| 1989年4月6日にデビュー(ハツマドンナに騎乗、7着)。 |
| 初勝利は同年5月7日に挙げる。 |
| 当初は松浦備厩舎所属。 |
| 初重賞勝利は1991年12月30日ドラールオウカンに騎乗したロジータ記念。 |
| その後赤間清松厩舎へ移籍して赤間師の下で徹底的に鍛えられ、1990年代には「追える若手騎手」として南関東地区では知られる存在であったが、的場文男や石崎隆之をはじめとする南関東のトップジョッキーたちの中にあっては影が薄かった。 |
| また、自身の騎乗馬で重賞を勝つチャンスがありながら騎乗停止処分でレースに騎乗できなくなり、乗り替わった騎手に重賞を勝たれたこともあった1992年東京大賞典:ドラールオウカン→堀千亜樹、1997年帝王賞:コンサートボーイ→的場文男。 |
| しかし2000年頃から南関東リーディングの上位に進出するようになり、リーディングトレーナーである船橋・川島正行厩舎の主戦騎手として、2004年には385勝(ほかJRA28勝)を挙げ的場-石崎時代に終止符を打つ初の南関東リーディング獲得、同時に初の全国リーディング獲得でNARグランプリ最優秀騎手賞受賞。 |
| 2005年には465勝(他に中央競馬(JRA)で31勝)をあげ、2年連続の南関東リーディングジョッキーとなった。 |
| その上、南関東地区の4競馬場(大井競馬場、川崎競馬場、船橋競馬場、浦和競馬場)全てで各競馬場でのリーディングをも獲得している従来は石崎、的場のどちらかが南関東のリーディングであっても、それぞれ自らの所属する競馬場でのリーディングだけは相手に譲らないなど「完全制覇」をすること自体がまれであり、これは佐々木竹見以来の偉業である。 |
| 同年には通算2000勝を達成し、名実共に現代の地方競馬を代表する騎手の一人となった。 |
| また、同年3月26日に開催されたドバイワールドカップにはアジュディミツオーと共に地方競馬からの初参戦を果たすが6着に終わった。 |
| 2006年にはまずアジュディミツオーとのコンビで同年春の南関東古馬統一GIを完全制覇川崎記念、かしわ記念、帝王賞の3競走。 |
| さらにジャパンダートダービーをも制し、7月18日には通算2500勝を達成。 |
| これは南関東史上9人目、南関東現役では4人目の記録である。 |
| そして佐々木竹見の不滅の金字塔と言われた3年連続400勝突破を達成。 |
| 12月の全日本2歳優駿をも制し、これが年間500勝目の勝ち鞍となり、12月18日の浦和競馬場の第11競走で1番人気のトーセンマンボに騎乗して勝利、佐々木の持つ年間505勝の日本記録を遂に塗り替え、最終的には524勝まで勝ち星をのばした。 |
| なお内田の勝利数は地方競馬・中央競馬合わせての通算であり、佐々木は全て南関東での勝ち鞍であるため、地方競馬のみの勝利数ではなお佐々木が上回っている。 |
| ただし、現在は佐々木の時代には無い一日に騎乗できるレースは8レースまでという騎乗制限がある。 |
| また、505勝を達成した時点での勝率は内田が上回っている。 |
| 2007年、9月5日に大井競馬場で史上16人目となる地方競馬通算3000勝を達成。 |
| 2008年度のJRA騎手免許試験を受験することを宣言。 |
| 2008年、すでに中央競馬で2年連続20勝を達成しており、1次試験免除の内規はクリアしているので2月上旬に行われた2次試験を受験し、合格。 |
| 3月1日付で日本中央競馬会所属騎手となった。 |
| 地方競馬全国協会の騎手として最後の大井競馬場での騎乗となった2月22日には壮行会が行われ |
| 地方競馬全国協会の騎手として最後の騎乗レースは同日のエンプレス杯となり(ラピッドオレンジに騎乗して6着)、中央移籍までに地方競馬通算17680戦3153勝の成績を残した。 |
| 中央競馬の初騎乗は1995年3月4日から2日間にわたって開催された「ヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップ」で、以降も騎乗機会を確保できれば中央へ積極的に参戦する姿勢を見せていた。 |
| 重賞は2003年の共同通信杯をラントゥザフリーズで、2005年のニュージーランドトロフィーをマイネルハーティーで制している。 |
| 2005年の朝日杯フューチュリティステークスではスーパーホーネットに騎乗して2着となった。 |
| 2006年、3月4日の中山競馬第11競走で同年より重賞となったオーシャンステークスを船橋競馬所属のネイティヴハートで16頭立ての14番人気という低評価を覆して勝利。 |
| さらには同年4月2日の中山競馬で、地方競馬所属騎手として初の12競走中6勝するという快挙を成し遂げ、8月20日の新潟競馬第7競走でアナナスに騎乗しJRA通算100勝を挙げた。 |
| 9月30日にはJRA年間56勝を達成し、それまで安藤勝己が有していたJRA所属外騎手最多勝記録である55勝を更新した。 |
| この年はそれから5勝を上げてJRA年間勝利数を61まで伸ばし、中央競馬リーディング16位の成績を残した。 |
| 年末には有馬記念にドリームパスポートで参戦。 |
| 同馬にとって初めての馬券圏外となる4着に敗れ去っている。 |
| 2007年、2月18日のフェブラリーステークスで、船橋競馬所属のアジュディミツオーに騎乗し14着に敗れるが、同年5月6日のNHKマイルカップ(JpnI)ではピンクカメオに騎乗し、初めて大井競馬ならびに南関東公営競馬所属騎手としては初。 |
| 地方競馬所属騎手としては菅原勲(水沢所属)、岩田康誠(園田所属・当時)に次ぐ3人目。 |
| の中央競馬GI級競走を制覇した。 |