| スイス銀行77年の大破局(『諸君!』1978年12月号)。 |
| 新しい世界秩序を求めて(毎日新聞夕刊文化欄1979年12月8日)。 |
| もうひとつの現実――国際児童年の終わりに(『ENGLISHJOURNAL』1979年12月号)。 |
| アフリカ工業開発への視点――高まる国連への期待(『聖教新聞』1985年9月7日)。 |
| 国連NGO活動と日本の“不在”――ジュネーブからの提言(『OISCA』1985年12月号)。 |
| 「核兵器―世界の脅威」展に携わって(『聖教新聞』1985年12月13日)。 |
| 私の国際人論(『世界週報』1986年10月21日号)。 |
| 草の根国際人のすすめ――国際社会の現場からの提言(『第三文明』1986年12月号)。 |
| 日本人よ「世界」をめざせ/少なすぎる人的貢献(朝日新聞「なぜ、どうする、どうなる」1987年1月17日)。 |
| 根無し草職員、国連で奮戦(日本経済新聞朝刊文化欄1987年5月4日)。 |
| 数より質、地球市民の自覚を――国際機関が求める人材(朝日新聞「論壇」1988年3月14日)。 |
| 考えよう原子力の平和利用(『佼成新聞』<立正佼成会機関紙>1988年4月8日)。 |
| 国際機関の本質、無理解な日本人(読売新聞「論点」1988年5月13日)。 |
| カネを出すならクチも出そう(『エネルギー・フォーラム』1988年6月号)。 |
| IAEAの活動と将来(月刊『放射線科学』1988年8月号)。 |
| 第三の国連都市ウィーンからの報告(『WINDS』<JAL機内誌>1988年9月号)。 |
| 病的な日本の反原発運動(『エネルギー・フォーラム』1988年11月号)。 |
| ウィーン発「拝啓、原発アレルギー様」(『正論』1989年1月号)。 |
| “草の根派”国際人の言い分(『中央公論』1989年9月号)。 |
| 何のための国際原子力機関(IAEA)か(『中央公論』1989年10月号)。 |
| 国連が告発する女性“割礼”(『中央公論』1990年5月号)。 |
| 国連を日本が乗っ取る日(『朝日ジャーナル』連載第1回1990年4月6日号)。 |
| 難民保護のとりでを牛耳る北欧マフィア(『朝日ジャーナル』連載第2回1990年4月13日号)。 |
| WHO日本人トップの四面楚歌(『朝日ジャーナル』連載第3回1990年4月27日号)。 |
| 原発の推進役と化したIAEA(『朝日ジャーナル』連載第4回1990年5月4-11日号)。 |
| 座談会「改めて日本人の“国際化”を問う」(産経新聞「FORUM91」1991年4月30日)。 |
| 座談会「ODAのあり方をさぐる」(上下)(産経新聞「FORUM91」1991年6月25日)。 |
| 水面下で進む国連の機構改革(『世界週報』1991年11月26日号)。 |
| 拝啓、金日成閣下、核開発を直ちにお止めなさい(産経新聞社『正論』1992年2月号)。 |
| 時代遅れの核査察制度(朝日新聞「論壇」1992年2月7日)。 |
| 知らぬは日本人ばかり(1)「国連の正体」(『新潮45』1992年5月号)。 |
| 知らぬは日本人ばかり(2)「国連マフィアの正体」(『新潮45』1992年6月号)。 |
| 核管理は幻想である(『文藝春秋』1992年6月号)。 |
| 核査察の実態――佐藤勝巳氏と対談(『現代コリア』1992年6月号)。 |
| 強まる日本バッシングに正念場のWHO事務局長・中嶋宏(『正論』1992年7月号)。 |
| 世界の顰蹙を買うWHOの日本人トップ(『新潮45』1992年11月号)。 |
| 明石康と国連の日本人7人のサムライ(『文藝春秋』1992年12月号)。 |
| 国連事務局における日本人職員のコンフリクト・マネージメント(『現代のエスプリ』1993年3月号)。 |
| 国連ガリ構想と日本の妄想――中西輝政氏と対談(『諸君!』1993年4月号)。 |
| 日曜論争「国連安保理常任理入り」西原正氏と対論(毎日新聞朝刊1993年10月24日)。 |
| 対人地雷禁止NGOのノーベル平和賞受賞(東京新聞夕刊文化欄1997年10月16日)。 |
| 米国の核の傘に守られている日本に印パを非難する資格はない(『週刊金曜日』98年6月5日号)。 |