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つながりの強いひと
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清原和博
大阪府岸和田市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球評論家。 |
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王貞治
日本生まれ・中華民国籍の元プロ野球選手、監督。読売ジャイアンツの主軸打者として積み上げた通算本塁打数868本は、メジャーリーグのハンク・アーロンの755... |
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野村克也
京都府出身の元プロ野球選手(捕手)・監督・野球解説者、野球評論家。所属事務所はエフエンタープライズ。血液型はB型。愛称は「ノムさん」。 |
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落合博満
秋田県南秋田郡若美町(現:男鹿市)出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球監督。2004年より中日ドラゴンズ監督。 |
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張本勲
在日韓国人二世の元プロ野球選手(外野手)、現野球解説者・タレント。日本プロ野球で3000安打を記録している唯一の選手であり、世界で初めて3000本安打を本... |
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長嶋茂雄
千葉県印旛郡臼井町(現:佐倉市)出身のプロ野球選手(内野手)、プロ野球監督。現役時代のポジションは内野手(主に三塁手)。右投右打。血液型はB型。現役... |
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衣笠祥雄
京都府京都市東山区出身の元プロ野球選手(内野手)。京都市立洛東中学校、平安高等学校出身。現在は野球解説者。愛称は「鉄人」。 |
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田淵幸一
東京都豊島区出身の元プロ野球選手(捕手、内野手)、プロ野球指導者(監督、コーチ)、野球解説者、阪神タイガースOB会会長(第6代)。株式会社タブチエンタ... |
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門田博光
山口県小野田市(現:山陽小野田市)生まれ、奈良県五條市育ちの元プロ野球選手(外野手)。現在は大阪ホークスドリーム監督。現役時代は南海・ダイエー、オ... |
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山本浩二
73年から3年間マドリードの美術研究所とプラド美術館に学び帰国。82年招かれて渡英。ロンドンに滞在して制作。イギリス文化庁主催の12人展がイギリス全土を巡... |
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大杉勝男
岡山県勝田郡奈義町出身のプロ野球選手(内野手)。 |
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福本豊
大阪府大阪市生野区出身の元プロ野球選手(外野手)。通算盗塁数の日本記録保持者(達成当時は世界記録)で、「世界の盗塁王」の異名を持つ。引退後はコーチ... |
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川上哲治
熊本県球磨郡大村(現・人吉市)出身のプロ野球選手・プロ野球監督、野球解説者。現役時代から“打撃の神様”と言われ、また監督としては読売ジャイアンツの黄... |
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鈴木啓示
兵庫県西脇市出身の元プロ野球選手(投手)・監督。 |
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稲尾和久
大分県別府市出身のプロ野球選手(投手)・監督、野球解説者・評論家。通称「鉄腕」。愛称は「サイちゃん」。血液型はB型 |
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渡辺久信
群馬県出身の元プロ野球選手(投手)。より埼玉西武ライオンズ監督。愛称は「ナベ」、「ナベQ」。 |
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江藤愼一
熊本県出身のプロ野球選手(外野手)・監督。旧名「江藤慎一」。元プロ野球選手で慶應義塾大学野球部監督の江藤省三は実弟。 |
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柴田勲
神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(外野手、投手)、野球解説者。高校時代は甲子園の優勝投手でもある。別名「銀座の盗塁王」(フジテレビ系『プロ野球ニ... |
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原辰徳
神奈川県相模原市出身(福岡県大牟田市生まれ)の元プロ野球選手(内野手、外野手)・監督。愛称は若大将、タツ、平成の若大将、ヤング・ミスター、永遠の若... |
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立浪和義
大阪府摂津市出身の元プロ野球選手(内野手)。現在はフリーの野球解説者、および中日スポーツ、東京中日スポーツの野球評論家。板東英二が社長を務める芸能... |
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プロフィール
- 土井正博とは
- 「18歳の四番打者」
- 「無冠の帝王」
- 移籍、引退
- 引退後
- プレイスタイル・特筆
- エピソード
- 年度別打撃成績
- タイトル
- 表彰
- 記録
- 背番号
- 出演番組
- 関連項目
- 関連サイト
土井正博(どいまさひろ、1943年12月8日-)は、大阪府柏原市出身のプロ野球選手(外野手、一塁手)、野球指導者、野球解説者、野球評論家。右投げ右打ち。
「18歳の四番打者」
| 大鉄高等学校(現・阪南大学高等学校)の野球部は藤井寺球場で練習を行うことがあり、そこで当時近鉄のスカウトを務めていた根本陸夫の誘いを受け、1961年に高校を2年で中退して近鉄に入団した。 |
| 母子家庭で、親孝行を考えてのプロ入りだった。 |
| 近鉄は1958年から1962年まで5年連続のリーグ最下位であり、土井が入団した1961年にはプロ野球記録となるシーズン103敗を喫するなど、「パ・リーグのお荷物」とすら言われる有様だった。 |
| 1961年オフに近鉄の監督に就任した別当薫は、プロ入り1年目にして整理対象(解雇する候補)となっていた土井の長距離打者としての才能を見出し、4番に起用。 |
| 「18歳の四番打者」と話題になった。 |
| しかし、1962年の成績は打率.231、5本塁打であり、「弱小球団の単なる話題作り」と非難を浴びることもあった。 |
| 土井自身も重圧に耐えかねて出場メンバーから外すように願い出たこともあったが、別当は「打てないお前より、使っている俺のほうが苦しい。 |
| 近鉄が強くなるためにはお前の力が必要になる。 |
| だから、数年先のためにお前は外さない」と拒否し、起用を続けた。 |
| 土井はその期待に応え、別当が近鉄監督3年目となった1964年、3割30本100打点には僅かに届かなかったものの、リーグ最多安打を記録するなど成長。 |
| その後も、近鉄の中心打者として長らく活躍した。 |
| これらの経緯から、土井は別当を師匠と仰ぎ、別当は結婚式の際には父親のいない土井の父親役を務めている。 |
「無冠の帝王」
| 1964年の28本塁打以降6年連続で20本塁打を記録するなど和製大砲として活躍した。 |
| 1970年、賭博容疑(黒い霧事件)で書類送検され1ヶ月の出場停止処分を受けるが、翌1971年は打率.309、40本塁打、113打点と自己最高の成績を残す。 |
| しかし大杉勝男の41本塁打にあと1本及ばず、タイトルを逃した。 |
| このように長らく中心選手として活躍していながら打撃タイトル(首位打者、本塁打王、打点王)の経験がなかったため、ときに「無冠の帝王」と呼ばれることもあった。 |
移籍、引退
| 1974年オフ、西本幸雄監督のもと若返りを目指すチーム方針のため、太平洋クラブライオンズにトレード移籍。 |
| 移籍1年目に34本塁打を放ち念願の本塁打王のタイトルを獲得した。 |
| 1977年、2000本安打達成。 |
| 1979年に球団が西武鉄道に売却された後も若い選手が多い西武の精神的支柱として野村克也、山崎裕之、田淵幸一らとともにチームを支えた。 |
| 1981年、怪我のため出場試合数が減り、根本陸夫監督の辞任に伴うチームの若返り策に理解を示し現役を引退した。 |
| 現役時代はチームの優勝に縁がなく、日本シリーズ出場経験はない。 |
引退後
| 1982年~1984年にテレビ埼玉の野球解説者、1984年にはTBS系金曜ドラマ「くれない族の反乱」に出演(南部史郎役)、1985年に西武二軍打撃コーチ就任。 |
| 翌1986年には、自身と同じ「18歳の四番打者」の境遇にあった清原和博を指導する。 |
| しかし、1989年シーズン中に賭博に絡んでいたことが発覚し、強制捜査で現行犯逮捕され解任される。 |
| 1990年~1991年2度目のテレビ埼玉野球解説者。 |
| 1992年韓国プロ野球・三星ライオンズの打撃コーチを経て、1996年~1999年西武一軍打撃コーチ、2000年~2003年3度目のテレビ埼玉の野球解説者を経て、2004年~2007年西武一軍ヘッドコーチを務めた。 |
| 2008年10月1日に行われた清原の引退試合には観戦に来ていた。 |
| 2009年~2010年サンケイスポーツ(関西)の野球評論家、2010年3月1日から3か月間阪神大学野球リーグ2部に所属する追手門学院大学の特別コーチ、2011年から4年ぶりに埼玉西武一軍ヘッドコーチ兼打撃コーチを務める。 |
プレイスタイル・特筆
| 典型的なプルヒッターで、通算465本の本塁打のうち、ライト方向へ飛んだのはたった3本だったという。 |
| 一方ミートについても、引っ張り一辺倒のバッティングでありながら本人によればバットを折った記憶がほとんどなく、このことを誇りに感じているという。 |
| また、三振数の打数に対する割合が.089と1割を切っている。 |
| この「三振率1割未満」は400本塁打以上を打った15人の中では張本勲、長嶋茂雄と土井の3人のみである。 |
| 打撃フォームは上半身を捻った独特なものであった。 |
| 最初はカッコだけではじめたものだったが、これが意外にも余分な力が抜け、また成績も上昇したため定着させていった。 |
| 晩年は、全盛時と比べると捻りはおとなしいものになった。 |
| 水島新司の漫画「あぶさん」の主人公、景浦安武のモデルの一人でベースボールマガジン9月号、2007年No4、ベースボール・マガジン社、p112-113作中「土井さんは俺のフォームの師匠だ。 |
| 」と語っている。 |
エピソード
| 幼少の頃に父親が戦死している。 |
| 産まれは大阪・港区だが、終戦間もなく、母、姉と藤井寺球場近くの柏原市に転居。 |
| 実家は本屋を営んでいたと言う。 |
| プロ野球選手としては永い間独身で遊びまくっていたそうであるが、クラウンライター時代の1978年、35歳の時に19歳の伴侶を得て話題になった。 |
| その後一男一女に恵まれている。 |
| チームが福岡から所沢に移転する際に、東尾修・伊原春樹・竹之内雅史ら主力選手のほとんどが反対していたが、「俺はどこででもやる」と発言。 |
| 反対していた選手も徐々に納得し出した。 |
| 1981年、怪我がちの38歳のシーズン中、「西武・長嶋茂雄監督招へい」と報道が出て、付き合いもあった長嶋監督の下でもうひと踏ん張り、と思っていたが、根本監督に呼ばれ「次期監督は広岡に決まったようだから、お前は引退しろ」と言われた。 |
| 管理野球の広岡とは合わないだろうという根本の考えだったサンケイスポーツ2010年1月5日6面。 |
| がんばれ!!タブチくん!!にも登場している。 |
| コーチを解任されたのちに清原の技術が停滞し、1990年代以降死球禍などに苦しんだことについては、「清原に1軍で勝つための技術だけしか身に付けさせられなかった」としている。 |
| 清原にデッドボールの避け方を教えることができずに賭博によりコーチをやめることになってしまったことを後悔していた。 |
| そのため、1996年のコーチ復帰の際には松井稼頭央などにデッドボールの避け方をまず教えた |
| 50代あたりから総白髪になった。 |
| その理由として、二軍コーチ時代に清原を指導するに当たり、どのように指導したら良いか経験したことのない重圧を感じた為、瞬く間に髪の毛が白くなったと語っている。 |
| (ベースボールマガジン2008年7月号より)。 |
| 2010年夏に行われたライオンズクラシックにOBとして参加した際仙人のように立派な髭を蓄えており、トークショーで同席した当時のチームメイト、特に東尾修は驚いていた。 |
| この髭は2009年に行われたライオンズクラシックでは蓄えていなかったのでその後伸ばし始めたと考えられる。 |
| 2011年よりヘッドコーチに就任した際も伸ばし続けていたがチームの不振の影響もあり、5月5日の時点では綺麗に剃られていてそのかいもあってかチームは連敗をストップした。 |
タイトル
| 本塁打王:1回(1975年)。 |
| 最多安打:2回(1964年、1967年) ※当時はタイトルではない。 |
表彰
| ベストナイン:3回(1967年と1968年は外野手、1978年は指名打者でそれぞれ選出)。 |
| オールスターゲームMVP:3回(1967年第1戦、1969年第1戦、1975年第3戦)。 |
記録
| 6試合連続本塁打(1978年5月14日-5月22日)。 |
| 5試合連続本塁打(1973年7月29日-8月3日)。 |
| 25試合連続安打(1967年9月7日-10月17日)。 |
| オールスターゲーム出場:15回(1963年-1969年、1971年、1973-1976年、1978年-1980年)。 |
| 1000試合出場:1969年7月6日(139人目)。 |
背番号
| 51(1961年-1967年)。 |
| 3(1968年-1981年)。 |
| 87(1985年-1989年)。 |
| 71(1996年-1999年、2004年-2007年、2011年-)。 |
出演番組
| くれない族の反乱TBS系金曜ドラマ:1984年:南部史郎役。 |
関連項目
| 大阪府出身の人物一覧。 |
| 大阪近鉄バファローズの選手一覧。 |
| 埼玉西武ライオンズの選手一覧。 |
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1943年
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土井 正博 (どい まさひろ)は、大阪府柏原... |
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1961年
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高校を2年で中退して近鉄に入団した |
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投票数
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