劉崇(りゅうすう)は十国・北漢の初代皇帝。沙陀の人であり、後に劉旻と改名している。後漢の高祖
劉知遠の弟として生まれ、若くして飲酒と賭博を好み、顔に刺青を施して従軍していたと史書に記録されている。
劉知遠が後晋による河東節度使に任命された際、都指揮使を担当し、
劉知遠が後漢を建国した後は太原(現在の山西省太原市)尹に任じられ、
劉承祐が隠帝に即位すると同地で河東節度使に任命された。後漢の乾祐3年(950年)、枢密使
郭威の反乱が発生し、反乱軍が後漢の都城である大梁(現在の河南省開封市)に迫ると