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如拙
南北朝時代から室町時代中期の画僧。道号は大巧(たいこう)。絶海中津(ぜっかいちゅうしん)が『老子』の「大巧は拙なるが如し」にちなんで名づけたという。 |
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雪舟
室町時代に活動した水墨画家・禅僧。「雪舟」は号で、諱(いみな)は「等楊」(とうよう)と称した。備中に生まれ、京都相国寺で修行した後、大内氏の庇護の... |
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章邯
秦の将軍。弟に章平がいる。九卿の末席である少府を務めていたが、紀元前209年冬に陳勝・呉広の乱でかつて楚に仕えていた周章(周文)率いる反乱軍が都の咸陽... |
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宗湛
室町時代中期の画僧。宗丹とも書く。小栗氏出身、俗名助重。相国寺の画僧周文に水墨画を学んだ。1462年(寛正3年)京都相国寺松泉軒の襖絵を描いて室町幕府8... |
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陳勝
秦代末期の反乱指導者。字は渉。劉邦や項羽に先んじて秦に対する反乱を起こしたが、秦の討伐軍に攻められて敗死した。漢代に劉邦から隠王と諡された。 |
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松下隆
松下隆二 プロフィール
1971年福岡生まれ。
7才よりクラシックギターを坂本一比古氏に師事。
和声学を吉田峰明氏に師事。
1990年 第18回山口県ギター音楽コ... |
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劉邦
前漢の初代皇帝(在位:前202年2月28日-前195年6月1日)。沛県の亭長<REF>亭とは当時一定距離ごとに置かれていた宿舎のこと</REF>であったが、反秦連合に参加... |
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寒山
中国で唐代に浙江省にある天台山の国清寺に居たとされる伝説的な風狂の僧の名である。『寒山子詩』の作者とされる。後世、拾得と共に有髪の姿で禅画の画題と... |
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与謝蕪村
江戸時代中期の日本の俳人、画家。本姓は谷口、あるいは谷。「蕪村」は号で、名は信章通称寅。「蕪村」とは中国の詩人陶淵明の詩「帰去来辞」に由来すると考... |
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足利義政
室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代将軍(在職:1449年-1473年)。父は6代将軍足利義教、母は日野重子。早世した7代将軍足利義勝の同母弟... |
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京都五山
本年も五山送り火オリジナル絵はがき・扇子を発売するほか,五山送り火が図案化された線香を新たに発売します。この収益金は、五山送り火に対する補助金の一... |
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足利義満
足利義満(あしかがよしみつ)は室町時代前期の室町幕府第3代将軍(在職1368年-1394年)である。父は第2代将軍足利義詮、母は側室の紀良子。封号は日本国王。... |
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狩野探幽
狩野探幽(かのうたんゆう、慶長7年1月14日(1602年3月7日)-延宝2年10月7日(1674年11月4日))は江戸時代の狩野派を代表する絵師である。狩野孝信の子で狩... |
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牧谿
13世紀後半、宋末元初の僧。法諱は法常で、牧谿は号だが、こちらで呼ばれるのが通例。水墨画家として名高く、日本の絵画史のなかで、最も高く評価されてきた... |
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項梁
中国秦代末期の武将、反乱指導者。陳勝・呉広の乱を引き継ぎ、秦に対する反乱を組織的な物としたが、秦の章邯将軍に敗死した。項羽の叔父、楚の大将軍・項燕... |
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能阿弥
室町時代の水墨画家、茶人、連歌師、鑑定家、表具師。姓は中尾、名は真能(さねよし)。法号は真能。号は鴎斎、春鴎斎子。子に芸阿弥、孫に相阿弥がいる。元... |
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夢窓疎石
鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧。七朝帝師。父は佐々木朝綱、母は平政村(北条政村か?)の娘。 |
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狩野正信
室町時代の絵師で、狩野派の祖である。狩野派は、室町時代から明治に至るまで400年にわたって命脈を保ち、常に日本の絵画界の中心にあった画派であった。この... |
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長谷川等伯
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師。狩野永徳、海北友松、雲谷等顔らと並び桃山時代を代表する画人である。 |
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武王
周朝の創始者。殷の最後の帝辛(いわゆる紂王)を滅ぼし、周を立てた。文王の次子。同母兄に伯邑考、同母弟に管叔鮮、周公旦、蔡叔度、霍叔処、康叔封らがい... |
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プロフィール
周文(しゅうぶん、生没年不詳)は、室町時代中期の禅僧・画僧。周文は字(あざな)で、道号は天章。画号は越渓。俗姓は藤倉氏。
略歴
| 相国寺の都管(つかん、つうす)の職にあり、相国寺の庶務・会計として財政を担当するとともに、画家として俸禄を貰い足利将軍家の御用を務めた。 |
| 1423年(応永30年)大蔵経を招来するための朝鮮派遣使節に参加し、その地で山水画を描いた。 |
| 1430年(永享2年)には大和国片岡の達磨寺の達磨大師座像に彩色を施し、1440年(永享12年)には、雲居寺(うんごじ)の仏像の像容の参考とするため奈良東大寺に赴くなど、広い範囲の事績が知られ、1454年(享徳3年)頃まで生存していたようである。 |
| 周文の作品にはもともと款記がなく、印章などは後に押された可能性が高いため、周文自身が実際に描いたという作品を特定できず、画風の実態については不明である。 |
| したがって伝称作品のうち、周文が活躍したであろう応永半ば以後から寛正年間までの約40年間に制作されたのが明らかで、しかも当時の周文の名声に相応しいような名作を「伝周文」作品として扱っている。 |
| そのため、最も真筆の可能性が高いと言われる代表作「水色巒光図」と「竹斎読書図」を比べても、筆致に明白な差異が存在する。 |
| 共通する作品の特徴として、縦長の構図を用いた高遠の強調、馬遠や夏珪に倣った対角線構図の多用、力強い描線、等が挙げられる。 |
| 周文没後の将軍家御用は小栗宗湛に引き継がれた。 |
| 他にも岳翁蔵丘や天遊松渓、雪舟等楊といった優秀な弟子を育て、室町時代の水墨画の確立に大きく貢献した。 |
[[重要文化財]]
| 四季山水図屏風(東京・前田育徳会)。 |
| 四季山水図屏風(愛知・真宗大谷派名古屋別院)。 |
| 四季山水図屏風(奈良・大和文華館)六曲一双。 |
| 四季山水図屏風(東京・静嘉堂文庫)六曲一双紙本墨画淡彩。 |
| これらは周文より後、弟子の世代の作と考えられる。 |
| 三益斎図(静嘉堂文庫)一幅応永25年(1418年)。 |
| 蜀山図(静嘉堂文庫)一幅。 |
| 聴松軒図(静嘉堂文庫)一幅。 |
| 万里橋図(静嘉堂文庫)一幅。 |
| 陶淵明賞菊図(東京・梅澤記念館)一幅応永32年(1425年)。 |
| 陶弘景聴松図(山梨県立美術館→山梨県立博物館へ移管)一幅嘉吉2年(1442年)の賛。 |
| 湛碧斎図(兵庫・香雪美術館)一幅。 |
| 墨菊図(和歌山・遍照光院)。 |
| 帰郷省親図(神奈川・常盤山文庫)一幅。 |
| 江山夕陽図(個人蔵)一幅永享9年(1437年)頃。 |
その他
| 春秋山水図(クリーブランド美術館)六曲一隻紙本墨画淡彩。 |
| 蘇東坡図(メトロポリタン美術館)一幅。 |
参考資料
| 金沢弘『日本の美術334水墨画如拙・周文・宗湛』至文堂、1994年ISBN978-4-784-33334-9。 |
| 松本隆章『日本美術絵画全集第2巻如拙・周文』集英社、1979年(普及版:1981年)。 |
| 松本隆章『日本の美術13水墨画』至文堂、1967年。 |
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