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つながりの強いひと
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花柳章太郎
戦前から戦後にかけて活躍した新派を代表する女形役者。日本芸術院会員。文化功労者。 |
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紅野謙介
日本近代文学研究者、日本大学文理学部教授。父は早稲田大学名誉教授・紅野敏郎。妻は早大教育学部教授の金井景子。 |
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伊井蓉峰
発足間もない新派劇で活躍した俳優。二枚目俳優であり、芸名は「いい容貌」のもじりだという。俳優の伊井友三郎は娘婿。 |
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河合武雄
明治中期から昭和初期にかけて活躍した、新派の女形俳優。大正期には、伊井蓉峰・喜多村緑郎とともに、三頭目と言われた。 |
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泉鏡花
明治後期から昭和初期にかけて活躍した小説家。戯曲や俳句も手がけた。本名、鏡太郎。金沢市下新町生れ。尾崎紅葉に師事した。『夜行巡査』『外科室』で評価... |
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水谷八重子
’73年に文化庁芸術選奨演劇部門文部大臣賞新人賞を受賞以来、菊田一夫演劇賞、松尾芸能賞、芸術祭賞、都民栄誉賞、文部大臣賞など数々の賞を受賞。’95年には... |
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森井マスミ
戯曲や、演劇論、演劇関係者の書いた評論などを読みながら、演劇表現の特質を把握し、小説とは異なる演劇表現の可能性を探ります。
演劇は空間芸術であり、... |
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高峰三枝子
日本の女優、歌手。『歌う映画スター』の草分け的存在である。父は筑前琵琶演奏者の高峰筑風。孫は元女優の高峰陽(ひなた)。本名:鈴木三枝子(すずき・みえ... |
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喜多村英梨
日本の女性声優、歌手、元子役。血液型はA型。EARLYWING所属。所属レコードレーベルはスターチャイルド(キングレコード)。東京都出身。愛称は「キタエリ」... |
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久保田万太郎
東京生まれの小説家、劇作家、俳人。1926年よりNHKに奉職した経歴をもつ。俳号は暮雨、傘雨。 |
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川口松太郎
川口松太郎(かわぐちまつたろう、1899年(明治32年)10月1日-1985年(昭和60年)6月9日)は日本の小説家、劇作家、日本芸術院会員、戦後の大映映画の専務。... |
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北条秀司
劇作家、著述家。本名は飯野秀二(いいのひでじ)。大阪市生まれ。関西大学文科卒業。箱根登山鉄道の社員をしながら岡本綺堂に師事、「北條秀司」の筆名は綺... |
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柳永二郎
大正-昭和期の俳優。新劇畑から、新派に転じて活躍した。中年から、映画・テレビにも出演した。 |
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清元志寿太夫
大正から平成にかけて活躍した清元節太夫。正式表記は旧字の志壽太夫。重要無形文化財保持者(人間国宝)、文化功労者、日本芸術院会員、正五位勲三等瑞宝章... |
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村松梢風
日本の小説家。静岡県周智郡飯田村(現:森町)生まれ。 |
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井上正夫
明治・大正・昭和期の新派劇俳優、映画監督、書家。演劇の大衆化に尽力すると共に、「活動写真」を「映画」という芸術まで高めた功労者でもある。胸像が松山... |
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塚本快示
塚本快示(つかもとかいじ、1912年12月14日-1990年6月10日)は日本の陶芸家。本名は塚本快兒。戦後、美濃窯の発展に貢献した陶芸デザイナー・日根野作三に師... |
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プロフィール
喜多村緑郎(きたむらろくろう、1871年9月7日(明治4年7月23日)-1961年(昭和36年)5月16日)は、明治-昭和期の新派の女形俳優。
生涯
| 東京市日本橋区橘町(現在の中央区日本橋浜町)の薬種問屋に生まれた。 |
| 少年期、丁稚奉公に出され、帰って雑俳に凝り、その仲間と素人芝居をしていたが、1892年(明治25年)、「青柳捨三郎一座」で初舞台を踏み、そのときの兄役伊井蓉峰に勧められて「青柳一座」の北海道巡業に加わり、新派俳優への志を固めた。 |
| 1893年から東京の芝居に加わった。 |
| 『北村みどり』や『北村緑郎』を芸名とした。 |
| 1896年(明治29年)(25歳)、高田実、秋月桂太郎、小織桂一郎らと『成美団』を結成し、大阪の『角座』、『朝日座』などで新派の上演を続けた。 |
| 壮士芝居と違う、写実的な芸風の一座であった。 |
| 不如帰を初演した。 |
| 1904年独立し、北区にあった大衆劇場『天満座』に拠った。 |
| 1906年(明治39年)(35歳)、一足早く帰った高田実に招かれて東京に戻り、「本郷座」の一座に入った。 |
| 1908年、伊井蓉峰と組み、新富座で、泉鏡花の『湯島の境内』を台本にした『婦系図』を初演した。 |
| 同じく鏡花ものの、『白鷺』(1910年)、『日本橋』(1915年)も初演した。 |
| 秋月、高田などが世を去り、1917年(大正6年)ころからは、伊井、河合武雄とともに、「新派の三頭目」と呼ばれた。 |
| ほとんど女役ばかりを演じながら、洋服に凝り、葉巻を離さず、コーヒー、ウイスキーを好み、輸入映画を見回り、麻雀・ゴルフに興じる紳士であった。 |
| そして歌舞伎に詳しかった。 |
| 1939年(昭和14年)、愛弟子の花柳章太郎はじめ、柳永二郎・大矢市次郎・伊志井寛らが『新生新派』を結成し、喜多村・河合らは『本流新派』に残ったが、『本流新派』が次第に無人になった戦後は、『新生新派』にも出演し、1949年からは、大合同した『劇団新派』に属した。 |
| 1948年(昭和23年)77歳、芸術院会員に選ばれた。 |
| 1955年、重要無形文化財保持者(いわゆる人間国宝)に認定され、また、文化功労者に選ばれた。 |
| 1961年(昭和36年)、滿90歳を目前に没した。 |
| 外孫に演出家の戌井市郎がいる。 |
文業
| 『わが芸談』、「演劇画報」誌に掲載(1908&1911)。 |
| 『芸道礼讃』、二見書房(1943)。 |
| 『喜多村緑郎日記』(1923-1929)、喜多村九寿子編、演劇出版社(1962)。 |
| 『癖』、(「日本の名随筆別巻10、作品社(1991)ISBN4878938307」中の一篇)。 |
| 『日本の芸術・新派喜多村緑郎対談』、(「三島由紀夫全集決定版39対談1、新潮社(2004)ISBN4106425793」中の一篇)。 |
| 『あけずの間』、(「文芸怪談実話、筑摩書房ちくま文庫(2008)ISBN9784480424617」中の一篇)。 |
出典
| 柳永二郎編:年表、(「柳永二郎、『木戸哀楽新派九十年の歩み』、読売新聞社(1977)」の、p.217-p.271)。 |
| 早稲田大学演劇博物館編:『演劇大百科大事典1』、平凡社(1960)。 |
| 尾崎秀樹ほか編:『新潮日本人名辞典』、新潮社(1991)。 |
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1871年
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喜多村 緑郎(きたむら ろくろう、(明治4年7... |
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1908年
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伊井蓉峰と組み、新富座で、泉鏡花の『湯島の... |
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