| 東郷小学校在校時、4歳年上の兄の影響でサッカーを始める。 |
| ビデオがきっかけでマラドーナに憧れ、繰り返しビデオを見てはドリブルの練習に明け暮れる毎日を送り「東郷少年サッカー団」加入。 |
| 3年生時に初恋。 |
| 女子生徒がどのように警戒、防御しようとも持ち前のフェイントを活かしてスカートめくりを成功させていた。 |
| 5年生時、県大会ベスト4。 |
| 6年生時、県代表として全国大会出場。 |
| 東郷中学校進学、同校は当時サッカー部が無かったため陸上部に所属、中学1年生時に駅伝大会で1位。 |
| 後、父兄の協力で中学2年生頃にサッカー部の創部にこぎつけて活躍、その頃から県選抜に選ばれるなど、名前を知られるようになる。 |
| 1992年、鹿児島実高からJリーグの横浜フリューゲルス(横浜F)に入団。 |
| 当時、横浜Fは長崎県、熊本県、鹿児島県の3県を特別活動地域(ホームタウンに準じる地区)としていたこともあって、地元出身の前園をチームの看板選手としてPRする狙いもあったようだ。 |
| 1994年にはアトランタオリンピックを目指すU-21日本代表に選出されるとともに、ファルカンに見いだされてA代表にも選出され、2つの代表チームを掛け持ちすることになった。 |
| 1995年には日本サッカー協会の方針によりアトランタオリンピックアジア地区予選に専念することとなり、チームの主将として日本の28年ぶりとなるオリンピック出場に貢献した。 |
| 1996年、アトランタオリンピック本大会に出場、ブラジルを破るなどし、サッカーファンに限らず広く注目されることとなる。 |
| かねてから日本国外でのプレーを希望し、そのための絶好のアピールの舞台と公言していたが、自身が目指している攻撃的なサッカーで世界の強豪との勝負ができず、守備偏重でグループリーグで2勝を挙げたものの結果として得失点差により敗退してしまったことで、より攻撃的なサッカーをする国外で自らの力を試したいという意識を強く持つようになる。 |
| また、これに前後してオリンピックの始まる前、6月にスペインリーグのセビージャから関係者が来日し、横浜Fと移籍交渉を行っている。 |
| まだ当時は有力選手の国外移籍は前例に乏しく、Jリーグのほとんどのチームが消極的であったことが背景にあったが、あくまでアジアの知名度の低い国の若手選手というセビージャ側の評価と、チームの看板選手である前園を安易に移籍させるわけにはいかない横浜F側のチーム事情とが合致せず、この話はなくなる。 |
| ついに同年シーズンオフには、スペインへの移籍が叶わずクラブに不信感を募らせた前園と国外移籍の決断を渋る横浜Fとの間で契約交渉が暗礁に乗り上げ、とうとう移籍リストに掲載されるに至った。 |
| このとき、三浦知良の国外移籍を容認した前例のあるヴェルディ川崎(V川崎)から獲得希望があり、2ヶ月にわたる紆余曲折の末V川崎への移籍が決定した。 |
| この時の移籍金は、当時Jリーグ最高額の推定3億5千万円。 |
| 前園自身は移籍記者会見の席で、V川崎が国外移籍を容認したことを移籍理由のひとつに挙げた。 |
| しかし、V川崎が世代交代のさなかでチームの力が低下していたことに加え、前園本人も移籍問題に端を発する内外からのプレッシャーから体調管理に問題を抱え、クラブで力を発揮しきれずにいる間に日本代表での定位置を失う。 |
| それにより、本来活躍が期待されたフランスW杯アジア最終予選及び本大会にも代表に招集されず、その後日本サッカー界の表舞台から姿を消すことになる。 |
| 1998年のシーズン途中からブラジルの全国リーグ1部のサントスFCにレンタル移籍。 |
| すぐさま出場機会を得てゴールを決めるなど活躍が期待されたが、1999年には同じブラジルのゴイアスECにレンタル移籍した。 |
| その後も欧州挑戦の夢は絶ちがたく、1999年秋にはポルトガルのギマランイス、冬にはギリシャのPAOKサロニカと接触したが、ともに本契約には至らなかった。 |
| 2000年シーズンに加藤久の仲介によってJ2の湘南ベルマーレで国内リーグ復帰を果たし、2001年には本所属である東京ヴェルディに戻ったが、残留争い中、闘志溢れる飛び出しでディフェンスと衝突し勝ち点を取るゴールを奪ったが骨折。 |
| その為2002年構想外となりシーズン途中に解雇となった。 |
| 2003年に、韓国・Kリーグの安養LGチータースに移籍。 |
| 2004年に同じKリーグの新チーム・仁川ユナイテッドFCと契約したが、2004年末で契約が解除された。 |
| その後、2005年にセルビア・モンテネグロ1部リーグのOFKベオグラードの入団テストを受けるなどするものの本契約には至らずに5月19日、引退を表明。 |
| 現在はテレビ東京サッカー解説者、日本テレビの高校サッカー選手権中継で解説者を務める一方、少年サッカーの普及促進活動などにも参加している。 |
| 2007年からはJFAアンバサダーとしても活躍している。 |
| また、サッカー普及活動の一環として、幼稚園児から小学生までを対象とした「ZONOサッカースクール」を、東京体育館、神宮外苑、フットサルポイント川口、JOフットサルベース越谷、フットサルステージ町田、FUEL鎌ヶ谷等で実施している。 |
| 2008年には中田英寿の立ち上げた元サッカー選手で構成するサッカーチーム「TAKEACTIONFC.」の一員となっている。 |
| 2009年にはビーチサッカー日本代表に選出され、10月に行われたポルトガル代表との親善試合に2試合出場した「 |
| これについて、テレビ番組『STHESTORIES』のインタビューで「ワールドカップという舞台でプレーすることはなかったので、やっぱり日の丸を背負って戦うと興奮するし、本当に嬉しかった」と喜びを語っている『STHESTORIES』第132話Aから始まる物語「夢の舞台へ」(AGAIN)-前園真聖テレビ朝日系列2010年9月11日放送より。 |