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レギュラーとして20本塁打を記録し、頭角を現す。
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4番も打ち、「年俸が一番安い4番打者」と言われた。
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1995年、1996年は続けてシーズン打率リーグ2位、3位と記録する。
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1998年に通算して1番から9番までの全打順本塁打を達成。
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2000年前後は外野手としての出場も目立った。
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2003年には自己最高の22本塁打をマーク。
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この年だけで全打順スタメン出場。
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打順は2番以前か5番が多かったが、後半戦は4番打者として活躍。
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2005年は主に2番打者として活躍し、優勝に貢献。
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規定打席にシーズン終了間際で到達し、9年ぶりに3割打者となった。
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この年の規定打席(421打席)を丁度満たしていた。
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パ・リーグ二塁手部門でベストナインを獲得。
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18年目での初受賞であり、パ・リーグ最年長初受賞(当時)となった。
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2006年は調子を落とし、打率2割台前半に落ち込む。
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2007年7月7日に本塁打を放ち、有藤道世が持っていた18年連続本塁打のチーム記録を更新する19年連続本塁打を記録した。
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また守備では、青野毅の故障、今江敏晃の不調などにより久々に三塁手でスタメン出場した。
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ホセ・オーティズの加入で出番が減ってしまう。
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2008年4月12日に途中出場ながら初の一塁手の守備についた。
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その後一塁手を守れる選手が相次いで故障したのもあり、出番が増加。
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8月20日の北海道日本ハムファイターズ戦では一塁手で先発出場し、史上40人目(球団史上3人目)の2000試合出場を果たした。
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打撃成績は前年より落ち込んでしまい、本塁打は新人年以来の0本塁打に終わり、20年連続本塁打はならなかった。
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2009年7月5日、2年ぶりに三塁でスタメン出場。
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しかし、これは西村徳文コーチがボビー・バレンタイン監督よりスタメンを告げられる際、正三塁手今江敏晃の愛称である「ゴリ」と「堀」を聞きまちがえたことによるミスであった。
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結局、堀は第1打席で左翼へ犠牲フライを放ったのち、次の回の守備より今江と交代した。