■
なお、元西武鉄道社長(兼西武ライオンズオーナー代行)
戸田博之・元プリンスホテル社長(兼西武ライオンズオーナー代行)
山口弘毅(ひろよし)・元西武ライオンズ社長
小野賢二も、同サークルの二年下の後輩であり、元コクド社長
三上豊(みのる)は早稲田大学空手部に所属、義明が学生時代から手掛けていたリゾート事業地の警備の手伝いをしていた。
■
父・康次郎に就いて経営の帝王学を学んできたが、大学在学中に康次郎から“冬の軽井沢に人を呼ぶ方法を考えろ”と言われ、観光学会の仲間とスケート場を開設、成功を収める(軽井沢スケートセンター1956年)。
■
また、海の近くにプールを作るという奇策と揶揄された大磯ロングビーチ(1957年)も成功させる。
■
これは、義明の卒論を実行に移したものである。
■
1961年12月に苗場国際スキー場と苗場プリンスホテルを開業させる。
■
1964年康次郎が死去。
■
周囲では、「グループは次男の清二が継ぐ」と噂されていたが、三男の義明が西武鉄道グループを引き継いだ。
■
グループオーナー就任後10年程は、ほぼ康次郎の事業をそのまま引き継ぎ、沈黙を保っていたとされる。
■
ただし兄・清二に対する複雑な感情と配慮から流通部門を清二に任せ、西武グループが鉄道グループと流通グループに分割されることとなる。
■
1980年代後半のバブル景気真っ只中、米国の経済誌『フォーブス』に「世界一の大富豪」(The World's Billionaires)として取り上げられ、その保有総資産額は3兆円ともいわれた。
■
1978年には福岡野球を買収し西武ライオンズのオーナーとなる野球協約で複数球団の株式所有が禁じられている為横浜ベイスターズの前身である大洋球団の株式を売却。
■
飛鳥田一雄市長の要請で横浜スタジアムの建設費用も西武グループが融資していた。
■
のちに日本オリンピック委員会(JOC)の初代会長などを務めるなどスポーツの振興にも力を入れた。
■
この間、ライオンズは1980年代中期以降パシフィック・リーグの王者となり、何度もリーグ優勝・日本一と好成績を残している。
■
ヘリコプター(アメリカ合衆国大統領専用機と同じものとされる)に乗って移動している姿は、テレビなどでもよく放映された。
■
バブル崩壊後、西武グループの経営は以前に比べて厳しくなっていったが総帥の座を降りることはなかった。
■
しかし2004年4月8日、西武鉄道が総会屋に利益供与をしていたことが発覚、経営の総責任者の座を降りた。
■
但し辞職したのは西武鉄道の会長職のみで、ライオンズのオーナー、コクド(西武系の観光施設運営・不動産・建設会社、後にプリンスホテルと合併し消滅)会長には留まった。
■
同年に起きたプロ野球再編問題では26年ぶりに出席したオーナー会議で「(大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブ以外に)もう1つの合併が進行中」と発言し、渦中の人物となる。
■
しかし、ロッテ、西武、ダイエーが球団を単独で保有することに固辞したため、ダイエーはソフトバンクに身売りしたが、第二の合併は当事者間の合意すらできなかった。
■
2004年10月13日、有価証券報告書への虚偽記載の責任を取り、新高輪プリンスホテル「平安の間」で会見、コクドおよび西武鉄道をはじめとする、すべてのグループ会社の役員職から辞任する事を発表した。
■
2005年3月3日、証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載、
インサイダー取引)の疑いで東京地検特捜部に逮捕され、3月23日、東京地裁に起訴された。
■
10月27日、一審の東京地裁にて懲役2年6月、罰金500万円、執行猶予4年(求刑懲役3年、罰金500万円)の判決を言い渡され、義明側・検察側とも控訴せず、判決どおり有罪が確定した。
■
2009年10月、執行猶予満了。
■
以後、マスメディアへの露出は一切ない。