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つながりの強いひと
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阿仏尼
母
右衛門佐(うえもんのすけ)。実父母は不明。武士である平度繁(たいらののりしげ)の養女となる(ただし平度繁の養女ではなく実の娘であるとする見解もある)。 |
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藤原定家
鎌倉時代初期の公家・歌人。諱は「ていか」と有職読みされることが多い。藤原北家御子左流で藤原俊成の二男。最終官位は正二位権中納言。京極殿または京極中... |
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二条為氏
鎌倉時代中期の公卿・歌人。藤原北家御子左家の嫡流で、権大納言藤原為家の長男。官位は正二位・権大納言。藤原為氏ともいう。和歌の家である二条家(二条派... |
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京極為教
鎌倉時代中期の公家・歌人。藤原北家御子左流、権大納言藤原為家の三男。官位は従二位・右兵衛督。京極家(入江家)の祖。法名は明正・明心。号は毘沙門堂。 |
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冷泉為守
鎌倉時代後期の公家・歌人。藤原為家の子。母は阿仏尼。法名は暁月房(ぎょうげつぼう)。官位は正五位下侍従に昇るが、40歳頃に出家して鎌倉など東国に住ん... |
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藤原為家
父
鎌倉時代中期の公家・歌人。父は藤原定家。官位は正二位・権大納言。別称は中院禅師・冷泉禅門・民部卿入道。 |
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久明親王
鎌倉幕府8代征夷大将軍。一品式部卿。第89代後深草天皇の第6皇子で、母は内大臣三条公親の娘従二位房子。妻は前将軍惟康親王の娘。正応2年(1289年)9月、前... |
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冷泉為秀
冷泉為秀(れいぜいためひで、生年不詳-応安5年/文中元年6月11日(1372年7月12日))は鎌倉時代後期から室町時代前期にかけての歌人。公卿であったが鎌倉に在... |
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藤原道長
藤原道長(ふじわらのみちなが)は平安時代中期の公卿。従一位・摂政・太政大臣・准三后。京都生まれ。藤原兼家の五男(四男という説もある)で、母は摂津守... |
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玉葉
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて執筆された、日本の公家九条兼実の日記。 |
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京極為兼
鎌倉時代後期の歌人。藤原定家に遡る和歌の家として知られる藤原御子左家の出自で、父は京極家の祖となる京極為教。母は西園寺家の家司である三善雅衡の娘。... |
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後醍醐天皇
第96代天皇(在位:文保2年2月26日(1318年3月29日)-延元4年/暦応2年8月15日(1339年9月18日))。諱は尊治(たかはる)。 |
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源頼朝
平安時代末期、鎌倉時代初期の武将である。鎌倉幕府の初代征夷大将軍として知られる。平安時代末期に河内源氏の源義朝の三男として生まれ、父・義朝が平治の... |
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足利尊氏
鎌倉時代後期から南北朝時代の武将。室町幕府の初代征夷大将軍(在職:1338年-1358年)。足利将軍家の祖。 |
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藤原俊成
平安時代後期から鎌倉時代初期の公家・歌人。名は有職読みで「しゅんぜい」とも読む。藤原北家御子左流、権中納言・藤原俊忠の子。はじめ葉室家に養子に入り... |
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冷泉貴実子
藤壺との間に冷泉院、葵の上との間に夕霧、明石の君との間に明石中宮の三人。 左大臣の娘。光源氏十二歳の時の最初の結婚相手で正妻。光源氏より四歳年上。心... |
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華族
1869年から1947年まで存在した近代日本の貴族階級のことである。公家に由来する華族を公家華族、江戸時代の藩主に由来する華族を大名華族(諸侯華族)、国家... |
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藤原長家
平安時代中期の公卿・歌人。太政大臣藤原道長の六男。母は源明子であるが、後に道長の嫡妻源倫子の養子となった。正二位・権大納言。大宮または三条を号す。... |
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二条為世
鎌倉時代後期から南北朝時代初期にかけての歌人。父は歌道二条家の祖二条為氏。母は飛鳥井教定の娘。子に為道・為藤・為宗・為躬・為冬・為子(後醍醐天皇宮... |
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北条長時
鎌倉時代中期の武将。北条氏の一門。鎌倉幕府第6代執権(在職:1256年-1264年)である。居所から赤橋長時(あかはしながとき)とも称される。 |
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プロフィール
冷泉為相(れいぜいためすけ、弘長3年(1263年)-嘉暦3年7月17日(1328年8月22日))は、鎌倉時代中期から後期にかけての公卿、歌人。父は 藤原為家。母は 阿仏尼。異母兄に 二条為氏(二条派の祖)、 京極為教(京極派の祖)が、同母弟に 冷泉為守がいる。子に冷泉為成、 冷泉為秀などがいる。正二位、権中納言。初名は為輔。冷泉家の祖。
生涯
| 父は朝廷に仕える中級の公家で、母は桓武平氏流の武士である平度繁の娘(養女)であった。 |
| 父為家が建治元年(1275年)に死去した後、所領であった播磨国細川庄や文書の相続の問題で異母兄の為氏と争い、為相の実母である平度繁の娘(養女)阿仏尼が鎌倉へ下って幕府に訴えている(この間の事情は『十六夜日記』に詳しい)。 |
| また、為相も度々鎌倉へ下って幕府に訴え勝訴するが、その際に鎌倉における歌壇を指導し、「藤ヶ谷式目」を作るなどして鎌倉連歌の発展に貢献している。 |
| その一方、京都の京極派の歌合や『文保百首』などにも参加している。 |
| また娘の一人は鎌倉幕府八代将軍である久明親王に嫁ぎ久良親王を儲けている。 |
| こうした関係から晩年は鎌倉に移住して将軍を補佐し、同地で薨去している。 |
| 『新後撰和歌集』以下の勅撰和歌集に入集している。 |
| 家集には2種類の『為相百首』や『藤谷和歌集』がある。 |
| なお、冷泉家の分家に藤谷家があるが、藤谷家の家名は為相が鎌倉の藤ヶ谷(ふじがやつ)に関東における別宅を構えたことに由来する。 |
| 為相は山城国の他の公家からは、藤谷黄門(ふじたにこうもん)と呼ばれ、公家でありながら幕府と非常に親しい関係にあった。 |
| 神奈川県鎌倉市の浄光明寺に葬られる。 |
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1275年
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死去した後、所領であった播磨国細川庄や文書... |
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冷泉為相さんについてのひとこと紹介
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