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つながりの強いひと
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野本圭
中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(外野手)。 |
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堂上剛裕
父
中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(外野手)。父は元中日ドラゴンズ投手の堂上照、弟の堂上直倫も中日ドラゴンズ所属の内野手。 |
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藤井淳志
中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(外野手)。 |
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中田賢一
中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。 |
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荒木雅博
中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(内野手)。から中日選手会長、には日本プロ野球選手会副会長に就任。 |
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平井正史
中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。愛媛県宇和島市出身。故障からカムバック賞を受賞するまでに復活を遂げた右腕。右肘に手術痕が残る。 |
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浅尾拓也
中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。マネジメント契約先はスポーツビズ。 |
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井端弘和
中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(内野手)。日本プロ野球選手会理事長。 |
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清水昭信
中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。 |
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森野将彦
中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(内野手)。 |
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和田一浩
中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(外野手)。マネジメント契約先はスポーツビズ。愛称は同姓の和田勉にちなんだベンちゃん(ベン)、ビッグベンなど。 |
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谷繁元信
中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(捕手)。愛称は「シゲ」。 |
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吉見一起
吉見一起(よしみかずき、1984年9月19日-)は中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。 |
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山本昌
中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。東京都大田区生まれ、神奈川県茅ヶ崎市出身。 |
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岩瀬仁紀
中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。日本プロ野球における通算セーブ数記録保持者。 |
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坂本勇人
読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(内野手)。 |
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岩崎達郎
中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(内野手)。 |
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大島洋平
中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(外野手)。 |
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田中将大
東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手(投手)。兵庫県伊丹市出身。愛称は「マー君」、「マーさん」、「マー」、「まさお」など。 |
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落合博満
秋田県南秋田郡若美町(現:男鹿市)出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球監督。2004年より中日ドラゴンズ監督。 |
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プロフィール
- 堂上直倫とは
- プロ入り前
- プロ入り後
- エピソード
- 年度別打撃成績
- 記録
- 背番号
- 関連項目
プロ入り前
| 小学校時代に、「名古屋北リトル」で野球を始めた。 |
| そこでは、投手のほかにも遊撃手の守備についた。 |
| 春日井市立知多中学校在学時にも、「名古屋北シニア」で遊撃手の守備についたとのこと。 |
| 2003年、ナゴヤドームで行われたドラゴンズのファン感謝デーで「リトルシニア東海選抜」の4番・遊撃手で出場し、投手を務めた福留孝介から左翼席へ本塁打を放った。 |
| その際、インタビューで「僕もずっと中日ファン。 |
| いつかはここでプレーしたいと思っている」と語っており、現実のものとなった。 |
| 中学卒業後は、野球の名門校として知られる愛知工業大学名電高等学校に入学。 |
| 1年生からレギュラーを獲得し、2005年春の第77回選抜高等学校野球大会では、4番に座り2本塁打を記録し優勝に貢献した。 |
| 同年9月には全日本高校選抜として、韓国で行われた第六回アジアAAA選手権大会に参加し、2本塁打で最多本塁打のタイトルを獲得。 |
| ポジションは遊撃手、選抜優勝時には三塁手として出場した。 |
| 高校通算55本塁打で、他校の捕手から「どこに投げても打たれるから投げる球が無い」と言わせるほどのバッティングセンスの持ち主である。 |
| 2005年夏の甲子園に向けた愛知県大会では、豊田大谷高校とのナゴヤドームでの決勝戦でホームランを放った。 |
| 2006年夏の甲子園に向けた愛知県大会では、10四球と勝負を避けられる場面が多かったが、14打数7安打と打率5割を記録し県大会優勝の原動力として活躍。 |
| しかし、本大会では初戦敗退を喫した。 |
| 高校時代の甲子園3大会(2005年春、2005年夏、2006年夏)の通算打率は.480。 |
| 2006年ドラフト会議にて、中日、阪神、巨人の3球団から1巡目指名を受け、中日が抽選で交渉権を獲得したため、父・兄と同じチームに入ることになった。 |
| 親子3人がプロ野球選手かつ同一球団に所属するということは史上初であった |
| なおこの時の阪神ハズレ1位は野原将志、巨人ハズレ1位は坂本勇人である。 |
プロ入り後
| ルーキーイヤーの2007年は結局一軍出場はなかったが、ウエスタンリーグでは出場試合数の8割近くを4番・三塁手で先発出場した。 |
| 打率は低迷したが、本塁打はチーム3位、打点はチーム2位と、長打力と勝負強さはあった。 |
| またシーズン終了後、福留孝介がシカゴ・カブスへ移籍したことにより、背番号を24から1に変更した。 |
| 2008年も二軍で開幕を迎えるが、北京オリンピックで荒木雅博、森野将彦が抜けたことにより若手のテストを行った結果、8月3日に初の一軍昇格を果たす。 |
| しかし、3試合に出場し、1打数無安打で7日後に二軍に降格。 |
| 以後一軍に昇格することはなかった。 |
| 2009年3月1日の日本ハムとのオープン戦で金森敬之からオープン戦初本塁打となる2点本塁打を放つ。 |
| また、この2打席前には兄・剛裕も本塁打を放っており、オープン戦で同一イニングのアベック弾は史上初であったが中日スポーツ2009年3月2日記事、開幕一軍を果たすことはできなかった。 |
| 2010年、二塁を守る井端弘和が故障で離脱したことから、その代役に指名される。 |
| 井端の登録抹消日の6月11日から、ファームの試合に中学2年生時以来という二塁手井端代役に中日堂上直が名乗りとして出場するようになり、6月16日に一軍昇格。 |
| その日の対日本ハム戦から先発の機会が与えられたが暫くは低打率が続いた。 |
| 6月18日の対巨人戦でプロ入り初安打、6月27日の対広島戦でプロ入り初本塁打を放つなど最終的に兄である剛裕の58試合を上回る82試合出場で打率.263・5HR・30打点と井端の穴を埋める活躍を見せ、急造の二塁守備も失策2と安定していた。 |
| 試合終盤の守備固めでは岩崎達郎が二塁を守り、堂上は本職である三塁を守ることが多かった。 |
| 8月6日の対阪神戦では、兄の剛裕と共にお立ち台に上がった。 |
| また、この年で4年間居た昇竜館を退寮し、名古屋市内のマンションで、一人暮らしを始めた。 |
エピソード
| 右手親指のつけ根付近に、本人曰く「詰まりマメ」が、年中出来ている。 |
| 打球が詰まっているため出来るということだが、「詰まらないことが一番だが、詰まってもいいところに飛んでくれればいい」と語っている。 |
| ただし立浪和義は「あんな所にマメが出来るのは考えられない」と打撃技術に疑問を呈している。 |
記録
| 初出場・初打席:2008年8月3日、対読売ジャイアンツ15回戦(ナゴヤドーム)、8回裏に中田賢一の代打、セス・グライシンガーの前に三振。 |
| 初先発出場:2010年6月16日、対北海道日本ハムファイターズ4回戦(ナゴヤドーム)、7番・二塁手として。 |
| 初安打:2010年6月18日、対読売ジャイアンツ7回戦(東京ドーム)、8回表に内海哲也から中前安打。 |
| 初打点:2010年6月19日、対読売ジャイアンツ8回戦(東京ドーム)、1回表にディッキー・ゴンザレスから右前適時打。 |
| 初本塁打:2010年6月27日、対広島東洋カープ12回戦(ナゴヤドーム)、9回裏にジョン・ベイルから左越3ラン。 |
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1988年
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堂上 直倫(どのうえ なおみち)は、中日ドラ... |
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2003年
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ナゴヤドームで行われたドラゴンズのファン感... |
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