923年9月7日)-天暦6年8月15日(952年9月6日)、在位:延長8年11月22日(930年12月14日)-天慶9年4月13日(946... |
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藤原道長
藤原道長(ふじわらのみちなが)は平安時代中期の公卿。従一位・摂政・太政大臣・准三后。京都生まれ。藤原兼家の五男(四男という説もある)で、母は摂津守... |
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プロフィール
兼明親王(かねあきらしんのう、延喜14年(914年)-永延元年9月26日(987年10月21日))は平安時代の皇族。 醍醐天皇の第十六皇子で母は 藤原菅根の娘淑姫。 朱雀天皇、 村上天皇、 源高明の異母兄弟。一時期臣籍降下して、源兼明(みなもとのかねあきら)と名乗る。博学多才で前中書王と呼ばれ甥の後中書王・ 具平親王と共に並び称される。官位は一品中務卿。御子 左大臣とも。 藤原佐理、 藤原行成と共に三蹟の一人と ...
人物
| 承平2年(932年)、源姓を賜り臣籍降下し、初叙従四位上。 |
| その後播磨権守・右近衛中将・左近衛中将等を経て、天慶7年(944年)、参議。 |
| その後も順調に累進し権中納言、中納言、従二位大納言を歴任する。 |
| 天禄2年(971年)には左大臣となる。 |
| 貞元2年(977年)、源昭平を名乗っていた昭平親王とともに勅により親王に復し、57年ぶりに皇籍に復帰。 |
| 二品中務卿に任じられる。 |
| 寛和2年(986年)、中務卿を辞し、その後は嵯峨に隠棲する。 |
| 『江談抄』『本朝文粋』に詩文を残す。 |
| 勅撰和歌集入集は後拾遺和歌集の1首のみ。 |
| 『古今和歌六帖』の撰者に有力視されている。 |
| 寛和2年(986年)兼明親王が嵯峨野の亀山に山荘(雄倉殿)造営の際清泉が無いのを嘆き、亀山の神に祈って霊泉を得られたことが『本朝文粋』に記されている。 |
| 後に亀山には後嵯峨上皇が仙洞亀山殿を造営した。 |
| 親王の別称に御子左大臣・御子左があるが、これは『醍醐天皇の皇子(御子)である左大臣』という意味。 |
| 後世、親王の邸宅に藤原長家が住したため家号となり御子左家となった。 |
| 長家を御子左大納言という。 |
| 兼明親王が皇族に復帰させられたのは、藤原兼通・兼家兄弟の争いに関係している。 |
| 兼通は、弟兼家に一時期廟堂の席次を先んじられたことを深く恨みに思い、自らが関白内大臣になった際、兼家を大納言に据えおき、従兄弟にあたる藤原頼忠を相談相手とした。 |
| そして頼忠を左大臣に引き上げるため、当時その座にあった兼明親王がとばっちりを受けたのである。 |
| 更に円融天皇も異母兄源昭平の皇族復帰を考えており、これを併せて行うことで兼明の復帰を認めたとされている。 |
| これに憤慨した兼明親王は、後に『本朝文粋』に収録された詩「莵裘賦」の中で、「君昏くして臣諛ふ」と円融天皇や兼通、頼忠を痛烈に非難している。 |
親王の歌
| 七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞかなしき (後拾遺1154)。 |
| 太田道灌のエピソードとしても知られる。 |
| この歌を題材に取った古典落語の演目に「道灌」というものがある。 |
系図
| 母:藤原淑姫(参議藤原菅根の娘)-更衣。 |
| 妻:伊勢守衆望の娘(姓不明)。 |
| 男子:源伊陟(938-995)-正三位・中納言。 |
| 男子:源伊行。 |
| 兄:長明親王(913-953)。 |
| 弟:源自明(918-958)-正四位下・参議。 |
| 妹:英子内親王(921-946)-斎宮。 |
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