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つながりの強いひと
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唐沢俊二郎
日本の政治家、元自由民主党衆議院議員。第3次中曽根内閣の郵政大臣、第1次海部内閣で自民党総務会長を歴任した。 |
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岸信介
日本の政治家、官僚。内閣総理大臣(第56・57代)。位階は正二位、勲等は大勲位。旧姓佐藤(さとう)。元衆議院議員、CIAエージェント。満州国総務庁次長、商... |
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藤山愛一郎
藤山愛一郎(ふじやまあいいちろう、1897年5月22日-1985年2月22日)は日本の政治家・実業家。元外務大臣・経済企画庁長官。藤山コンツェルン二代目。 |
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町村金五
日本の内務官僚、政治家。元貴族院議員・元参議院議員町村敬貴の実弟、衆議院議員町村信孝の実父。 |
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三木清
(西田左派を含めた上での)京都学派を代表する哲学者。兵庫県揖保郡平井村小神(後の龍野市、現・たつの市揖西町)出身。弟に中国文学者の三木克己がいる。 |
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風見章
日本の昭和期の政治家。立憲民政党、国民同盟、日本社会党に所属の衆議院議員。当選9回。第1次近衛内閣書記官長、第2次近衛内閣司法大臣。茨城県豊田郡水海道... |
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安倍源基
日本の内務官僚、弁護士。警視庁特別高等警察部長、警視総監、内務大臣を歴任した。 |
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有田八郎
新潟県佐渡郡真野町(現・佐渡市真野)出身の外交官、政治家。貴族院勅選議員、衆議院議員1期(第26回)。号は澤農。 |
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大野伴睦
大野伴睦(おおのばんぼく、9月20日-5月29日)は日本の政治家。東京市会議員を経て衆議院議員となり、衆議院議長、北海道開発庁長官、日本自由党幹事長、自民... |
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後藤隆之助
日本の政治活動家。近衛文麿のブレーンとして彼を支え、大政翼賛会の組織局長を務めた。 |
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佐々弘雄
日本の政治学者、ジャーナリスト、参議院議員。 |
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犬養健
日本の政治家、小説家。正三位勲一等。元首相犬養毅の三男にあたる。法務大臣(第2代・第3代)。 |
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富田健治
大正・昭和期の日本の官僚、政治家。兵庫県出身。石川県警察部長、長野県知事。第二次および第三次近衛内閣で内閣書記官長。貴族院議員。戦後、自由民主党衆... |
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牛場信彦
日本の外交官。元国務大臣(福田赳夫改造内閣)。父は牛場卓蔵。兄に近衛文麿の秘書官を務めた牛場友彦がいる。弟は国家公安委員を務めた牛場大蔵慶應義塾大... |
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蝋山政道
日本の政治学者・行政学者、政治家、お茶の水女子大学名誉教授。民主社会主義の提唱者であり、行政学研究の先駆的存在である。 |
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笠信太郎
日本のジャーナリスト。朝日新聞論説主幹。 |
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海部俊樹
日本の政治家。財団法人日本ソフトテニス連盟会長、社団法人大正琴協会理事長、特定非営利活動法人日本ティーボール協会会長。衆議院議員(16期)、文部大臣... |
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矢部貞治
矢部貞治(やべていじ、1902年(明治35年)11月9日-1967年(昭和42年)5月7日)は日本の政治学者、評論家。東京帝国大学法学部教授、拓殖大学総長などを歴任... |
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和田耕作
昭和期の政治家。元民社党衆議院議員。高知県出身。1984年勲二等旭日重光章受章。 |
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プロフィール
唐沢俊樹(からさわとしき、2月10日-3月14日)は、昭和期の日本の内務官僚、政治家。戦前は内務次官、貴族院議員を歴任し、戦後、自由民主党の衆議院議員。第1次岸改造内閣の 法務大臣を務める。自民党衆議院議員で郵政大臣、党総務会長を歴任した 唐沢俊二郎は二男。勲一等瑞宝章。
来歴・人物
| 長野県東筑摩郡山形村に生まれる。 |
| 旧制松本中学(現在の長野県松本深志高等学校)時代には、小さい体躯に丸々としていたので「マルサ」と綽名される。 |
| かなりの暴れん坊で停学になったこともあるが、成績は抜群であった。 |
| 松本中学から、仙台の旧制二高に進学する。 |
| 入試の成績は一位であった。 |
| 二高から東京帝国大学法科大学政治学科に進む。 |
| 同期には、河合栄治郎、田中耕太郎、土方成美、永野護らがいた。 |
| 東京帝大を首席で卒業し、銀時計を賜る。 |
| 郷里山形村は、唐沢の卒業を祝して提灯行列を催し、恩賜の銀時計は小学校に飾られた。 |
| 大正4年内務省に入省する。 |
| 内務省を辞し、3年間(4年間の説あり)欧米に留学し、「第一次世界大戦後の世界思潮の動向」を研究する。 |
| 帰朝し、内務省に再入省、茨城県会計課長に任命される。 |
| 赴任先の茨城県では旧制水戸高等学校(現在の茨城大学)が出来たばかりで教員不足のため、法制経済担当の講師として教壇にも立った。 |
| 水戸高校時代の教え子には、岩田誠(最高裁判所判事)、江戸英雄(三井不動産会長)、岡崎英城(衆議院議員)、柴沼直(東京文理科大学学長)、小川栄一(藤田観光社長)らがいる。 |
| その後、本省に戻り、内務省警保局図書課新聞検閲主任事務官、警保局保安課長などを経て、和歌山県知事に任命される。 |
| 内務省土木局長となり、土木事業の中で砂防事業に着目する。 |
| 砂防は、土地収用の必要がなく、事業費の大部分が労力費であるため、当時、窮乏していた農村救済に砂防工事を重点事業とした。 |
| 唐沢は、昭和7年度に府県に対する砂防事業の国庫補助を前年度25万円から300万円に増額し、7年度から3ヵ年継続事業とした。 |
| 岡田内閣の後藤文夫内相によって内務省警保局長に任命される。 |
| 警保局長時代の大本教の大検挙に乗り出した(大本事件)。 |
| 戦後、大本事件は宗教弾圧事件として、批判を浴びたが、唐沢はこれに対して、に、大本教という宗教弾圧ではなく、大本教が信者から集めた浄財が出口王仁三郎から右翼に流れ、右翼の活動資金となっていることを断つという目的のために実行したと言う趣旨の手記を寄せている。 |
| 戦後、東条内閣の内務次官を務めていたことで公職追放となる。 |
| 永田雅一大映社長の誘いでプロ野球チーム大映スターズの会長に就任する。 |
| サンフランシスコ講和条約発効に伴い、公職追放が解除される。 |
| 翌第25回衆議院議員総選挙に旧長野4区から立候補したが、落選する。 |
| バカヤロー解散後の第26回衆議院議員総選挙にも立候補したが、再び落選する。 |
| 友人であった五島慶太の依頼で、五島育英会理事長を務めたほか、武蔵工業大学(現東京都市大学)、亜細亜大学の経営にも当たった。 |
| 趣味は俳句で、号は樹子。 |
| ホトトギスの同人で高浜虚子に師事した。 |
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唐沢俊樹さんについてのひとこと紹介
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