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プロフィール
- 劉暁波とは
- 概要
- 選考段階
- 受賞
- 受賞直後の影響
- 受賞式典への影響
- アメリカ議会下院
- ノルウェー・ノーベル賞委員会
- 経歴
- 受賞歴
- 劉暁波判決文(2009年12月25日)
- 政見
- 日本語訳
- 関連項目
- 関連サイト
劉暁波(りゅうぎょうは、リュウ・シャオボー、1955年12月28日-)は、中華人民共和国の著作家。元北京師範大学文学部講師。人権活動や民主化運動に参加し、度々投獄される。2008年に民主的立憲政治を求める零八憲章を起草して拘束され、2020年6月21日までの懲役刑の判決を受けで服役中。2010年にノーベル平和賞を受賞し、中国在住の中国人として初のノーベル賞受賞者となった。劉暁波は、「この受賞は天安門事件で犠牲になった人々の魂に贈られたものだ」と語り、涙を流したとされる。なお、投獄中の人に平和賞が贈られたのは、1935年に受賞した カール・フォン・オシエツキー、1991年に受賞し ...
概要
| 1980年代半ば、文学評論家李沢厚に対する批判で、中国文壇の「ダークホース」と呼ばれた。 |
| 1989年に中国で民主化運動が勃発すると、コロンビア大学の客員研究者として米国滞在中に即座に帰国を決め、運動に身を投じ、六四天安門事件直前、劉は他の知識人3名(侯徳健、高新、周舵)と共に、学生たちの断食抗議に参加した。 |
| 人民解放軍が天安門広場に突入する寸前、4人は侯徳健を推選し、学生たちに逃げ道を残すように軍と交渉し「四君子」と呼ばれた。 |
| 事件後に「反革命罪」で投獄された。 |
| 六四天安門事件の他のリーダーの多くが欧米からの圧力もあり「病気療養」の名目で出国許可される中で、1991年の釈放後も出国せずに引き続き文章を発表し、六四天安門事件の殉難者の名誉回復と人権保障などの民主化を呼びかけ、更に2度の投獄や強制労働を受けた。 |
| 2008年、「世界人権宣言」発表60周年を画期として発表された、中国の大幅な民主化を求める「零八憲章」の主な起草者となり、再び中国当局に身柄を拘束された{{citenews。 |
選考段階
| ノーベル平和賞の選考で劉が候補となった時点で、中国政府はノルウェーのノーベル賞委員会に対して「劉暁波に(ノーベル平和賞を)授与すれば中国とノルウェーの関係は悪化するだろう」と述べ、選考への圧力と報道された産経「 |
| 読売新聞「 |
| 産経「 |
受賞
| 2010年10月8日、劉暁波のノーベル平和賞受賞が発表された。 |
| ノーベル賞委員会は、劉暁波の受賞理由は「中国における基本的人権のために長年、非暴力的な闘いをしてきた」ことで、劉暁波への授与の決定は有罪確定時の今年2月には「不可避の状況になっていた」こと、選考は全会一致であったことなどを発表した |
受賞直後の影響
| 受賞発表直後に中華人民共和国外交部は「(劉の受賞は)ノーベル平和賞を冒涜するもので、我が国とノルウェーの関係に損害をもたらす」と批判した |
| 更に中華人民共和国政府は在北京のノルウェー特命全権大使に対して劉のノーベル平和賞受賞に強く抗議を行った |
| また中華人民共和国の国内でノーベル平和賞授与決定を放映中のCNNやNHKワールドのニュース番組が遮断され、その後もインターネット上のメールや検索などの遮断が続いていると報道された |
| 翌9日、中国各誌は授与を批判する中国外務省報道局長の談話を報道する形で間接的に報道し、人民日報系の環球時報は「ノーベル平和賞は西側の利益の政治的な道具になった。 |
| 平和賞を利用して中国社会を裂こうとしている」と批判した |
| 受賞直後、海外メディアが自宅に住む妻劉霞にインタビューを試みたが、現地公安当局によって厳しく規制線がはられており、劉霞自身も電話インタビューに応じた直後、電話回線が通じなくなっており、事実上当局による軟禁状態にある。 |
| 受賞直後の各国での主な反応には以下がある。 |
| 前年度のノーベル平和賞受賞者でもあるアメリカ合衆国大統領のバラク・オバマは「劉暁波は、民主主義という万国共通の価値を平和的に推進する勇気あるスポークスマン」「基本的人権は何よりも尊重されるべき」と発言し、劉暁波を釈放するよう中華人民共和国政府に要求する姿勢を示した |
| 国際連合事務総長の潘基文は「人権向上の実践を求める国際世論の高まりを示すもの」と劉暁波の受賞を評価した |
| 欧州連合のバローゾ欧州委員長は「ノーベル賞委員会の決定は、個人的な犠牲を伴って自由と人権を追求するすべての人々を支持する強いメッセージだ」との声明を出した。 |
| フランス外務大臣のベルナール・クシュネルは「フランスはEUと同様に逮捕直後から懸念を表明し、繰り返し釈放を求めてきた」と声明を出した |
| 1989年のノーベル平和賞受賞者でもあるダライ・ラマ14世は「ふさわしい時に、ふさわしい人が選ばれた。 |
| 劉氏の後ろには数千人の市民がおり、中国の変化に大きく寄与するだろう」、「中国は変わらなければならない。 |
| 」と声明を出した |
| アメリカ合衆国亡命中の中国人反体制物理学者の方励之は「彼(劉暁波)の受賞は、中国の民主化に積極的な役割を果たすものと思う」旨のコメントを発表した |
| 日本の菅直人首相は参院予算委員会で「中国において、普遍的価値である人権と基本的自由が保障されることは重要だ。 |
| 釈放されることが望ましい」と述べた |
| これらに対し中国外務省は定例会見で「中国への内政干渉は許さない」、「現状で、中国の関係部門がノルウェー政府との協力推進を望まないことは理解できる」、「劉暁波は犯罪者だ。 |
| 彼に平和賞を与えることは中国国内で犯罪を奨励することにほかならず、中国への主権侵害でもある」と主張した |
| 2010年10月21日には劉暁波の釈放を求める署名活動を行っていた崔衛平北京電影学院教授が拘束された{{citenews。 |
| 10月29日には、ノーベル賞の歴代受賞者により服役中の劉暁波の釈放を求めるグループが結成されダライ・ラマなどが参加していると報道された |
| 英国デーリー・ニューズ紙によると、2010年に開催された第60回ミス・ワールド大会では、開催国である中国側から選考委員に対して「ミス・ノルウェーは低い点に抑えるよう」との露骨な圧力がかけられ、本命だったミス・ノルウェーのマリアン・バークダルは、5位にも入ることができなかった。 |
| これはノルウェーが中国の民主活動家である劉暁波にノーベル平和賞を授与したことに対する対抗措置であるといわれている |
受賞式典への影響
| 中国政府は2010年10月下旬以降、ノルウェーにある欧州各国の大使館に対し、12月10日にオスロ市庁舎にて行われるノーベル平和賞授賞式の式典に参加しないよう求める書簡を送った。 |
| さらに、式典当日に劉暁波を支持する声明を発表しないように促した。 |
| また、北京にても諸外国の外交官に対して、同じ要請をした{{Citenews。 |
アメリカ議会下院
| 2010年12月8日、アメリカ合衆国下院本会議は、劉暁波の釈放を中国政府に要求する決議案を賛成402、反対1の圧倒的多数で採択した{{Citenews。 |
ノルウェー・ノーベル賞委員会
| 2010年12月10日に開かれたノーベル賞授賞式において、ノルウェー・ノーベル賞委員会委員長のトルビョルン・ヤーグランは演説の中で「劉は何も悪いことはしていない」と、釈放を求めた{{Citenews。 |
経歴
| 1955年12月28日:吉林省長春市生まれ。 |
| 1969年-1973年:両親と共に内モンゴル農村へ。 |
| 1974年7月:“知識青年”として吉林省農安県へ。 |
| 1976年11月:長春市にて建築作業員。 |
| 1977年-1982年:吉林大学文学部。 |
| 1982年同校学士号取得。 |
| 1982年:北京師範大学文学部修士課程入学、1984年同校文芸学修士号取得。 |
| 1984年-1986年:北京師範大学文学部で教鞭を取る。 |
| 1986年-1988年:北京師範大学文学部博士課程を履修、1988年文芸学博士号取得。 |
| 1988年8月-11月:ノルウェーのオスロ大学の要請を受け、中国現代文学を教える。 |
| 1988年12月-1989年2月:米国ハワイ大学の要請を受け、中国哲学、中国現代政治と知識人のをテーマに研究と授業。 |
| 1989年3月-5月:客員研究者として米国コロンビア大学へ。 |
| 期間中に帰国、六・四事件に参加。 |
| 1989年4月27日-6月4日:民主化運動に参加。 |
| 1989年6月6日-1991年1月:「反革命罪」で投獄される。 |
| 1989年9月:全ての公職を失う。 |
| 1991年1月-1995年:北京にて文筆活動、人権運動、民主運動に従事。 |
| 1995年5月18日-1996年1月:再び入獄、釈放後民主化運動、文筆活動を継続。 |
| 1996年10月8日-1999年10月7日:“労働教養”(中国特有の監禁刑罰)に処せられる。 |
| 釈放後、北京の自宅でフリーライターとして、大量の時事評論や学術論文を発表する。 |
| 2003年11月:独立中文筆会第二任会長に当選。 |
| 2005年11月2日:引き続き独立中文筆会会長に当選留任。 |
| 2008年12月10日:「零八憲章」の起草者となるも発表直前に身柄を拘束される。 |
| 2009年6月23日:「国家政権転覆扇動罪」などの容疑で北京市公安局に正式に逮捕された(新華社通信報道)産経新聞「 |
| 2009年12月:11日に起訴され産経新聞「 |
| 2010年2月11日:北京の高級人民法院が劉の控訴を棄却し、懲役11年および政治的権利はく奪2年の判決が確定 |
| 2010年10月8日:民主化と人権の促進への貢献でノーベル平和賞を受賞。 |
受賞歴
| 1990年・1996年-国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチによる人権賞「ヘルマン・ハメット助成金」。 |
| 2003年-中国民主教育基金会第17回「傑出民主人物賞」。 |
| 2004年-「国境なき記者団」・フランス基金会の「言論の自由を守る賞」、月刊誌『開放』2004年1月号「マスコミの腐敗は最早ニュースではない」で第9回「人権ニュース優秀賞」。 |
| 2005年-月刊誌『開放』2004年9月号「権力者の天国、弱者の地獄」で第10回「人権ニュース優秀賞」。 |
| 2010年10月8日:民主化と人権の促進への貢献でノーベル平和賞を受賞。 |
劉暁波判決文(2009年12月25日)
| 「告発、答弁、証言、判決」のうち、「判決」(抜粋)は以下のとおり劉暁波『最後の審判を生き延びて-劉暁波全集』岩波書店2011年。 |
| 本法廷は、被告人劉暁波が我国の人民民主独裁による国家政権と社会主義制度の転覆を目的として、インターネットは情報伝達が速く、伝播の範囲が広く、社会的影響力が大きく、大衆の注目度が高いという特徴を利用し、文章を執筆してインターネット上に発表するという方法により、我国の国家政権と社会主義制度を転覆するよう他者を誹謗かつ扇動し、その行為は国家政権転覆扇動罪にあたると考える。 |
| インターネット上に誹謗中傷を行う文章を発表したことは、我国の国家政権と社会主義制度の転覆を扇動する行為であり、劉曉波の行為は言論の自由という範疇を明らかに超えたもので、犯罪である。 |
| (略)有期懲役11年、政治的権利剥奪2年に処する((略)2020年6月21日までの期間)。 |
政見
| 1988年、香港の月刊誌上で行われたインタビューにて、「中国を真に変えるためには何が必要か?」との問いに対し、「300年にわたる植民地主義でしょうね。 |
| 香港は100年間に及ぶ植民地主義を通じて、現在のように変貌を遂げてきたのですよ。 |
| 」と、植民地主義を全面的に賛美しているLiuXiaobo," |
| 太平天国の乱や義和団の乱、西洋列強による中国の半植民地化を踏まえ、「中国が分割されてしまうことを、目前に恐れなくてはならなくなった。 |
| 」歴史学研究会編『世界史史料9帝国主義と各地の抵抗Ⅱ』岩波書店、2008年6月、p.150と発言した孫文の存在を忘れさせてくれる「名言」である。 |
| 1996年に発表した論文「冷戦からの教訓」の中で、「アメリカ合衆国を盟主とする自由主義陣営は、人権を踏み躙るほぼ全ての政権と闘ってきた。 |
| アメリカが関わった大きな戦争は、おしなべて倫理的に擁護できる」と結論付けるなど、親米的な姿勢が顕著である。 |
| パレスチナ問題でもアメリカの政策を支持しており、諸悪の根源は「挑発的な」パレスチナ人にあるとしている。 |
| なお、アメリカは建国初期の先住民に対するジェノサイドや奴隷制はもとより、かつてのチリのピノチェト政権や台湾の蒋介石政権をはじめ、「人権を踏み躙るほぼ全ての政権」を総力を挙げて支援してきた。 |
| パレスチナ問題に関しては、一方の当事者であるユダヤ人・イスラエル(アメリカが不必要な程肩入れしてきた国でもある)によるパレスチナ人への暴虐が、国際連合は言うに及ばず、パレスチナ自治政府や世界各地の人権擁護団体から非難を浴びている「投石の12歳まで投獄人権団体イスラエル軍を告発パレスチナの未成年835人拘束」 |
| また、2004年に刊行した著書「アングロアメリカ自由同盟に勝利を」でも、当時のブッシュ政権によるイラク戦争を支持。 |
| 同書の中で劉は、冷戦以後アメリカが主導した戦争を「如何にして現代文明に適する形で戦争を行うべきかを示した好例」として褒め称え、「イラクには自由で民主的かつ平和な社会が出現するであろう」としたLiuXiaobo," |
| こうしたことから、同年の大統領選挙ではイラク戦争の功によりブッシュ支持を表明、対立候補である民主党のジョン・ケリーを腐す発言を行った。 |
| なお、イラク戦争については勃発以降現在の時点でも自爆テロが相次ぎ、お世辞にも「自由で民主的かつ平和な社会が出現」したとは言えず、当のアメリカにしてもアブグレイブ刑務所における捕虜虐待や中央情報局(CIA)による秘密収容所での拷問に見られるように、各方面から集中砲火が浴びせられているのが現状である。 |
日本語訳
| 『現代中国知識人批判』 野沢俊敬訳、徳間書店、1992年、ISBN978-4-19-354974-4。 |
| 『天安門事件から「08憲章」へ中国民主化のための闘いと希望』 劉燕子編、横沢泰夫ほか訳、藤原書店、2009年、ISBN978-4-89434-721-2。 |
| 『最後の審判を生き延びて 劉暁波文集』 劉霞ほか編 丸川哲史・鈴木将久・及川淳子訳、岩波書店、2011年2月、ISBN978-4-00-023038-4。 |
関連項目
| 六四天安門事件-1989年の日本で通常「天安門事件」と呼ばれる事件。 |
| 孔子平和賞-劉暁波への授与に猛反発する中国がノーベル賞に対抗して設立した独自の賞。 |
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1955年
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劉 暁波(りゅう ぎょうは、リュウ・シャオボ... |
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1974年
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“知識青年”として吉林省農安県へ。 |
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