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つながりの強いひと
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杉田玄白
江戸時代の蘭学医。若狭国小浜藩(福井県)医。私塾天真楼を主催。父は杉田玄甫、母は八尾氏の娘。諱は翼(たすく)、字は子鳳、号は鷧、晩年に九幸翁。杉田... |
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中川淳庵
中川淳庵(なかがわじゅんあん/じゅんなん、元文4年(1739年)-天明6年6月7日(1786年7月2日)は江戸時代中期の医者・本草学者・蘭学者。はじめ純安と名乗る... |
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大槻玄沢
仙台藩の支藩一関藩(田村氏領)出身の江戸時代後期の蘭学者。名は茂質(しげかた)、字は子煥(しかん)。磐水(ばんすい)と号す。『解体新書』の翻訳で有... |
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青木昆陽
師事
江戸時代中期の儒学者、蘭学者である。名は敦書、字は厚甫、通称は文蔵、昆陽と号した。 |
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桂川甫周
医師及び蘭学者。名は国瑞(くにあきら)であり、甫周は通称である。月池・公鑑・無碍庵などの号を用い、字は公鑑。父桂川家3代目桂川甫三は、前野良沢、杉田... |
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平賀源内
平賀源内(ひらがげんない、享保13年(1728年)-安永8年12月18日(1780年1月24日))は江戸時代の日本の本草学者、蘭学者、医者、作家、発明家、画家(蘭画家... |
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大黒屋光太夫
大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう、宝暦元年(1751年)-文政11年4月15日(1828年5月28日))は江戸時代後期の伊勢国白子(現三重県鈴鹿市)の港を拠点とし... |
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大村益次郎
幕末期の長州藩の医師、西洋学者、兵学者である。維新の十傑の一人に数えられる。長州征討と戊辰戦争で長州藩兵を指揮し、勝利の立役者となった。太政官制に... |
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高山彦九郎
友達
江戸時代後期の尊皇思想家である。父は高山良左衛門正教、母はしげ。兄は高山正晴。妻はしも後にさき。子に高山義介ほか娘など。林子平・蒲生君平と共に、「... |
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小田野直武
小田野直武(おだのなおたけ、寛延2年12月11日(1750年1月18日)-安永9年5月17日(1780年6月19日))は江戸時代中期の画家。秋田藩士。通称を武助。平賀源内... |
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志筑忠雄
江戸時代長崎の蘭学者、阿蘭陀稽古通詞(のち辞職)。 |
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吉雄耕牛
日本の江戸時代中期のオランダ語通詞(幕府公式通訳)、蘭方医。諱は永章、通称は定次郎、のち幸左衛門。幸作とも称する。号は耕牛のほか養浩斎など。父は吉... |
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山脇東洋
江戸時代の医学者。実験医学先駆者の一人。東洋は後の号で、はじめは移山。名は尚徳、字は玄飛、子飛。子に山脇東門、門下に永富独嘯庵らがいる。 |
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本居宣長
江戸時代の国学者・文献学者・医師。名は栄貞。通称は、はじめ弥四郎、のち健蔵。号は芝蘭、瞬庵、春庵、自宅の鈴屋(すずのや)にて門人を集め講義をしたこ... |
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奥平昌鹿
江戸時代中・後期の大名・国学者。豊前国中津藩第3代藩主。中津藩奥平家7代。2代藩主・奥平昌敦の長男。母は牧野貞通の娘・菊子。正室は阿部正允の娘。子に奥... |
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石川玄
清和源氏明鑑 著者名: 石川玄 冊数: 1冊 刊行年: 昭7 No. 5698 価格: 15,000円 連想検索による関連商品
甲斐源氏と武田氏
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伊能忠敬
江戸時代の商人・測量家である。1800年(寛政12年)から1816年(文化13年)まで、足かけ17年をかけて全国を測量し大日本沿海輿地全図を完成させ、日本国の歴... |
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寛政の三奇人
友達
江戸時代の寛政期に活躍した、傑出した人物三人のこと。「奇」は「優れた」という意味であり、「奇妙な人物」という意味ではない。林子平-経世論家高山彦九郎... |
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渡辺崋山
江戸時代後期の武士、画家。三河国田原藩(現在の愛知県田原市東部)の藩士であり、のち家老となった。通称は登(のぼり・ただし一部の絵には「のぼる」と揮... |
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プロフィール
- 前野良沢とは
- 経歴
- 著書
- 前野良沢が登場する作品
- 参考文献(和文)
前野良沢(まえのりょうたく、享保8年(1723年)-享和3年10月17日(1803年11月30日))は、豊前国中津藩(現在の大分県中津市)の藩医で蘭学者。『解体新書』の主幹翻訳者の一人。良沢は通称で、名は熹(よみす)、字は子悦、号は楽山、のちに蘭化。
経歴
| 福岡藩江戸詰藩士・谷口新介の子として、おそらく江戸で生まれる。 |
| 幼少で両親を亡くしたため、母方の大叔父で淀藩の医者宮田全沢に養われる。 |
| 全沢は『医学知津』という医書を描くほど博学だったが、奇人で「世の中には捨ててしまうと絶えてしまうものがある。 |
| 流行りものはどうでもいいから、廃れてしまいそうなものを習い覚えて、後の世に残すよう心がけよ」と教えたという。 |
| ついで全沢の妻の実家で中津藩の医師前野家の養子となり、吉益東洞の古医方を学ぶ。 |
| そのかたわら、世に廃れそうな一節切を稽古しその秘曲を極め、猿若狂言の稽古に通う時もあった。 |
| 1769年(明和6年)同じ藩の知人からオランダ書物の切れ端を見せられ、国が異なり言葉が違っても同じ人間だから理解出来ないことはないだろう、と蘭学を志す。 |
| 晩年の青木昆陽に師事した後、1770年(明和7年)藩主の参勤交代について中津に下向した際、長崎へと留学した。 |
| 留学中に手に入れた西洋の解剖書『ターヘル・アナトミア』を杉田玄白、中川淳庵、桂川甫周ら盟友と3年5ヶ月で翻訳し『解体新書』を編纂した。 |
| しかし、解体新書発行当時、その業績は知られておらず(発行時に名を出したのは杉田玄白他数名)その存在が知られるのは解体新書の翻訳作業の困難を記した杉田玄白の『蘭東事始(蘭学事始)』を待たねばならなかった。 |
| 良沢が解体新書に自らの名を出さなかったのは、その翻訳の不備(とはいえ、当時の日本の語学水準からすれば、その翻訳は奇跡に近い完成度を誇っていた)を自らがよく解っており、これを恥として許すことができなかったためと言われている。 |
| また一説としては、蘭学に対する幕府の対応が微妙でもあったため、万が一の際に、最も蘭語に通ずる良沢に咎が及ぶのを避けるためと、前説の訳の不備に対する良沢の気持ちを杉田が酌み取ったためともされている。 |
| その後、蘭学に対する真摯な姿勢より、藩主奥平昌鹿より「蘭学の化け物」と賞賛され、これを誉とし「蘭化」と号する。 |
| 寛政の三奇人のひとり高山彦九郎とは親しかった。 |
| 娘の嫁ぎ先である幕府医師・小島家に於いて没した。 |
| 弟子に司馬江漢、大槻玄沢などがいる。 |
著書
| 『和蘭訳筌』。 |
| 『蘭語随筆』。 |
| 『管蠡秘言』。 |
| 『魯西亜本記略』。 |
参考文献(和文)
| 鳥井裕美子「前野良沢 晩学の異才」、『九州の蘭学越境と交流』、59-65頁。 |
| ヴォルフガング・ミヒェル・鳥井裕美子・川嶌眞人共編、京都:思文閣出版、2009年。 |
| (ISBN978-4-7842-1410-5)。 |
| 加藤文三「前野良沢」。 |
| 荒木繁他著『日本の思想下』新日本出版社〈新日本選書〉、1980年、69-94頁。 |
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