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つながりの強いひと
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趙治勲
囲碁のプロ棋士。韓国釜山広域市出身。日本棋院所属。血液型はB型。木谷實九段門下。棋聖8期、名人9期の他、本因坊戦10連覇の偉業により現役のうちから「25世... |
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武宮正樹
囲碁のプロ棋士、九段。名人1期、本因坊6期など。東京都葛飾区出身。日本棋院所属。本因坊時代の雅号は当初「秀樹(しゅうじゅ)」であったが、2度目の獲得以... |
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小林光一
囲碁のプロ棋士。北海道旭川市出身。木谷實九段門下。日本棋院所属。前妻の小林禮子(1996年死去)との間に一男一女。後妻との間にも子あり。長女は小林泉美... |
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石田芳夫
日本の囲碁棋士。愛知県西春日井郡新川町(現清須市)出身、木谷實九段門下、日本棋院所属、九段。1971年に22歳の史上最年少で本因坊となって秀芳と号し、本... |
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大竹英雄
囲碁棋士。福岡県北九州市出身、日本棋院所属、木谷實九段門下、九段。名人位4期、世界囲碁選手権富士通杯優勝など。碁聖位連続6期で名誉碁聖を名乗る。厚く... |
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藤沢秀行
囲碁棋士。本名は藤沢保(たもつ)。その後秀行に改名、本来の名前の読みは「ひでゆき」だが、「しゅうこう」と呼ばれることが多く、「しゅうこう先生」の名... |
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林海峰
林海峰(りんかいほう、1942年5月6日-)は日本、台湾の囲碁棋士。上海出身、日本棋院東京本院所属、藤田梧郎七段、呉清源九段門下、九段、名誉天元。名人8期... |
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小川誠子
囲碁棋士。日本棋院所属。木谷實九段門下。夫は俳優の山本圭。 |
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張栩
日本棋院所属の囲碁棋士。林海峰九段門下。小林光一は義父に当たる。 |
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坂田栄男
囲碁棋士。東京都出身、日本棋院所属、増淵辰子八段門下、九段。本因坊戦で7連覇して本因坊栄寿と号し、二十三世本因坊の資格を持つ他、選手権制初の名人・本... |
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依田紀基
依田紀基(よだのりもと、1966年2月11日-)は日本の囲碁のプロ棋士。北海道岩見沢市出身。安藤武夫七段門下。1980年入段。1993年九段。名人4期、碁聖6期、NHK... |
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本因坊
本因坊(ほんいんぼう)江戸時代、安井家・井上家・林家と並ぶ囲碁の家元四家のうちの一つ(→下記項目「本因坊家」に詳述)。昭和になって作成された、囲碁の... |
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山下敬吾
日本棋院所属のプロ棋士。北海道旭川市出身。緑星囲碁学園出身。棋聖、本因坊などのタイトルを獲得。雅号は「道吾(どうわ)」。義兄に高梨聖健。羽根直樹、... |
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木谷實
囲碁の棋士。兵庫県神戸市出身、鈴木為次郎門下、九段。20世紀の棋士の中でも指折りの存在とされている。 |
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王立誠
王立誠(おうりっせい、1958年11月7日-)は日本、台湾の囲碁棋士。日本棋院東京本院所属、加納嘉徳九段門下、九段。棋聖位3連覇、十段4連覇、LG杯世界棋王戦... |
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木谷実
木谷実九段、囲碁殿堂入り 日本棋院は7月23日、 木谷実 九段の囲碁殿堂入りを発表した。故木谷九段は1909年に神戸市で生まれ、昭和初期に呉清源九段ととも... |
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工藤紀夫
囲碁の棋士。青森県弘前市出身、日本棋院東京本院所属、前田陳爾門下、九段。天元・王座位獲得、碁聖挑戦など。若い頃は力碁で「眠狂四郎」のニックネームが... |
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小林覚
囲碁棋士。長野県松本市出身、日本棋院所属、木谷實九段門下、九段。1995年に全盛期の趙治勲を破り棋聖位に就き、3年連続で趙と七番勝負を争う。他に碁聖位、... |
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羽根泰正
日本の囲碁棋士。三重県度会郡神原村(現志摩市)出身、A型、日本棋院中部総本部所属、島村俊廣九段門下、九段。王座1期など。攻めの強い棋風で、特に高中国... |
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橋本宇太郎
昭和の囲碁棋士。第2、5、6期本因坊で本因坊昭宇と号する。大阪府出身、瀬越憲作名誉九段門下。1950年に関西棋院を率いて日本棋院から独立した。才気と闘志溢... |
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プロフィール
- 加藤正夫とは
- 経歴
- その他
- 棋院改革
- 打碁集
- 著作
- 関連サイト
加藤正夫(かとうまさお 1947年3月15日-2004年12月30日)は日本の囲碁棋士。号は「劔正」。同じ 木谷實門下の 石田芳夫・ 武宮正樹とともに「木谷 三羽烏」「黄金トリオ」と呼ばれ、名人2期、 本因坊4期、王座11期など数々のタイトルを獲得し、名誉王座の称号を持つ。若い頃は力ずくで大石を仕留める豪腕から「殺し屋」のニックネームがあったが、棋風とは裏腹に穏和で面倒見の 良い人柄で人望が厚かった。2004年には日本棋院理事長に就任、日本棋院の改革に取り組むが、志半ばの2004年暮れに脳梗塞 ...
経歴
| 1947年 福岡県朝倉郡朝倉町(現朝倉市)にて誕生。 |
| 1952年福岡市中央区六本松に転居。 |
| 1階は店舗、2階は碁会所を父がはじめる。 |
| 1956年 このころ碁を覚える。 |
| この頃岡光雄(後にプロ)・上月武志(第1回学生本因坊)・廣畑富雄(九州学生選手権、後に九州大学教授)らの手ほどきを受け上達する。 |
| 1959年 木谷實に入門。 |
| 兄弟弟子たちと切磋琢磨し、徹底的に戦う棋風を身につける。 |
| 1964年 17歳で入段。 |
| 同年、二段に昇段。 |
| 1967年 20歳7ヶ月(四段)で本因坊リーグ入り(当時最年少記録)。 |
| 一次予選(現在の予選Cに相当)からの勝ち抜きでリーグ入りしたのは、この時の加藤と名人リーグでの三村智保のみ。 |
| また入段から3年5ヶ月でのリーグ入りは史上最短記録。 |
| 1968年本因坊リーグから陥落するも即復帰、5勝2敗で勝ち抜いて林海峰本因坊への挑戦権を獲得。 |
| 22歳、五段での挑戦は初めてのことで注目を集めたが、2-4で敗れる。 |
| この後各種棋戦で挑戦者あるいはトーナメント決勝まで進むが、タイトル戦で8連敗。 |
| 「挑戦王」「万年二位」「常敗将軍」と呼ばれるトンネルの時代が続く。 |
| 1976年第一期碁聖戦で兄弟子大竹英雄を降して初タイトルを獲得。 |
| 林海峰から十段位を奪取、以後4連覇。 |
| 1977年武宮正樹を4-1で破って第32期本因坊位を奪取し加藤劔正を名乗る。 |
| 1978年棋聖戦で藤沢秀行に挑戦するが3-4で惜敗。 |
| 天元戦で優勝し、以後4連覇。 |
| 1979年本因坊、十段、天元、王座、鶴聖の五冠王に輝く。 |
| 1981年趙治勲名人に挑戦。 |
| 1982年橋本昌二から王座を奪取し、以後8連覇。 |
| 1983年趙治勲から十段位を奪取。 |
| 勝った3局は全て半目勝ちで、「殺し屋加藤」から「ヨセの加藤」へとモデルチェンジに成功したといわれた。 |
| 1986年小林光一名人をから名人位を奪取。 |
| 1987年名人、十段、王座、碁聖の四冠を達成。 |
| 1988年小林光一棋聖に挑戦。 |
| 1990年羽根泰正に敗れ王座を失う。 |
| これにより、七大タイトルの連続保持記録が途絶える。 |
| 1993年藤沢秀行から王座を奪取。 |
| 1995年趙治勲本因坊に挑戦。 |
| 1997年依田紀基から十段位を奪取。 |
| 趙治勲本因坊に挑戦。 |
| 2002年王銘琬を破り、55歳3か月で23年ぶりに本因坊位に復位、史上最年長の本因坊となった。 |
| 通算では本因坊4期(1977~79、2002)、名人2期(1986、87)、十段7期(1976~79、83、87、97)、王座11期(1979、80、82~89、93)、天元4期(78~81)、碁聖3期(1976、77、87)などタイトル獲得数47。 |
| 1976年〜1990年まで14年6ヶ月にわたってタイトルを保持し、これは日本囲碁界最長記録。 |
| 七大タイトルのうち、棋聖を除くすべてのタイトルを獲得した。 |
| 生涯戦績1254勝663敗2持碁1無勝負(勝数史上4位)。 |
その他
| 1970年の本因坊リーグで、大家・高川秀格の大石を一直線に取りかけに行き、93手で撲殺。 |
| 高川を「この石が取られるかねえ」と嘆かせ、ここに「殺し屋」のニックネームが定着した。 |
| 下図、白の高川が△にツケてサバキに行ったところを黒1から猛然と攻め立て、白の抵抗を粉砕して勝利した。 |
| ABCDEFGHJKLMNOPQRST。 |
| 19||||||||||||||||||||=19。 |
| 18|||||||||||||||||w|||=18。 |
| 17|||||||||||||||w|||||=17。 |
| 16||||w||||||x||b||w||x|b|||=16。 |
| 15||||||||||||||||||||=15。 |
| 14||||||||||||||||||||=14。 |
| 13||||||||||||||||b||||=13。 |
| 12||||||||||||||||||||=12。 |
| 11||w|w|||||||||||||||||=11。 |
| 10|||b|w|w|||||x||||||x||||=10。 |
| 9|||b|b||||||||||||||||=9。 |
| 8||||w|b||w|||||||||||||=8。 |
| 7|||||b||||b|||b||||||||=7。 |
| 6||||b|||w||||||||b3||b|||=6。 |
| 5|||||||w6|b5|b|||w||wT|b|||||=5。 |
| 4|||b|x|w||w|||x||b7|b1||w4|w||||=4。 |
| 3||b|w|w|||||b||w||w2|w|w|b|b|||=3。 |
| 2||b|||||||||||w|b|b|w|b|||=2。 |
| 1||||||||||||||||||||=1。 |
| ABCDEFGHJKLMNOPQRST|20}}。 |
| 本因坊在位時の雅号「劔正」は、同郷の参議院議員で後援会長であった剱木亨弘の一字と、自らの名前の「正」を合わせたものである。 |
| 趙治勲は来日直後、林海峰に五子局で勝利してのち、木谷道場で兄弟子の加藤に星目まで打ち込まれ、悔し涙を流した体験を持つ。 |
| 加藤没後に放送されたNHKの特別番組では、同様の体験をした小林光一とともにこのことを回顧しつつ、鍛えてくれた加藤への感謝の言葉を述べた。 |
| 2004年の天元戦における、結城聡との対局が絶局となった(加藤の中国流の布石で、結城に勝利)。 |
| 対局後、結城は「私は、(加藤に)負けて強くなった」と加藤の人柄と実力に敬意を表した。 |
棋院改革
| 2002年7月からは日本棋院副理事長に就任。 |
| 多忙な日本棋院の理事職に加藤のような一流棋士が就任したことは周りを驚かせた。 |
| その背景には1994年から赤字を続ける日本棋院の体質、また若い世代の囲碁離れに対する危機感があったといわれる。 |
| 連日の激務の中、棋士との二足のわらじを続け、本因坊を奪取した事は大いに称揚された。 |
| 2004年6月、利光松男前理事長の退任を受けて理事長に就任。 |
| 財政赤字の改善、大手合の廃止、予選・昇段制度の改革などに取り組んだが、12月7日に脳梗塞で入院、同月30日の午後0時33分に57歳で死去した。 |
| 共に改革に当たり、加藤の後を継いで理事長代行に就任した工藤紀夫はその死を「殉職でした」と表現している。 |
| その生涯は有水泰道著『精魂の譜』(誠文堂新光社刊)に詳しい。 |
打碁集
| 『現代花形棋士名局選〈4〉加藤正夫』日本棋院 1976年。 |
| 『加藤正夫(上)(下)』(現代囲碁大系39,40)講談社 1980年。 |
| 『加藤正夫(現代囲碁名勝負シリーズ)』講談社 1986年。 |
| 『加藤正夫 名局細解』(全六巻)誠文堂新光社 1988年。 |
| 『名局細解 加藤正夫』誠文堂新光社 2004年。 |
| 『怒涛の譜―加藤正夫精局集』日本棋院 2005年。 |
著作
| 『察元・烈元・因淑』(日本囲碁大系)筑摩書房。 |
| 『加藤囲碁道場』(全三巻)日本棋院 1982年。 |
| 『加藤正夫の闘いの極意(NHK囲碁シリーズ)』1993年。 |
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2004年
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日本棋院理事長に就任、日本棋院の改革に取り... |
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2005年
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その功績により旭日小綬章追贈 |
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投票数
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