| ヘビースモーカーでもあり、一日に200本も吸ったといわれる。 |
| また酒豪でもあり、後に谷川浩司には、「自分は5歳のときから酒を飲んでいたので記憶力が減退してしまった。 |
| 酒は控えなさい」とアドバイスしている。 |
| 反面、ギャンブルは大嫌いで、一応一通り試してみたが「運に左右されるものは勝負じゃない」と終生好まなかった。 |
| 生涯のライバル:大山康晴との対局について、王将戦の記録係を務めた内藤國雄はこう語っている。 |
| 「升田さんはタバコを吸い、大きな灰皿に花びらのようにポーンポーンと吸殻を並べていくんですね。 |
| それに対して、大山名人はアゴを引いてジッ…としている。 |
| それがまた素晴らしいですね。 |
| 不動という感じでね。 |
| だから全く飽きなかったですね、この2人の対局は。 |
| 棋譜だけではなく、2人の対局する姿も絵になっていたんですよ。 |
| 終戦直後、日本を統治していたGHQが、「将棋は相手から奪った駒を味方として使うことができるが、これは捕虜虐待の思想に繋がる野蛮なゲームである」として禁止しようとした。 |
| 将棋連盟の代表としてGHQと相対した升田は「将棋は人材を有効に活用する合理的なゲームである。 |
| チェスは取った駒を殺すが、これこそ捕虜の虐待ではないか。 |
| キングは危なくなるとクイーンを盾にしてまで逃げるが、これは貴殿の民主主義やレディーファーストの思想に反するではないか」と反論した。 |
| 「女は頭が悪い」「女性には将棋はできない」と発言したこともあったが、女性には人気があり、升田自身も女性には優しかった。 |
| 当時の女流名人蛸島彰子が升田にサインを求めたところ、升田は快く応じている。 |
| まだ十代だった中井広恵には、「女は将棋なんて強くなくても抱き心地さえ良ければいいんだ」と発言している |
| 囲碁も強く、アマチュアの大会などにも出場し、団体戦出場時は自分が大将(主将)でなければ気がすまなかったといわれている。 |
| 死後、後輩の米長邦雄らの尽力により日本棋院より囲碁アマ八段が贈られている(米長は、升田が「ヒゲの九段」と親しまれていたことから九段追贈を求めたが、さすがに許可が下りなかった)。 |
| 剣豪の話が大好きであったという。 |
| テレビの時代劇に出演したことがある。 |
| 参院選に出馬を打診された際「本業に自信のあるものは政治家にはならない」と断った。 |
| 全日本選手権戦(後の十段戦→竜王戦)で対戦した木村名人に対して「名人など所詮はゴミのようなもの」と言った。 |
| ムッとした木村は「じゃあ君は一体なんだ?」と反論したところ「ゴミにたかるハエだな」と言うなど、毒舌ながらユーモアもあった。 |
| 塚田正夫とは仲がよく、一緒に酒を飲むことが多かった。 |
| あるとき升田が「俺は太陽で、あんたは月だ」と言うと、普段は無口な塚田も頭にきて「何で俺が月だ」と反論し、太陽だ、月だ、と言いあったことがあった。 |
| 晩年には「もう一度生まれてきたら、天野宗歩のように3歳くらいで将棋を覚えて、名人に角を引きたい(ハンデとして自陣の角なしで戦いたい)」と語ったことがある。 |
| 朝日新聞の将棋嘱託を務めており、名人戦問題では朝日寄りの言動が目立ったという。 |
| 20代の頃、数年軍隊に入隊したことがあった。 |
| その頃升田は煙草や酒、不規則な生活で体が相当弱っており、「軍隊に入って規則正しい生活、定期的な運動などしたおかげで大分体調が良くなった。 |
| もし入隊していなかったらとっくにくたばっていただろう」と後に述懐している。 |
| また銃剣の試合で最初は古参兵にボコボコにされていたが、銃剣の試合であるコツをつかんだところ負けなくなったという。 |
| 大抵の人間は息を吸い始めた瞬間は無防備になるものだ。 |
| それを覚えてからは銃剣で負けなくなった」升田が将棋でめっぽう強かったのは相手の癖を徹底的に見抜くことにあったことを如実に物語るエピソードである。 |
| ある対局で、もつれた終盤戦で升田がバチッと力強く勝負手を放った。 |
| 相手の棋士は大棋士たる升田が詰みだと自信満々に言うので戦意を喪失してそこで投了してしまった。 |
| ところが局後の感想戦で詰んでいないことが明らかになった。 |
| 相手方の棋士はつい恨み言を升田にぶつけたところ、升田は「プロがきちんと確認もしないで俺の一言で投了したんじゃあ、お前の棋力はそんなもんだよ」とうそぶいていたという。 |