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つながりの強いひと
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矢島晶子
日本の女性声優。新潟県柏崎市出身。淑徳短期大学卒業。既婚。本名:小笠原晶子(おがさわらあきこ、旧姓:矢島)。身長153cm。血液型はB型。フリー。代表作は... |
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東京都出身の小説家。女性。日本児童教育専門学校児童文学科、早稲田大学第二文学部卒。児童文学創作の傍らアニメーションのシナリオを手がける。1990年、『... |
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東京都出身、新潟育ちのアニメーション演出者。本名の本郷満をはじめ、ほんごうみつる、郷満、潮乱太、渋谷ポチ名義での活動もある。代表作に『クレヨンしん... |
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日本の女性脚本家である。日本脚本家連盟会員。 |
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小林 真 [こばやし・しん] 大阪妄想論にアクセスしていただきありがとうございます。 昭和44年福岡県北九州市(当時小倉市)生まれの37才。幼少期から高校卒... |
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茂木仁史(もぎひとし、1959年-)は日本のアニメプロデューサー。東京都出身。 |
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プロフィール
- 原恵一とは
- 作風
- 生まれ
- アニメ演出家として
- クレヨンしんちゃん
- 河童のクゥと夏休み
- フリーランスに
- カラフル
- 受賞歴
- テレビアニメ
- 劇場版アニメ
- 人物像
- アニメに対するスタンス
- 評価
原恵一(はらけいいち、1959年7月24日-)は、日本のアニメーション監督。群馬県館林市出身。フリー。自らが作品を起し、絵コンテや脚本を手がけることが多い。
作風
| 論理よりも情緒に訴える作品作りを主軸にしている。 |
| 平凡な家族を主役とし、どこにでもある日常を舞台にする傾向が強い。 |
| 1970年代風のポピュラー音楽、又は当時の楽曲をそのまま劇中に使用することが多い。 |
生まれ
| 群馬県の駄菓子屋を営む家庭に生まれる『アニメーション監督原恵一』p.8。 |
| 4人家族で妹が1人。 |
| 両親は映画好きで、テレビの洋画劇場を親と一緒によく見ていたという『アニメーション監督原恵一』p.10-11。 |
| 小学校時代は当初は勉強はわりとできたものの、次第に追いつけなくなり、授業がつまらなくて眠くなった様子を教師から「死んだ魚のような目をしている」と評された。 |
| その頃から絵を描くことを好み、幼稚園から小学生の頃は好きだった『ゴジラ』の絵が大半だったという。 |
| もっとも小学生高学年になると『ゴジラ』からは自然に離れ、興味がなくなったとのこと。 |
| 中学生時代には当初陸上部に入ったが、2年生になったときに上級生部員がほとんどいなくなり、スカウトされて水泳部に移る『アニメーション監督原恵一』p.14。 |
| 2年生の時には県大会にも出場したが、尻を叩く先輩がいなくなった3年生になると記録が伸びなかったという。 |
| 深夜放送やフォークギターに熱中し、志望校の公立高校には落ちて、滑り止めの私立高校へ進学『アニメーション監督原恵一』p.15。 |
| 原によると、学力の低い不良がかった生徒が多い学校のために学校生活に馴染めず、高校には「行っていただけ」と述べている『アニメーション監督原恵一』p.17。 |
| 中学の頃から自転車旅行を始め、高校時代には日本海側からユースホステルに泊まったりしながら群馬まで戻ったこともあった。 |
| また、高校1年生の時に見た『ガンバの冒険』に激しく共感したことを後年述べている『世界と日本のアニメーションベスト150』ふゅーじょんぷろだくと、2003年(『アニメーション監督原恵一』p.257-258に再録)。 |
| 美術大学には学力不足で進学できなかったものの、子供の頃から夢だった「絵を描く」仕事に就くため、アニメーションの専門学校である東京デザイナー学院へ進学。 |
| 専門学校時代も『ぴあ』を片手に名画座に通いつめる。 |
| 実写映画では小津安二郎、木下惠介、デヴィッド・リーン作品など、様々な作品を見て影響を受けた『アニメーション監督原恵一』p.19-20。 |
| しかしアニメ作品は自ら進んで見ず(周囲の影響でそれなりには見ている)、アニメ好きが好んで見るようなアニメとは距離を置いていた『ガンダム』はわりと好きだったが、『宇宙海賊キャプテンハーロック』や『銀河鉄道999』はそんなに好きではなかったという。 |
| (『アニメーション監督原恵一』p.21)。 |
| アニメファンの同級生から「原はどんなアニメが好きなんだ?」と聞かれ、原作も好きだった『サザエさん』を挙げると否定されるなど、専門学校時代も、周囲とは趣味が合わない生活を送る『アニメーション監督原恵一』p.21。 |
| 原は当時誘われる形で見たアニメ作品に関して、『太陽の王子ホルスの大冒険』はそんなに面白いとは思わなかったが、学院の文化祭で見た『どうぶつ宝島』『パンダコパンダ』『長靴をはいた猫』などは「むちゃくちゃ面白かった。 |
| あれで僕はアニメーションを見直した」と述べている。 |
| また、絵の上手な生徒の多さに圧倒されたことも、演出への道を進むきっかけとなったという。 |
アニメ演出家として
| 東京デザイナー学院卒業後、就職活動で参加した東京ムービーの見学コースから勝手に抜け出し、『ルパン三世』演出の御厨恭輔に入社を頼む『アニメーション監督原恵一』p.23-24。 |
| 絵コンテを描いてくるようにと言われ、『ルパン三世』の完成台本を渡される。 |
| 一週間か10日ほど後に絵コンテを持参し、数週間後に紹介されたCM制作会社アドックシステムズへ入社する。 |
| 1年半ほどして黒川慶二郎社長からの紹介でシンエイ動画に入社。 |
| 最初は『怪物くん』で制作進行を務め、その後、『フクちゃん』の途中で『ドラえもん』に異動し、演出助手に昇格する。 |
| そして『ドラえもん』の演出としてデビュー。 |
| 『ドラえもん』での演出を通じて、当時のチーフディレクターだった芝山努の緻密な絵コンテの描き込み振りに影響を受けた『アニメーション監督原恵一』p.30-31。 |
| 藤子・F・不二雄の漫画が好きで、シンエイ動画に入る前はアニメの『ドラえもん』よりも原作の方が面白いと思っていた原は、『ドラえもん』の演出となると一日中絵コンテを考える生活になる『アニメーション監督原恵一』p.29,32。 |
| 原が担当した『ドラえもん』のいつもより凝った構図は早くも注目され、アニメ雑誌『アニメージュ』1987年2月号に半ページの扱いで、傑作を続出させる若手演出家として紹介を受けた。 |
| 今でこそ『ドラえもん』の担当演出作品はファンから絶大な支持を受けているが、当時のスタッフの中には彼の演出の手腕に難色を示した者も少なからず存在し、作画スタッフと対立を起こしたこともあった。 |
| その時に仲裁したのが作画監督の中村英一であった。 |
| 『オバケのQ太郎』の絵コンテを何本かやった以外は数年『ドラえもん』に専念したのち、1987年に『エスパー魔美』のチーフディレクターとして抜擢され、2年半の長きに渡る仕事を務め上げた。 |
| しかし、若さ故の信頼度の低さが災いしてあちこちからクレームの嵐が来た(今でこそ20代の監督は珍しくないが、当時は異例だった)ため、ひどくストレスが溜まった。 |
| 後番組『チンプイ』でもチーフディレクターの打診があったが、『魔美』終了後に東南アジアに旅行することを決め(『チンプイ』のチーフディレクターは本郷みつるになる)、『チンプイ』の絵コンテを数本切った後休職する『アニメーション監督原恵一』p.35、40。 |
| 旅行は7ヶ月半にわたり、最終的に10ヶ月の休職ののちに復帰。 |
| 復帰後は『チンプイ』の演出・絵コンテを少し手がけ、そして後番組『21エモン』の監督となるが、人気が今ひとつで39話で打ち切りとなった。 |
クレヨンしんちゃん
| 1992年には『クレヨンしんちゃん』が開始。 |
| スタッフは『21エモン』までの人材がほぼスライドする形であったので、原もテレビ版・劇場版の両方で絵コンテや演出などを担当した。 |
| 当初はシンエイ動画社内でも力を入れていた作品ではなく、上層部からも「26回持たせてくれ」という状態であったが、段々と視聴率が上がり、社会現象にまで至るブームとなる。 |
| 原は「最初はやる気が起きなかったが、視聴率が上がるとこの仕事が面白くなって来た」と語っている。 |
| 1996年10月、本郷みつるから監督をバトンタッチされ、劇場版も1997年の『暗黒タマタマ大追跡』から監督を務める。 |
| 2001年の『嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』は各方面で話題となり、その知名度を高め、さらに、翌年2002年の『嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』では、またもや各方面で絶賛され、特に、日本PTA全国協議会の子供に見せたくない番組ランキング常連でもある『クレヨンしんちゃん』で、文化庁から評価を受けたことは話題となった。 |
| 2003年に劇場版の監督を水島努と交代してからは徐々に関わりを薄くし、2005年『伝説を呼ぶブリブリ3分ポッキリ大進撃』(ムトウユージ監督)では絵コンテに多少関わっている程度となった。 |
| 降板の理由について「自分が劇場版に関わって10作目と区切りもいいし、ネタも何とか絞り出して出来たのが『オトナ帝国』と『戦国大合戦』の2作。 |
| これ以上続けても同じことの繰り返しにしかならない」と語っている。 |
| テレビアニメの方も2004年7月には完全に監督をムトウユージに引き継がせて降板。 |
| 2003年に映画監督の曽利文彦と知り合い、曽利のCGアニメ映画の脚本に抜擢され、実際に脚本も執筆したが、その企画は流れてしまった。 |
河童のクゥと夏休み
| そして盟友・茂木仁史(シンエイ動画チーフプロデューサー)と長年温めた企画である、劇場映画『河童のクゥと夏休み』が、松竹系で2007年7月28日に公開された。 |
| この作品について原は「この20年間でアニメ化したかった作品の第一位であり続けた」とコメントしている。 |
| 原は80年代後半、漫画原作のアニメ化が隆盛となり、アニメオリジナル作品が無い事を嘆いていた。 |
| そこで児童文学作品を読み漁り、出会ったのが木暮正夫原作の「かっぱびっくり旅」であった。 |
| 原はアニメ化の許可を得るために木暮の許へ訪れた際、内容を大幅に書き換える旨を伝えた。 |
| 完成の10年程前に、エニックス(当時)が募集するアニメ企画に応募し佳作までに至っているが、それ以降の進展はなかった。 |
| 原は『週刊少年チャンピオン』におけるインタビューにて『クレヨンしんちゃん』のテレビシリーズと劇場版を演出や監督として手掛けていた当時、本作をアニメ化することが実現出来ないと思っていた。 |
| そこで、本作でやりたいと思っていたアイデアを小出しにしていたという(『オトナ帝国の逆襲』で東京タワーが出るシーンなど)。 |
| しかし原のこの作品のアニメ化に対する熱意は変わらず、その後「しんちゃん」の成果を見た関係者から「やってみましょう」と言われ、遂にゴーサインが出された。 |
| 原作者の木暮は、完成を目前にした2007年1月に死去。 |
| プレスリリース資料やムック本で、原は木暮に対して完成が遅れたことへの謝罪と感謝の弁を述べている『原恵一と「河童」の長い旅河童のクゥと夏休みOFFICIALGUIDE』角川書店、2007年、p.3。 |
| 『戦国大合戦』以来5年ぶりの監督最新作として注目された同作も、多方面から高い評価を受け、平成19年度第11回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞を受賞したほか、アニメ作品では『千と千尋の神隠し』以来6年ぶりにキネマ旬報ベストテンに選出された。 |
フリーランスに
| 2007年3月、シンエイ動画を退社しフリーに。 |
| 2009年9月には『戦国大合戦』が『BALLAD名もなき恋のうた』(山崎貴監督)として実写映画化された。 |
カラフル
| 監督最新作は森絵都の小説『カラフル』を原作とした同名作品で、制作はサンライズ、2010年8月21日に全国東宝系で公開された。 |
| 原恵一監督 劇場新作はサンライズと「カラフル」2010年8月21日公開目指す |
| 同作は2011年6月に開催された第35回アヌシー国際アニメーション映画祭で長編作品部門の特別賞と観客賞を受賞した。 |
受賞歴
| クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲(2001年)。 |
| 日本のメディア芸術100選アニメーション部門選出。 |
| クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦(2002年)。 |
| 2002年第6回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞。 |
| 2002年第7回アニメーション神戸個人賞。 |
| 2007年第11回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞。 |
テレビアニメ
| ドラえもん(1983年-1986年)演出助手・演出。 |
| エスパー魔美(1987年-1989年)チーフディレクター。 |
| クレヨンしんちゃん(1992年-)監督(2代目)・脚本・絵コンテ・演出(監督は1996年-2004年まで)。 |
人物像
| シンエイ動画時代の途中までは、愛好者の先輩社員に誘われて登山にもしばしば出かけていた『アニメーション監督原恵一』p.96。 |
| 樋口真嗣によると原は「どんなに酒を飲んでもヘッチャラ」で、「私は完膚無きまでに叩きのめされ、夜明けの新宿駅に沈み、泣いた」と記している樋口真嗣「強いトルクの男」『アニメーション監督原恵一』P.127-129。 |
| 携帯電話・パソコン・ファックスなどといった通信機器は一切所持しない主義である(存在否定ではなく、「もう余計なものを見たくないし身につけたくない」と述べている)『アニメーション監督原恵一』p.95。 |
| 2005年の矢島晶子との対談では、その時点でも自宅の電話が黒電話であると述べている『アニメーション監督原恵一』p.162。 |
| 浜野保樹は初めて会う約束をした際に原が「遅れることもなく、定刻通りやってきた」と記している『アニメーション監督原恵一』p.282一方、上記の対談で原は矢島から「時間厳守してくださいね」と言われ、文中に「この対談にも原恵一は大幅に遅刻した」という注記がなされている『アニメーション監督原恵一』p.167。 |
| ファンタジー作品はあまり好まないが、宮沢賢治の作品は例外で、大人になってから再発見して評価するようになった『アニメーション監督原恵一』p.110-111。 |
| 杉井ギサブロー監督による『銀河鉄道の夜』のアニメ映画も好きで「賢治の映像化作品の中で自分が見た中では一番いい」と述べ、高畑勲監督の『セロ弾きのゴーシュ』のアニメ映画についても「あれもよかった。 |
アニメに対するスタンス
| 2004年の浜野保樹との対談では、「ここ10年でよかったのは『マインド・ゲーム』(湯浅政明監督)と『人狼JIN-ROH』(沖浦啓之監督)くらい」と述べ、理由を「(アニメは)ちょっと気になるのは見るのですが、「これはすごいぞ」と思えるのは好みですが、ここのところあんまりない。 |
| 原の言うアニメの気持ち悪さとは、「気持ち悪いキャラや、それに合わせて気持ち悪い声を出す声優や、勘違いした演出家などが放つ自意識過剰なナルシシズムとかろくでもないもの」とのこと原恵一「丹念に描かれた芝居が生む、ただごとではない緊張感人狼JIN-ROH/沖浦啓之」『世界と日本のアニメーションベスト150』ふゅーじょんぷろだくと編、ふゅーじょんぷろだくと、2003年、p.51(『アニメーション監督原恵一』p.259-260に再録)。 |
| 『クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』に登場するチャコについて、小林愛の声を見つけたことが自分のキャスティングの上で大きかったと述べている『アニメーション監督原恵一』p.83。 |
| 技術の発達で一人で作ったアニメでもパッケージとして売り物になる時代が来て、そういう道もこれからはあるとわかったことは評価しながらも、作品の中身が大事と考えており、新海誠の『ほしのこえ』には「僕はついていけなかった」と述べている『アニメーション監督原恵一』p.93。 |
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1959年
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原 恵一(はら けいいち)は、日本のアニメー... |
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1987年
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『エスパー魔美』のチーフディレクターとして... |
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