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つながりの強いひと
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千代の富士貢
大相撲元力士で、第58代横綱。北海道松前郡福島町出身。身長183cm、体重127kg。現在は年寄・九重。現役時代の異名・愛称はウルフ、大将。血液型はA型。岳父は... |
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出羽海
出羽海(でわのうみ)は日本相撲協会の年寄名跡のひとつである。初代から5代までは出羽ノ海であったが、角聖と呼ばれた5代・出羽ノ海(元第19代横綱・常陸山... |
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鏡里喜代治
青森県三戸郡斗川村(現在の三戸郡三戸町)出身で時津風部屋(入門時は粂川部屋)所属の元大相撲力士、第42代横綱。本名は奥山喜世治(おくやまきよじ)。現... |
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杉村昌治
最高位 横綱(昭和26年5月) 本名 杉村 昌治 生年月日 大正15年6月2日 出身地 北海道松前郡 死年月日 昭和52年10月29日 身長 体重 190センチ 122... |
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双葉山
大相撲 の第35代 横綱 。 大分県 宇佐郡 天津村布津部(現在の 宇佐市 下庄)出身。身長179cm、体重128kg。 |
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栃錦清隆
東京府南葛飾郡(現在の東京都江戸川区)出身の大相撲の第44代横綱。本名、大塚清(おおつかきよし)(のちに栃木山の養子になり、中田姓)。身長178cm、体重... |
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東富士
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吉葉山潤之輔
北海道厚田郡厚田村(現、石狩市)出身の大相撲力士、第43代横綱。身長179cm、体重143kg。 |
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双葉山定次
大相撲の第35代横綱。大分県宇佐郡天津村布津部(現在の宇佐市下庄)出身。身長179cm、体重128kg。)血液型はA型。 |
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若乃花幹士
大相撲の力士、第45代横綱。所属は入門当時は二所ノ関部屋、1953年に花籠部屋の独立とともに移籍。青森県弘前市青女子(あおなご)出身。身長179cm、体重107k... |
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羽黒山政司
新潟県西蒲原郡松長村大字羽黒(のちの中之口村、現新潟市西蒲区)出身の大相撲第36代横綱。身長179cm、体重130kg。得意手は左四つ、吊り、寄り、上手投げ。 |
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北の湖敏満
北海道有珠郡壮瞥町出身で三保ヶ関部屋所属の元大相撲力士、第55代横綱。引退後は、一代年寄北の湖となる。現在日本相撲協会理事。第9代日本相撲協会理事長(2... |
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北の富士勝昭
北海道旭川市(出生地は網走郡美幌町)出身の元大相撲力士で第52代横綱。現役当時は「現代っ子横綱」と呼ばれた。本名は竹澤勝昭(たけざわかつあき)。九重... |
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大鵬幸喜
元大相撲力士。第48代横綱である。身長187cm。血液型はB型。樺太敷香郡敷香町出身で、北海道川上郡弟子屈町川湯温泉で育った。 |
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北勝海信芳
年寄・八角信芳(はっかくのぶよし)として八角部屋(高砂一門)の師匠。日本相撲協会監察委員・指導普及部委員。 |
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羽黒山
新潟県西蒲原郡松長村大字羽黒(のちの中之口村、現新潟市 西蒲区)出身の大相撲第36代横綱。身... http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E9%BB%92%E5%B1%... |
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江森陽弘
東京都出身のジャーナリスト。元東京都町田市教育委員。 |
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飯干晃一
日本の作家。元読売新聞社会部記者。大阪府出身。大阪府立高津中学校卒業後、旧制第七高等学校卒業、京都大学法学部卒業。読売新聞勤務時は社会部副編集長で... |
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吉葉山
北海道厚田郡厚田村(現、 石狩市)出身の大相撲力士、第43代... http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E8%91%89%E5%B1%B1%E6%BD%A4%E4%B9%8B%E8... 相撲... |
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佐田の山晋松
大相撲の第50代横綱。のち日本相撲協会理事長。本名、市川(旧姓佐々田)晋松。長崎県南松浦郡有川町(現新上五島町)出身。身長182cm、体重129kg。一時期佐... |
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プロフィール
- 千代の山雅信とは
- 現役時代
- 引退後
- 通算成績
- 各段優勝
- 三賞・金星
千代の山雅信(ちよのやままさのぶ、1926年6月2日-1977年10月29日)は大相撲の力士で第41代横綱。本名 杉村昌治。身長192cm。 出羽海部屋所属。
現役時代
| 大横綱双葉山への入門を希望していたが双葉山に勝てる男になるためにと言われて1942年(昭和17年)出羽海部屋に入門。 |
| 最初から横綱を期待され、入門が新聞記事になったり、戦時中、戦後における食糧難の時代に、当時の6代出羽海(元3代目両國)親方の方針でただ一人、腹一杯の食事を与えられるほどの逸材だった。 |
| 双葉山の引退のほうが早くて顔を合わせることはできなかったが新入幕の昭和20年(1945年)11月場所には何と10日間を全勝、横綱羽黒山も全勝で、当時の番付上位優勝制度のため優勝は逸したが、恐るべき力士として印象付けられたことは間違いない。 |
| 国技館開館(1909年6月)以降では新入幕の土つかずは1914年(大正3年)5月場所の前頭14枚目両國、1917年5月場所の同13枚目大潮以来3人目であった両國は9勝1休、大潮は9勝1預だったので、皆勤しての全勝は千代の山だけとなる。 |
| 両國1休の経緯については両國の項を参照。 |
| 一躍新時代のヒーローとして注目を集めた。 |
| 翌場所4日目に初めて負けるまで13連勝を記録、これは未だに破られていない。 |
| 昭和24年(1949年)10月場所新大関で13勝2敗の初優勝、これは北海道出身力士として初めての優勝だった。 |
| 翌場所も12勝3敗で連覇を達成するが、横綱前田山のシールズ事件をはじめ当時の横綱陣への批判が渦巻いていたあおりを受けて横綱昇進は見送られた。 |
| 昭和26年(1951年)5月場所14勝1敗で3度目の優勝、ようやく横綱となった。 |
| 初めての北海道出身者・横綱審議委員会推薦・相撲協会推挙による横綱である。 |
| また、千代の山以降連覇して横綱になれなかった大関は出ていない。 |
| 昭和28年(1953年)には成績不振で休場の折に横綱返上を申し出たりもしたが、当時千代の山は横綱・大関のなかで一番若かったこともあって協会は再起に期待の方針を出し横綱返上は認めなかった(これ以降、返上・降格を申し出た横綱は存在しない)。 |
| 昭和30年(1955年)には連覇で復活、昭和32年(1957年)1月場所には全勝優勝を達成した。 |
| 新弟子の頃膝に重症の関節炎を患い骨に穴を開けて膿を抜いたそうでこの影響は最後までついてまわり一時代を築けなかった。 |
| 独走すると強いが混戦はどうも苦手だったらしく昭和33年(1958年)には僅かな差で優勝を逸すること3回(3場所連続)で結局昭和32年1月場所の全勝優勝が最後の賜杯になった。 |
| 優勝は6回だが実質7回と言える。 |
| 得意は突っ張りと右四つ、寄り。 |
| 脇が堅く、相手に容易に左を差させなかった。 |
| 突っ張りの強烈さは並外れており、稽古台にされた栃錦の歯ががたがたになったほどである。 |
| 非常に稽古熱心でもあった。 |
| 192cm120kg(112kgしかなかったとも)の細身ながら筋骨隆々とした体型で「鉄骨のやぐら」と称された。 |
引退後
| 昭和34年(1959年)1月場所で引退して年寄九重を襲名した。 |
| 千代の山が土俵を去った後、番付の三役に出羽海部屋の力士の四股名が消えた。 |
| 明治33年(1900年)1月場所に常陸山が関脇に昇進してから60年間138場所にわたり、出羽海部屋は役力士を欠かしたことが無かった。 |
| その伝統が途切れたのである。 |
| 昭和35年(1960年)に師匠7代出羽海(元横綱常ノ花)が亡くなると後継者候補として名乗りを上げる。 |
| 師匠は亡くなる間際に九重に継がせたかったという遺言を遺したともいわれたが確証がなく、元平幕力士出羽ノ花の武藏川親方が継承(8代出羽海)。 |
| 当時次の出羽海は九重だと本人も周囲も思っていたが、後に当時大関の佐田の山が出羽海の婿養子となり、しかも8代出羽海が部屋の土地建物を全て佐田の山名義に書き換えたことで自分が継承することはないと判断、常陸山以来の分家独立不許という不文律に悩みながら申し出ると弟子13名中10名までを連れて独立することを許されたが、弟子もろとも一門から破門されて髙砂一門へと移籍することになった。 |
| 一説には独立を考えた時は既に高砂に話をつけてあったという。 |
| また当時最高の腕を誇った床山が九重の所属になった。 |
| この時独立を許された背景には先代(常ノ花)の遺族が九重親方の味方に回ったという事情もあった。 |
| 独立して最初の場所である昭和42年(1967年)3月場所に弟子の大関北の冨士が初優勝、十両でも弟子の松前山が優勝した。 |
| その後、北の富士を横綱に、独立時の弟子から北瀬海を関脇に育て、出身地も卒業した小学校も同じ千代の富士をスカウトし、幕内力士にはしたが、大成を見ることなく肝癌のため51歳で没。 |
| 千代の山の死後、九重部屋は独立して井筒部屋を興していた北の富士が両部屋合同の形で継承した。 |
| 死去前年の昭和51年(1976年)に協会の役員待遇に昇格した。 |
| 独立→破門の際に監事から委員への降格を余儀なくされていたが、昇格は理事長として2期目を迎えたかつての稽古相手春日野(栃錦)の人情によるものだと言われる。 |
| 師匠譲りの達筆で知られ九重部屋の初代の看板は自らの手書きによるものだった。 |
| 現在この看板は故郷福島町の横綱千代の山・千代の富士記念館に展示されている。 |
通算成績
| 通算成績:407勝158敗2分147休。 |
| 幕内成績:366勝149敗2分147休 勝率.711。 |
| 横綱成績:239勝103敗1分137休 勝率.699。 |
| 幕内在位:46場所。 |
| 横綱在位:32場所。 |
| 大関在位:6場所。 |
| 三役在位:4場所(関脇4場所、小結なし)。 |
各段優勝
| 幕内最高優勝:6回(全勝優勝1回)。 |
| 同点:1回(全勝)。 |
| 次点:8回。 |
| 十両優勝:2回(1944年11月場所、1945年6月場所)。 |
三賞・金星
| 三賞:2回。 |
| 殊勲賞1回(1949年5月場所)。 |
| 敢闘賞1回(1948年10月場所)。 |
| 金星:3個(羽黒山、照國、前田山)。 |
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1948年
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敢闘賞1回(場所) |
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1949年
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殊勲賞1回(場所) |
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