| 1952年、サンフランシスコ平和条約が公布されると、スガモプリズンでは米軍の警戒がゆるむようになった(翌年正式に日本に返還され、東京拘置所と改称)。 |
| 哲太郎は岩波書店の「世界」に密かに投稿し、10月号に「一戦犯者」名義で「私達は再軍備の引換え切符ではない」が掲載された。 |
| 哲太郎は、再軍備や憲法改正への不満をそらすため、戦犯釈放と抱き合わせにしようとしていると吉田茂内閣を批判した。 |
| この内容に笹川良一らが怒り、筆者の犯人捜しを行った。 |
| しかし岩波書店は筆者を漏らさず、また服役中の戦犯に哲太郎の投稿への支持者も多かったため、やがて沙汰やみとなった。 |
| 戦犯は、再軍備派と護憲派に割れていたのである。 |
| なお、内海愛子は後者を「平和グループ」と称している。 |
| また、後者に属した飯田進によると、当時の回想として、笹川の「これはあなたたち戦犯者の釈放運動に水をさすものだ」という意見が伝えられると、「中身がわからなくちゃ、その善悪の決めようが無いじゃないか」と意見する者がいたため、スガモプリズン全棟で「私達は再軍備の引換え切符ではない」が読み上げられ、内容の可否を問うことになった。 |
| とどのつまり「多少えげつない表現はあるが、論理的には筋が通っている。 |
| あながち間違ったことを書いてはいない。 |
| 笹川も案外ケツの穴が小さいな」ということで一件落着したという飯田進 『魂鎮への道 無意味な死から問う戦争責任』 不二出版 1997年4月20日初版 ISBN978-4938303198 pp.232-233。 |
| 1953年2月、『あれから七年――学徒戦犯の獄中からの手紙』(飯塚浩二編、光文社)に「志村郁夫」「戸塚良夫」名義で寄稿した。 |
| まだ服役中であり、寄稿者はいずれもペンネームだった。 |
| 志村郁夫名義で書いた『狂える戦犯死刑囚』では、後に放映されるドラマ『私は貝になりたい』の原作となる遺書が書かれていた。 |
| これは、自分の経験や、また一時収容されていた精神病院(精神病と診断されれば、死刑は執行されなかった)に一緒に入院していた人物の言動を元に、赤木曹長という架空の人物に仮託したものである。 |
| 赤木は俘虜虐待の罪で処刑されたという設定であり、要するに自分もそうなっていた可能性の高い存在だった。 |
| しかし、現実には哲太郎は死刑を免れたことは以上に書いた通りである。 |
| 1958年4月、残余の刑を免除され哲太郎は出所した。 |
| 同年10月31日、12月21日の二度にわたり、ラジオ東京テレビ(現・TBSテレビ)にてドラマ『私は貝になりたい』が放映された。 |
| この作品中で主人公が書いた遺書の内容が(一部変えられていたものの)『狂える戦犯死刑囚』のものと酷似していたが、哲太郎の元には何の連絡もなかった。 |
| 哲太郎は同ドラマの脚本を執筆した橋本忍に、自分の原作権を認め、今後の再放送や映画化に際しては、光文社刊『あれから七年』を原作としてクレジットに入れるよう要求した。 |
| しかし橋本は「週刊朝日」に引用された件の遺書を利用したもので、ニュースを材料として自分が創作したものだとこれを拒否。 |
| それは私のポケットマネーであって原作料ではない」と発言した。 |
| 哲太郎は、橋本のこの言動を、自分を強請たかりの類いと侮辱したものと感じた。 |
| 1959年1月23日、志村郁夫は自分であると名乗り出て、社団法人日本著作権協議会仲裁委員会を通じ、橋本とラジオ東京テレビは著作権法違反であると申立て、さらに版権を主張した。 |
| ただ、「週刊朝日」については、実際の遺書と勘違いしていたと落ち度を認めたため、それ以上の追及はしなかった。 |
| その結果、まず東宝との間に、以下のタイトルを入れることで映画化の契約を結んだ。 |
| 原作物語、構成橋本忍題名、遺書加藤哲太郎。 |
| また、この頃哲太郎は結核を患っており、心身の疲労もあって仲裁斡旋の取り下げも考え始めていた。 |
| ところが、12月26日にラジオ東京テレビはクレジットの修正をせずまたも再放送を行ったので、ついに哲太郎は橋本とラジオ東京テレビへの刑事告訴状を東京地検に提出したが、地検は取り上げなかった。 |
| 1960年11月、東京放送(ラジオ東京テレビより改称)と和解し、東宝との契約に準じた申し合わせを行った。 |
| しかし、剽窃があったとされる記事の筆者で名乗り出たものはなく(特に、『世紀の遺書』は文字通り処刑された戦犯の遺書であるため)、そのため契約には影響していない。 |
| 『私は貝になりたい』はその後ドラマ(1994年)と映画(2008年)で哲太郎没後に一度ずつリメイクされている。 |
| 1994年のドラマリメイク版でもクレジットは踏襲され、2008年の映画リメイク版では、「遺書・原作・題名加藤哲太郎」となり、出典となった『狂える戦犯死刑囚』も初めて明記された。 |