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抜擢されるのが早く、1980年には22歳という若さで一軍デビューを果たす。
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1987年、オールスターゲームに初出場し、第3戦(阪神甲子園球場)で球審を勤める。
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1992年には日本シリーズの初舞台を踏み、第3戦の球審を務めた。
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2003年に副部長に昇進(30代で主任昇格、45歳で副部長は、異例のスピード出世といえる)。
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2007年10月20日には、セントラル・リーグクライマックスシリーズ第2ステージ第3戦・巨人-中日戦にて通算2500試合出場を達成した。
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ベテランの域に入った現在でも若々しく、一軍の試合に帯同し続けており、このペースでいけば3000試合出場も十分可能である。
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オールスターゲームには5回(1987年、1990年、1994年、1998年、2006年)、日本シリーズには1992年~1994年、1996年~2002年、2004年、2006年の計12回出場している。
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日本シリーズでは、1998年・2002年・2006年に第1戦、2001年に第2戦、1992年・1996年に第3戦、1997年に第4戦、1994年に第5戦、2004年に第7戦の球審を務めている。
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2009年、2009 ワールド・ベースボール・クラシックの審判員として、渡田均、中村稔、良川昌美らと派遣され、2次ラウンド2組の一塁・三塁塁審を務める。
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マスクは、2005年まではスロートガード装着型のものを使用していたが、2006年からはスロートガード一体型のマスクを使用しているときもある。
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マイクによる場内説明の際には「審判の友寄です。
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」の前口上が印象的である。
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ストライク宣告時には、特徴的な振りかぶるようなジェスチャーであったが、現在はガッツポーズのようになっている。
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現審判部長の井野修の後任として次期部長となることが有力視される。
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就任すれば1990年~1996年まで在任していた山本文男以来となる関西所属の審判部長となる。
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2009年度より、審判部副部長から審判部部長待遇に昇格。
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2008年4月27日阪神甲子園球場で行われた阪神タイガース対読売ジャイアンツの試合で球審を務めた友寄は、同点で迎えた9回裏二死満塁、ボールカウント2ストライク3ボールからの新井貴浩への投球をボールと判定し、試合は阪神のサヨナラ勝ちとなった。
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この判定を不服として巨人の投手マーク・クルーンが友寄に向かって暴言を吐いたため、友寄は試合終了後であるがクルーンに退場を宣告した。