207643
1099238
2262371
%E5%86%85%E8%97%A4%E9%B3%B4%E9%9B%AA
%E5%86%85%E8%97%A4%E9%B3%B4%E9%9B%AA
%E5%86%85%E8%97%A4%E9%B3%B4%E9%9B%AA
%E5%86%85%E8%97%A4%E9%B3%B4%E9%9B%AA
%E5%86%85%E8%97%A4%E9%B3%B4%E9%9B%AA
0
|
|
|
ネットワーク
|
タグ
タグはありません
キーワード
|
|
|
|
|
|
|
|
|
関連商品
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
正岡子規
日本の俳人、歌人、国語学研究家である。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。俳句、短歌、新体詩、小説、... |
|
|
高浜虚子
高浜虚子(たかはまきょし、1874年(明治7年)2月22日-1959年(昭和34年)4月8日)は明治・昭和期の俳人・小説家。本名・高濱清(たかはまきよし)。ホトトギ... |
|
|
河東碧梧桐
日本の俳人・随筆家。本名は秉五郎(へいごろう)。 |
|
|
村上鬼城
村上鬼城(むらかみきじょう、1865年6月10日(慶応元年5月17日)-1938年(昭和13年)9月17日)は日本の俳人、司法書士。本名は村上荘太郎(しょうたろう)。 |
|
|
秋山好古
日本の陸軍軍人。階級及び位階勲等功級は陸軍大将・従二位・勲一等・功二級。幼名は信三郎。陸軍騎兵学校を参観に来たフランス軍人に「秋山好古の生涯の意味... |
|
|
内藤湖南
中国に於ける時代区分論争などで学会を二分した。 |
|
|
陸羯南
日本の国民主義の政治評論家。日本新聞社長。正岡子規を育てた。幼名は巳之太郎、のち実、号が羯南。 |
|
|
尾崎放哉
日本の俳人。種田山頭火らとならぶ自由律俳句のもっとも著名な俳人の一人である。 |
|
|
内藤丈草
氏 名 よ み 略 伝 20011 内藤丈草 ないとう じょうそう 俳人・尾張犬山藩士。名は本常、通称林右衛門、号は仏幻... |
|
|
佐藤勝明
佐藤勝明 (Sato Katsuaki) 大学所属: 日本文学・文化学類 日本文学専修 大学院所属: 人文科学研究科 日本文学専攻 学系・研究室: 言語・文学系 日... |
|
|
秋山真之
大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍中将。位階勲等は従四位・勲二等・旭日重光章。幼名は淳五郎(じゅんごろう)。母は貞。実兄に「日本騎兵の父」と云わ... |
|
|
松瀬青々
松瀬 青々 (著)、茨木 和生 (著)、大阪俳句史研究会 (編集) 《妻木抄―松瀬青々句集 (新書) 》レビュー:
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
松瀬 青々
明... |
|
|
柳原極堂
柳原極堂(やなぎはらきょくどう、慶応3年2月11日(1867年3月16日)-昭和32年(1957年)10月7日)は愛媛県出身の俳人である。 |
|
|
与謝蕪村
江戸時代中期の日本の俳人、画家。本姓は谷口、あるいは谷。「蕪村」は号で、名は信章通称寅。「蕪村」とは中国の詩人陶淵明の詩「帰去来辞」に由来すると考... |
|
|
星野立子
昭和期の俳人。高浜虚子の次女。夫は星野天知の息子・星野吉人。東京府麹町区富士見町(現・東京都)出身である。東京女子大学高等学部卒業。1930年女性初め... |
|
|
森鴎外
明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、劇作家、陸軍軍医(軍医総監=中将相当)、官僚(高等官一等)。位階勲等は従二位・勲一等・功三級・医学博士・文学... |
|
|
松尾芭蕉
江戸時代前期の俳諧師。現在の三重県伊賀市出身。幼名は金作。通称は藤七郎、忠右衛門、甚七郎。名は宗房。俳号としては初め実名宗房を、次いで桃青、芭蕉(... |
|
|
種田山頭火
戦前日本の俳人。よく山頭火と呼ばれる。自由律俳句のもっとも著名な俳人の一人。1925年に熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度して耕畝(こうほ)と改名。本名・... |
|
|
プロフィール
- 内藤鳴雪とは
- 生涯
- 単行本
- 俳句集を載せた文学全集類
- 参考文献
- 関連サイト
内藤鳴雪(ないとうめいせつ、1847年5月29日(弘化4年4月15日)-1926年(大正15年)2月20日)は、幕末の伊予松山藩の武士、明治期の官吏、明治・大正期の俳人。幼名助之進、元服して師克(もろかつ)、のち素行(もとゆき)。俳号の『鳴雪』は、『何事も成行きに任す』の、当て字という。
生涯
| 伊予松山藩の上級武士内藤房之進と八十(やそ)の長男として、藩の江戸中屋敷に生まれた。 |
| 8歳のときから父に漢籍を教わり、また、草双紙類を好み、寄席や義太夫も知った。 |
| 1857年(安政4年)(11歳)、父の転勤で一家の故郷松山に移り、藩校明教館で漢学を学び、また、剣術も習ったが、『武』よりは『文』に優れた。 |
| 翌年房之進が京都の留守居役となり、一家が8ヶ月だけ京都に住んだ時期にも、若党に芝居・寄席・義太夫へ連れられた。 |
| その後も長く芝居好きだった。 |
| 1863年(文久3年)(17歳)、元服して師克を名乗り、幹部の卵として明教館に寄宿し、大原武右衛門(正岡子規の母方の祖父)に漢詩を学んだ。 |
| 1864年藩主の嗣子松平定昭の小姓となり、翌年の第二次長州征伐に従った。 |
| 1867年(慶応3年)、隠居した前藩主松平勝成の側付となった。 |
| (春日)チカを娶った。 |
| 1867年(慶応3年)、命じられて京都の水本保太郎の塾に学び、翌年水本の転勤に従って東京の昌平坂学問所へ入寮した。 |
| 1869年、松山に戻り権少参事として明倫館の学則改革に携わった。 |
| 1872年、学区取締となり、小学校・中学校の拡充に努めて、県令岩村高俊に認められた。 |
| 1877年には、広島・岡山・山口・島根の連合教育会の議長に推された。 |
| 1880年(明治13年)(33歳)、文部省へ転じ、累進して1886年、書記官・往復課長となった。 |
| 旧藩主久松家の諮問員に加わり、常盤会 |
| 東京に学ぶ松山の子弟の寮である。 |
| 1890年、参事官兼普通学務局勤務となって、翌年退官し、寄宿舎監督を続けた。 |
| 寄宿生の、正岡子規・竹村黄塔・その弟の河東碧梧桐・五百木瓢亭・勝田主計らに、漢詩の添削をしてやった。 |
| 1892年、21歳年下の子規を、俳句の師とした。 |
| 子規の紹介で、伊藤松宇らの互選句会『椎の友』に加わった。 |
| 俳風は、人柄そのままに恬淡・洒脱だった。 |
| 鳴雪の号のほか、南塘・破蕉・老梅居も用いた。 |
| 1893年、久松家から旧藩事蹟取調を嘱託された。 |
| 1897年(明治31年)(50歳)、高浜虚子が東京で続刊したホトトギスの投句を選び、『老梅居雑話』ほかを掲載し、また、万朝報・読売新聞・中外商業新報・日本人・日本及日本人・太陽などの俳句選者を輪番的に勤めた。 |
| 知られていなかった与謝蕪村の句集を探し合い、輪講してホトトギスに掲載した。 |
| 1907年に舎監をやめた後も、寮の世話役でいた。 |
| 愛媛県教育協会の名誉会員を勤め、また、史談会の中心にもなった。 |
| 1917年(大正9月)(70歳)、旧寮生の発議による寿碑 |
| その事の前に、東京では祝賀の演能が催され、『自然居士』のシテを高浜虚子が、ワキを河東碧梧桐が舞った。 |
| 1925年、肋膜炎を病み、軽い脳溢血で臥床し、翌年、麻布笄町(現・西麻布四丁目)の自宅で没した。 |
| 『天真院鳴雪素行居士』。 |
| 故人が1919年に青山霊園に設けた墓所へ、葬られた。 |
| 只たのむ湯婆一つの寒さかな。 |
単行本
| 列記の→印の後ろは、復刻・改版・新版。 |
| 『俳句独習』、大学館俳句入門叢書1(1904.1)。 |
| 『春夏芭蕉俳句評釈』、大学館俳句入門叢書4(1904.5)→「『芭蕉研究資料集成明治篇作品研究1』、クレス出版(1992.6)」に収録。 |
| 『秋冬芭蕉俳句評釈』、大学館俳句入門叢書5(1904.6)。 |
| 『七部集俳句評釈』、大学館俳句入門叢書9(1905.6)→「『芭蕉研究資料集成明治篇作品研究4』、クレス出版(1992.6)」に収録。 |
| 寒川鼠骨と共著:『春夏大家規範俳句集』、大学館俳句入門叢書7(1905.7)。 |
| 寒川鼠骨と共著:『秋冬大家規範俳句集』、大学館俳句入門叢書10(1905.12)。 |
| 共著:『蕪村遺稿講義』、俳書堂(1905-1907)(『春之部』『夏之部』『秋之部』『冬之部』の5冊)。 |
| 『春夏蕪村七部集俳句評釈』、大学館初学俳句叢書5(1906.7)→「『蕪村研究資料集成作品研究3』、クレス出版(1993.9)」に収録。 |
| 『元禄二十家俳句講義』、俳書堂(1906.7)。 |
| 『秋冬蕪村七部集俳句評釈』、大学館初学俳句叢書6(1906.12)→「『蕪村研究資料集成作品研究3』、クレス出版(1993.9)」に収録。 |
| 『老梅居俳句問答上下』、俳書堂(1907.4)。 |
| 『老梅居雑著』、俳書堂(1907.5)。 |
| 『鳴雪俳話』、博文館(1907.11)。 |
| 『鳴雪句集』、俳書堂(1909.1)。 |
| 『俳句作法』、博文館通俗作文全書23(1909.3)。 |
| 『鳴雪俳話と評釈』、博文館(1909.11)。 |
| 共著:『蕪村句集講義』、ホトトギス発行所・俳書堂(1900-1911)→「『平凡社東洋文庫』全3巻、(2010.12)より刊」。 |
| 『春之部』『夏之部』『秋之部』『冬之部』の分冊と『春夏秋冬』との5冊。 |
| 『太祗俳句評釈上下』、大学館初学俳句叢書19、20(1910.11)。 |
| 『中外俳句抄』、求光閣書店(1914)。 |
| 『蕪村句集講義春之部』、籾山書店(1914)。 |
| 『鳴雪俳句鈔』、実業之日本社(1915.4)。 |
| 鳴雪等輪講:『子規句集講義』、俳書堂(1916.5)→4版、友善堂(1926)。 |
| 『俳句のちかみち』、広文堂(1916.6)。 |
| 武田鶯塘と共著:『句評及俳話』、雲泉堂(1916.10)。 |
| 『秀抜六千句』、南北社(1917.8)。 |
| 『俳句はいかに作りいかに味ふか』、アルス(1920)。 |
| 『俳句評釈』、大日本俳句講習会(1921.2)。 |
| 『鳴雪自叙伝(附録鳴雪俳句抄録)』、岡村書店(1922.6)→青葉図書(1976.12)→岩波文庫(2002.7)。 |
| 佐藤紅緑と共著:『新しき俳句と其作法』、金鈴社(1923.6)。 |
| 松浦為王編:『鳴雪俳句集』、春秋社(1926.6)。 |
| 『俳話』、大東出版社大東名著選39(1942)。 |
俳句集を載せた文学全集類
| 『現代日本文学全集91現代俳句集』、筑摩書房(1973)。 |
| 『現代日本文学大系95現代句集』、筑摩書房(1973)。 |
| 『日本近代文学大系56近代俳句集』、角川書店(1974)。 |
| 『現代俳句集成2』、河出書房新社(1982.8)。 |
| 『群馬文学全集15』、群馬県立土屋文明記念文学館(2001.3)。 |
参考文献
| 阿部里雪:『新編子規門下の人々』、愛媛タイムス社(1961)→愛媛新聞社(2004)。 |
| 昭和女子大学近代文学研究室:『近代文学研究叢書25』、昭和女子大学近代文学研究室(1966)。 |
| 畠中淳:『松山子規会叢書17内藤鳴雪』、松山子規会(1985)。 |
| 稲村徹元:『近代作家追悼文集成20滝田樗陰内藤鳴雪』、ゆまに書房(1992)。 |
| 内藤鳴雪:『鳴雪自叙伝』、岩波文庫(2002)。 |
|
1847年
|
内藤鳴雪(ないとう めいせつ、(弘化4年4月1... |
|
1869年
|
松山に戻り権少参事として明倫館の学則改革に... |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
内藤鳴雪さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|