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足利成氏
室町時代から戦国時代の武将。第5代鎌倉公方(1449年-1455年)、初代古河公方(1455年-1497年)。父は永享の乱で敗死した第4代鎌倉公方足利持氏。鎌倉公方就... |
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古河公方
室町時代後期から戦国時代にかけて、下総国古河(茨城県古河市)を本拠とした関東足利氏。享徳4年(1455年)、第5代鎌倉公方足利成氏が、享徳の乱の際に鎌倉... |
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太田道灌
室町時代の武将。武蔵守護代、扇谷上杉家の家宰。摂津源氏の流れを汲む太田氏。諱は資長。扇谷上杉家家宰太田資清(道真)の子で、家宰職を継いで享徳の乱、... |
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馬加康胤
室町時代の武将。本姓は平氏。千葉満胤の次男で、千葉康胤(ちばやすたね)とも。兼胤の弟で胤直・胤賢の叔父。輔胤、馬加胤持の父(輔胤については異説あり... |
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東常縁
室町時代から戦国時代の武将であり、歌人でもある。美濃篠脇城主。父は東益之。官職が下野守だったため東野州と一般には称される。生年については、応永12年... |
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原胤房
室町時代中期の武将。原胤親の子。胤隆、胤継の父。受領名は越前守または越後守。原氏は千葉氏の庶流。九州千葉氏の祖となった千葉宗胤の末裔との説もある。... |
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千葉自胤
室町時代中期から戦国時代初期の武将。武蔵千葉氏第2代当主(室町幕府からは千葉氏当主と認められた)。父は千葉氏嫡流の千葉胤賢。実胤の弟。養子に甥で実胤... |
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千葉胤直
室町時代中期の武将、守護大名。下総守護、千葉氏の第16代当主。父は第15代当主千葉兼胤、母は上杉禅秀の娘。胤賢の兄で馬加康胤の甥。子に胤将、胤宣。官位... |
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上杉顕房
親
室町時代の武将、守護大名。相模守護。扇谷上杉家当主。上杉持朝の嫡男。三浦高救、定正、朝昌の兄。政真、女子(千葉実胤正室)の父。官位は弾正少弼、修理... |
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足利義政
室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代将軍(在職:1449年-1473年)。父は6代将軍足利義教、母は日野重子。早世した7代将軍足利義勝の同母弟... |
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千葉孝胤
室町時代中期から戦国時代初期にかけての武将。千葉輔胤(岩橋輔胤)の嫡男。子に勝胤。生没年には諸説あり、嘉吉3年5月2日(1443年5月30日)生まれ、嘉吉3年... |
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千葉輔胤
室町時代中期から戦国時代初期にかけての武将。千葉氏の第21代当主。官位は従五位下、千葉介(異説有)。子に孝胤、椎崎胤忠がいる。『千葉大系図』によれば... |
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上杉憲忠
室町時代中期の武将。上杉憲実の長男で房顕の兄。官位は右京亮。山内上杉家出身。幼名は竜忠。正室は上杉持朝の娘。関東管領に就任するが、鎌倉公方足利成氏... |
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千葉胤賢
父
室町時代中期の武将。父は千葉氏第15代当主千葉兼胤、母は上杉氏憲(禅秀)の娘。第16代当主胤直の弟。実胤、自胤の父。官途は中務大輔。号は了心。享徳3年12... |
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大森氏頼
室町時代から戦国時代の武将。扇谷上杉家の家臣。大森氏当主。大森頼春の子。憲頼の兄。妻は三浦高明の娘(三浦時高の姉妹)。実頼、藤頼、娘(三浦高救正室... |
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正元
三国時代、魏の高貴郷公曹髦の治世に行われた最初の元号。254年-256年。正元3年は6月に改元されて甘露元年となった。 |
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北条氏綱
戦国時代の武将、相模の戦国大名。なお、当初は伊勢氏を称しており、北条氏を称するようになるのは父の死後の大永3年(1523年)頃である。父の北条早雲は生涯... |
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上杉持朝
室町時代中期の武将、守護大名。相模守護。扇谷上杉家当主。上杉氏定の次男で持定の弟。子に顕房、三浦高救、定正、朝昌、上杉憲忠正室、吉良成高正室など。... |
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足利義明
足利義明(あしかがよしあき)は室町時代後期(戦国時代)の武将。足利氏の一門。第2代古河公方足利政氏の子。第3代古河公方足利高基の弟。小弓公方を自称。 |
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長尾景春
戦国時代の武将。北条早雲と並ぶ関東における下克上の雄の一人である。 |
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プロフィール
千葉実胤(ちばさねたね、嘉吉2年(1442年)-文正元年(1466年))は、室町時代中期の武将。武蔵千葉氏初代当主。父は千葉氏嫡流の 千葉胤賢。正室は 上杉顕房の娘。弟に自胤。千葉守胤(盛胤)は子とされる。通称は七郎。
生涯
| 康正元年(1455年)、上杉氏と古河公方足利成氏が対立して享徳の乱が発生、千葉氏は上杉氏に与したが、成氏派の重臣原胤房と同族の馬加康胤に千葉城を急襲され、千田荘に逃れ援軍を待った伯父の千葉胤直と従兄の胤宣父子は原胤房らに多古城と志摩城を攻められ落城、自刃した。 |
| しかし実胤と弟自胤は父胤賢に連れられ志摩城を脱出、父も9月7日に小堤城で自刃して果てたが、実胤らは八幡荘市河城(現在の市川市市川)へ逃れた。 |
| 室町幕府8代将軍足利義政が派遣した同族の奉公衆東常縁の支援はあったが、成氏の派遣した簗田持助に敗れ、康正2年(1456年)1月19日に市河城も陥落、実胤らは武蔵へ、東常縁は東庄の近い下総匝瑳郡へと逃れた。 |
| その後、体制を立て直した常縁は、2月7日に老尾神社で戦勝祈願をした後に馬加城(現在の千葉市花見川区幕張町)を攻め落とし、6月12日に馬加康胤の子胤持を、11月1日には上総八幡(現在の市原市八幡)の村田川にまで逃れた康胤を討ち取り11月24日に原胤房も追放、馬加氏を滅ぼした。 |
| さらに康正3年(1457年)4月には実胤らの外戚である扇谷上杉家の家宰太田道灌が江戸城を築城する等古河公方側に圧力をかけ続けた。 |
| しかし、分家の印東庄岩橋村(現在の酒々井町岩橋)の領主岩橋輔胤等は本佐倉城を築城するなどし反抗し続けた。 |
| その為、武蔵へ逃れた実胤らの下総への帰還は叶わず、実胤は寛正3年(1462年)に隠遁したと伝えられる。 |
| 一説によれば病弱であったとも言われているが、近年では堀越公方足利政知の側近渋川義鏡による讒言による失脚とする説もある(三浦時高、大森氏頼・実頼父子も義鏡に讒言されたとも)。 |
| 弟の自胤が後を継いだが、東常縁が応仁の乱で本拠地美濃の所領を横領されたため帰京、岩橋輔胤の息子で千葉氏当主となった千葉孝胤の支配を崩せず、文明14年11月27日(1483年1月6日)に成氏と上杉氏の和睦が成立して千葉氏も成氏側の孝胤の下総支配が確定、自胤の帰還は実現せず、子孫は武蔵の国人に転落した。 |
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1455年
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上杉氏と古河公方足利成氏が対立して享徳の乱... |
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1457年
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実胤らの外戚である扇谷上杉家の家宰太田道灌... |
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千葉実胤さんについてのひとこと紹介
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