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つながりの強いひと
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佐藤兼伊知
北海道札幌市中央区出身の元プロ野球選手(内野手)。 |
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成瀬善久
千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(投手)。 |
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荘勝雄
台湾出身の元プロ野球選手(投手)で野球指導者。輔仁大学卒業。1991年に帰化。現在は、Lamigoモンキーズの投手コーチを務める。 |
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鈴木貴久
北海道旭川市出身のプロ野球選手(外野手)。 |
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古谷拓哉
千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(投手)。北海道北見市出身。 |
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古川慎一
東京都出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 |
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袴田英利
静岡県出身の元プロ野球選手(捕手)。現在は千葉ロッテマリーンズ二軍総合コーチ。 |
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プロフィール
- 園川一美とは
- 来歴・人物
- 現役時代
- 引退後
- 年度別投手成績
- 記録
- 背番号
- 関連項目
園川一美(そのかわかずみ、1963年5月1日-)は、熊本県八 代郡千丁町(現:八代市)出身の元プロ野球選手(投手)。現在は千葉ロッテマリーンズ球団職員。
来歴・人物
| 1980年に九州学院高校で甲子園に出場。 |
| 高校時代から度胸のある態度とユニークなキャラクターで注目されていた。 |
| 首都大学野球の強豪で伝統校の日体大に進み、1試合19奪三振の首都大学野球リーグ記録、ノーヒットノーランなどを達成したほか、1985年の日米大学野球選手権大会ではMVPを獲得した。 |
現役時代
| 1985年、ドラフト2位でロッテオリオンズから2位指名4球団が競合。 |
| ドラフト2位以下での4球団競合は当時の最多タイされ入団。 |
| 1位指名が高卒の石田雅彦だったため、「なんでこの僕が2位指名なんですか!?」とコメント。 |
| 1987年、先発ローテーションに定着。 |
| 5月23日柏崎の南海ホークスに3番手として登板し、4-7回の3イニングを無失点に抑えるが、その直後のロッテ攻撃中に日没サスペンデッドゲームとなる(なお7月8日の続行試合には投げていない)。 |
| 9月2日の南海戦では13失点を喫しながら最後まで投げ切った当然のことながら敗戦投手に。 |
| 13失点での先発完投は現在もパ・リーグワースト記録。 |
| 6日後の同8日の日本ハムファイターズ戦ではプロ入り初完封勝利を挙げた。 |
| 1988年、初の2桁勝利。 |
| 伝説の10.19の第2戦に先発し、「"ザマアミロ"って感じがありましたね。 |
| 勝っても負けてもどうせ"憎まれ役"だってことは解ってましたから」とコメント。 |
| 1989年、プロ野球史上初の「規定投球回数に達して防御率6点台」を記録しながらも、奪三振率はリーグ1位という珍記録。 |
| 1990年、6月23日の西武ライオンズ戦(西武球場)で自らのボークの判定を巡って金田正一監督が高木敏昭審判に暴行を働き退場処分。 |
| 1991年、秋田市営八橋球場で行われた近鉄戦では内角攻めに激昂したジム・トレーバー選手に暴行を受ける。 |
| 1994年、9月20日のオリックス戦で、イチローにプロ野球史上初となるシーズン200本目の安打を打たれる。 |
| 「いや、別に僕1人で200本打たれたわけじゃないですし」と発言。 |
| この年のイチローとの戦績は18打数13安打と打ち込まれたことも話題となる。 |
| ただし、1995年は12打数3安打(うち1本塁打)に抑えている。 |
| 1996年、伊良部秀輝、小宮山悟、エリック・ヒルマンを抑えて開幕投手を務めた。 |
| このことに対戦相手の王貞治監督が「開幕投手には格というものがあるだろう」と発言し、不快感を顕にする。 |
| 試合は味方がリードして迎えた5回途中2失点で降板。 |
| 開幕勝利に貢献したが、この年は結局未勝利。 |
| 1999年、9月21日に引退表明。 |
| 10月3日の福岡ダイエー戦(千葉マリン)で引退試合。 |
| 引退セレモニー後にも、グリーンスタジアム神戸で1イニング登板。 |
引退後
| 引退後は投手コーチ、スコアラー、ブルペンコーチなどを歴任。 |
| 2007年オフ、球団より来季のコーチ契約を結ばないことが発表された。 |
| 球団からはフロントでの野球振興事業担当への配属を打診され受諾。 |
| 2008年、振興部テクニカルコーチに就任。 |
| ロッテの提携球団である中国・江蘇ホープスターズで元同僚の佐藤兼伊知が監督となり、その下で投手コーチを務めた。 |
| 2009年現在、ロッテ球団総務部テクニカルコーチ職員。 |
| 「マリーンズ・ベースボールアカデミー」で少年たちの指導に当たる。 |
記録
| 初登板:1986年10月8日、対西武ライオンズ24回戦(西武)。 |
| 初先発・初完投・初勝利:1986年10月15日、対南海ホークス24回戦。 |
| 初敗戦:1986年10月19日、対日本ハムファイターズ最終戦。 |
| 初セーブ:1989年4月28日、対日本ハムファイターズ4回戦(川崎)。 |
| 初完封:1987年9月8日、対日本ハムファイターズ19回戦。 |
| 初奪三振:1986年10月8日対、西武ライオンズ24回戦(西武)大田卓司から。 |
| 通算1000投球回:1993年10月19日、対西武ライオンズ最終戦(史上252人目)。 |
| 通算1000奪三振:1996年4月28日、対日本ハムファイターズ5回戦(千葉マリン)ロブ・デューシーから(史上95人目)。 |
| 通算1500投球回:1999年5月14日、対日本ハムファイターズ6回戦(千葉マリン)、史上145人目。 |
背番号
| 28(1986年-1999年)。 |
| 82(2000年)。 |
| 81(2003年-2007年)。 |
関連項目
| 熊本県出身の人物一覧。 |
| 千葉ロッテマリーンズの選手一覧。 |
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1963年
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園川 一美(そのかわ かずみ)は、熊本県八代... |
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1980年
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九州学院高校で甲子園に出場 |
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投票数
0
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