| デビューからしばらくは同期の高阪剛の陰に隠れて目立たない存在であった。 |
| 1996年、UWFインターナショナルより移籍してきた田村潔司に師事してからは見違えたように技術の向上を見せ、以前は苦杯を舐めたウィリー・ピータースを勝利するなど成長の跡を見せた。 |
| リングスとパンクラスのトラブル時には「俺が前田さんを守る」と発言。 |
| 1999年にはバーリトゥードにチャレンジ(ジアン・アルバレスに敗退)。 |
| リングスには2001年6月10日まで所属。 |
| 同団体に在籍中はネットワーク所属選手以外にヘンゾ・グレイシー、ブランドン・リー・ヒンクル、デイブ・メネーらと対戦経験がある。 |
| 同年7月に坂田道場設立とともにEVOLUTIONを結成。 |
| 総合格闘技へ本格的に進出を開始し、DEEP、UFOLEGEND、U-STYLE、PRIDEへ登場した。 |
| DEEP初参戦時にはパンクラス所属の窪田幸生をTKOで下し、リングス-パンクラス間のトラブルを招いた鈴木みのるを挑発。 |
| この時期にはマリオ・スペーヒー、ダニエル・グレイシーなどとの対戦経験がある。 |
| プロレスラーとしての活動は、ZERO-ONE、ZERO1-MAXを経てハッスルを活動の中心としている。 |
| ハッスルでは当初「ハッスル王子(プリンス)」のニックネームでハッスル軍に属していたが、ハッスル・ハウス4を直前に控えた2005年1月末にハッスル軍を離脱しヒールターンを果たした。 |
| それと同時に高田モンスター軍への入団を企てるが、ハッスル7(2005年2月11日、愛知県体育館)での入団査定試合に敗れ失敗。 |
| その後ハッスル・ハウス6(2005年3月19日、グランシップ静岡)でハッスル軍、モンスター軍のどちらにも属さずにやっていくと宣言、結果独自行動の坂田軍として活動することとなった。 |
| まずハッスル9(2005年5月10日、新潟市体育館)で村浜武洋と兄弟の杯を交わし、続いてモンスター軍を追放されていたマーク・コールマンと合流。 |
| ハッスル・ハウスクリスマスSP(2005年12月24日、後楽園ホール)からは、同じくハッスル軍を離脱した崔領二も傘下に加え、一勢力としての地位を築きつつある。 |
| またハッスル・ハウス11では鈴木浩子GM(当時)に叱責された青木裕子を救出、坂田軍のマネージャーに登用。 |
| この際「巨乳殺しの坂田亘」を自称。 |
| -->ハッスル15(2006年3月12日、愛知県体育館)ではシングルマッチの激闘の末に互いを認め合った天龍源一郎に対し、坂田軍の叔父貴(おじき)となることを要請。 |
| 天龍も「そんな話は大きなオッパイのおねえちゃんのいる酒の席で話せ」とまんざらでもない様子であった。 |
| しかし、ハッスル・ハウス17で開かれたハッスル・キングメモリアル6人タッグトーナメントでの敗戦後、急速にその関係は悪化、ハッスル・ハウス19で天龍がモンスター軍に付いたことで完全に絶縁することになった。 |
| その後ハッスル・ハウス20において行なわれたGM総選挙において、RGを破り当選し、新しいGMとなった。 |
| ちなみにこの後RGも坂田軍に加入している。 |
| ハッスル・マニア2006を機に坂田軍は「世界一性格の悪い男」で有名な鈴木みのるとNOSAWA論外、MAZADAの東京愚連隊という鈴木軍との新たな因縁関係が勃発した。 |
| 2007年には小川や大谷などの主力を欠いた新生ハッスル軍に助太刀する形で再び加入、以後HGと共に新生ハッスル軍の中心人物として活躍していた。 |
| 2007年8月29日、タレントの小池栄子と入籍、2008年7月24日に結婚披露宴を行った |
| 小池との出会いのきっかけは橋本真也の紹介だといわれている。 |
| その結果、対戦相手等に名前を呼ばれる時にはいつも「小池のダンナ」と呼ばれてしまうようになった。 |
| しかし、高田総統に対し、「品川の本妻」を出せとやり返していた。 |
| 2009年秋頃からハッスルの運営母体である「ハッスルエンターテインメント株式会社」の資金難が表面化し、予定されていた興行が全て中止され事実上活動を休止。 |
| 所属選手のほとんどは新たに設立された『SMASH』に移籍するか、あるいはフリーとなってしまったが、坂田は唯一ハッスルへ残留しハッスルの再興を目指す意向を表明 |
| その後2010年7月にハッスルの流れを汲む新団体として『ハッスルMAN'Sワールド』を設立し、自ら代表に就任した。 |
| 2010年、愛知県名古屋市にある坂田道場を閉鎖。 |
| 2011年3月、一部メディアでハッスルMAN'Sワールドを離脱 |
| 5月28日「ハッスルマンズワールド#6」で復活を果たした。 |