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つながりの強いひと
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所功
日本の歴史学者、法制史学者。京都産業大学法学部教授。学位は法学博士。 |
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建武
後漢の光武帝劉秀の治世に行われた最初の元号。25年-56年。建武32年(56年)は4月に改元され、建武中元元年となった。この元号は、漢王朝を再興した際に初め... |
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森克己
日本の歴史学者。専門は 対外関係史。元中央大学教授。 長野県生まれ。第二高等学校を経て、1929年に東京帝国 大学文学部国史学科卒業。史料編纂官... http:/... |
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黒板勝美
日本の歴史学者。東京帝国大学名誉教授。文学博士。専門は、日本古代史、日本古文書学。号は虚心。 |
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八代国治
明治・大正期の歴史学者。長慶天皇在位の結論を出したことで知られている。 |
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説苑
説苑 塑性加工技術者への期待 ……………………………井川 正治 連載講義 「金型」 最近の金型材料と熱処理 ……………………………井上幸一郎 説苑 塑性加工技術者への期待 …………………... |
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頼山陽
頼山陽(らいさんよう、安永9年12月27日(1781年1月21日)-天保3年9月23日(1832年10月16日))は江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人である。幼名は... |
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和田英作
和田英作(わだえいさく、1874年12月23日-1959年1月3日)は日本の洋画家。父は和田秀豊、弟は和田秀穂。鹿児島県垂水市に和田秀豊の長男として生まれる。鞆絵... |
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慈円
鎌倉時代の天台宗僧侶である。歴史書『愚管抄』を記した。諡号は慈鎮和尚で一般に吉水僧正とも呼ばれ、また『小倉百人一首』では、前大僧正慈円と称されてい... |
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深津郡
深津郡(ふかつぐん)は1898年まで広島県に存在した郡の一つである。1898年10月1日に安那郡(やすなぐん)と統合し、深安郡に移行した。現在は全域が福山市に... |
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小中村清矩
国学者・日本史学者。姓は紀氏。幼名は栄之助・金四郎・金右衛門・将曹と称した。号は陽春廬(やすむろ)。国文学者池辺義象はその養子(のち池辺に復する)。 |
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枕草子
平安時代中期に中宮定子に仕えた女房清少納言により執筆されたと伝わる随筆。ただし本来は、助詞の「の」を入れずに「まくらそうし」と呼ばれたという。「枕... |
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金田弘
金田 弘(カネダ ヒロシ) 千葉県出身。出版社勤務を経てフリーに。保育・福祉をはじめ、芸術、海外情報と広いジャンルにわたり雑誌や会報誌などに執筆中。介... |
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丸山二郎
日本の歴史学者。千葉大学教授。専門は日本古代史。 |
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飯田武郷
幕末・明治期の国学者。東京大学教授。江戸生まれ、高島藩出身。48年かけて執筆した『日本書紀』の注釈書「日本書紀通釈」70巻を完成させた。通称は彦介のち... |
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木村正辞
国学者、国文学者。下総国成田村生まれ。はじめ清宮荘之助。号を欟斎。伊能穎則に国学、岡本保孝に音韻学を学び、和学講談所、水戸藩駒込文庫に出仕する。維... |
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小杉榲邨
小杉榲邨 【こすぎ・すぎむら】 4件の用語解説(小杉榲邨で検索) Tweet 朝日日本歴史人物事典 の解説 生年:天保5.9(1834) 没年:明治43.... |
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プロフィール
- 和田英松とは
- 生涯
- 単著
- 編著
- 共著
- 校訂
- 挿話
- 参考図書
和田英松(わだひでまつ、慶応元年9月10日(1865年10月29日)-昭和12年(1937年)8月20日)は、日本の歴史学者(日本史学)・国文学者。文学博士。位階勲等は従三位勲二等。
生涯
| 慶応元年(1865年)、備後国沼隈郡鞆町(現在の広島県福山市)にて和田五平・イトの二男として出生。 |
| 明治5年(1872年)、母の生家に託せられ、照蓮寺の三宅某について習字読書を始める。 |
| 明治6年(1873年)、備後国深津郡新涯小学校に通学し、櫛野瀬平に学ぶ。 |
| 明治7年(1874年)、医師内海卓爾について習字読書を学ぶ。 |
| 明治11年(1878年)、玉井正幹について漢籍を学ぶ。 |
| 明治13年(1880年)、福山師範学校を受験、不合格。 |
| 以来、宗家の家事を手伝いながら会計を掌り、もっぱら史書を読む。 |
| 明治17年(1884年)、帝国大学文科大学古典講究科入学。 |
| 明治21年(1888年)、同卒業。 |
| 帝国大学在学中、本居豊穎から『古事記』、飯田武郷から『日本書紀』、木村正辞から『万葉集』、小杉榲邨から『古語拾遺』『古史徴開題記』、久米幹文から『大鏡』『栄花物語』など、大和田建樹から『枕草子』『徒然草』などの古典籍を教授され、小中村清矩から『令義解』『制度通』、内藤耻叟から『続日本紀』『類聚三代格』、松岡明義から『禁秘抄』『職原抄』などによって、法制史や有職故実を学んだ。 |
| 明治23年(1890年)、『古事類苑』嘱託編修員。 |
| 明治25年(1892年)、日本中学および錦城中学校において国文教師嘱託。 |
| 明治26年(1893年)、師範学校・尋常中学校・高等女学校国語科教員の免許状を取得。 |
| 『平安通志』嘱託編纂員。 |
| 明治28年(1895年)、東京帝国大学史料編纂助員となる。 |
| 明治32年(1899年)、同依願免職。 |
| 明治33年(1900年)、東京帝国大学史料編纂員。 |
| 明治35年(1902年)、國學院講師を嘱託。 |
| 明治40年(1907年)、史料編纂官に就任。 |
| 史料編纂掛勤務の間、『大日本史料』第1・第2・第3・第4・第5篇の編纂にあたった。 |
| 大正7年(1918年)、『皇室御撰解題』(『列聖全集』)により帝国学士院恩賜賞を受賞。 |
| 大正8年(1919年)、東京高等師範学校講師嘱託。 |
| 大正9年(1920年)、帝国学士院より帝室制度の歴史的研究を嘱託。 |
| 大正10年(1921年)、「朝儀ニ関スル典籍ノ研究」により、東京帝国大学から文学博士の学位を受けた。 |
| 大正13年(1924年)、臨時御歴代史実考査委員会委員。 |
| 昭和4年(1929年)、二松学舎専門学校教授嘱託。 |
| 国宝保存会常務委員。 |
| 昭和6年(1931年)、帝国学士院会員。 |
| 東京帝国大学文学部講師嘱託。 |
| 昭和8年(1933年)、東京帝国大学史料編纂所退官、同嘱託となり、従三位勲二等に叙された。 |
| 昭和12年(1937年)1月、御講書始に『日本書紀』を進講、同年8月東京にて病歿。 |
単著
| 『官職要解』 明治書院 明治35年(1902年)、修訂版1926年、講談社学術文庫1983年。 |
| 『建武年中行事註解』 明治書院 明治36年(1903年)、講談社学術文庫1989年。 |
| 『国史国文之研究』 雄山閣 大正15年(1926年)。 |
| 『芸備の学者』 明治書院 昭和4年(1929年)。 |
| 『皇室御撰之研究』 明治書院 昭和8年(1933年)。 |
| 『本朝書籍目録考証』 明治書院 昭和11年(1936年)、昭和45年(1970年)復刊。 |
| 『国史説苑』 明治書院 昭和17年(1942年)。 |
編著
| 『列聖全集』(監修) 列聖全集編纂会 大正4年(1915年)。 |
| 『四鏡選』 明治書院 昭和4年(1929年)。 |
| 『国書逸文』 森克己校訂 昭和15年(1940年) 国書刊行会で平成7年(1995年)復刻。 |
共著
| 『増鏡詳解』(佐藤球と共著、全3冊) 明治書院 明治30年(1897年)、大正15年(1926年)改訂。 |
| 『栄華物語詳解』(佐藤球と共著、全15巻) 明治書院 明治32年(1899年)-明治40年(1907年)。 |
| 『増鏡通解』 (石川佐久太郎と共著) 明治書院 昭和13年(1938年)。 |
校訂
| 『増鏡』 岩波文庫、復刊1997年ほか。 |
| 『水鏡』 岩波文庫 初版1930年、復刊1987年・1996年。 |
| 『大鏡 <徳川家本>』 岩波文庫 初版1931年、一穂社で復刻版。 |
挿話
| 和田は書物をこよなく愛した蔵書家であった。 |
| 史書を好み、在郷時には頼山陽の『日本外史』などを読んでいたという。 |
| 面白いことに、和田は古典講習科に入学するまで『徒然草』を知らなかったという。 |
| 古典講習科在学中、「和本は軽くて歩きながらの勉強に」都合が良いといって、通学時も本を手放すことはなく、「読みたかった本や、珍しいものが手に入った時には、読みながらいつのまにか家についていた」という。 |
| しかし、その蔵書は関東大震災に際して、灰燼に帰してしまった。 |
| 深い嘆きと悲しみにくれる中、和田は『古事類苑』を筆頭に蔵書の復興に取り掛かったという。 |
| 『古事類苑』は日本の制度・社会・文物など諸分野に関する類書である。 |
| 和田の学問の根底が国学にあったことを窺わせる。 |
参考図書
| 『和田英松博士の学恩』(国書逸文研究会、1987年)。 |
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1865年
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備後国沼隈郡鞆町(現在の広島県福山市)にて... |
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1872年
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母の生家に託せられ、照蓮寺の三宅某について... |
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