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つながりの強いひと
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ドン・シュルジー
アメリカ合衆国イリノイ州出身の元プロ野球選手(投手)。日本プロ野球での通算打率10割・通算長打率40割という、稀有の記録を有する選手である。この記録は... |
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小室光男
島根県出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは内野手。 |
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竹田利秋
竹田利秋(たけだとしあき、1941年1月5日-)は和歌山県出身の学生野球指導者。和歌山県立和歌山工業高等学校→國學院大學卒業。東北高等学校、仙台育英学園高... |
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蔦文也
プロ野球選手(投手)、徳島県立池田高等学校野球部元監督。 |
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佐藤朔
日本のフランス文学者、慶應義塾元塾長、日本芸術院会員。東京出身。1930年に慶應義塾大学文学部卒業後、ただちに文学部の助手となり、1933年予科教員、1949... |
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古尾谷雅人
日本の俳優。正木ルーム(有限会社ビッグアンドエム内で設けられた芸能事務所)に所属していた。神奈川県川崎市中原区出身。身長188cm、血液型はB型。 |
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下川辰平
福岡県福岡市出身の俳優。本名は下川辰典(しもかわときふみ)。血液型AB型。 |
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小野公誠
東京ヤクルトスワローズに所属していた元プロ野球選手(捕手、一塁手)。現在はスワローズのスコアラー。 |
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大沢清
神奈川県藤沢市出身のプロ野球選手(内野手)。プロ野球選手の大沢紀三男、大沢啓二は弟。タレントの大沢あかねは又姪。__TOC__ |
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嶋基宏
東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手(捕手)。 |
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王貞治
日本生まれ・中華民国籍の元プロ野球選手、監督。読売ジャイアンツの主軸打者として積み上げた通算本塁打数868本は、メジャーリーグのハンク・アーロンの755... |
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落合博満
秋田県南秋田郡若美町(現:男鹿市)出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球監督。2004年より中日ドラゴンズ監督。 |
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山本浩二
73年から3年間マドリードの美術研究所とプラド美術館に学び帰国。82年招かれて渡英。ロンドンに滞在して制作。イギリス文化庁主催の12人展がイギリス全土を巡... |
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姫野好治
大分県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 |
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佐藤亮太
長野県長野市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は中日ドラゴンズの打撃投手を務めている。チーム内に同姓の佐藤充がいたので、スコアボードや新聞の表記は... |
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矢野謙次
読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(外野手)。東京都三鷹市出身。 |
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あすなひろし
日本の漫画家。東京都台東区池之端生まれ、広島県育ち、広島県修道高等学校卒。 |
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プロフィール
- 塩瀬盛道とは
- 生い立ち
- 1950年5月11日
- 東急退団後
- 背番号
- 参考文献
- 関連項目
塩瀬盛道(しおせもりみち、1931年5月-2001年3月25日)は、日本のプロ野球選手(投手。右投右打)、大学野球指導者(監督)、実業家。初打席で初本塁打を放つも、以後再び打席に立つことも試合に出ることもなかったため、通算打率10割・通算長打率40割という、稀有の記録を有する選手である。この記録は、日本プロ野球の歴史の中で、塩瀬と ドン・シュルジー(オリックス)の2例しか見受けられない。通算出場試合が1試合での記録となると、塩瀬のみである。
生い立ち
| 東京府荏原郡馬込町(現在の東京都大田区馬込)で生まれる。 |
| 戦火に遭い、母親の実家がある茨城県稲敷郡牛久村(現:牛久市)へ疎開する。 |
| 茨城県立龍ヶ崎中学校(現:茨城県立竜ヶ崎第一高等学校)時代はエースで4番。 |
| 國學院大學に進み、ここでもすぐにエース格となる。 |
| 1950年、大学に籍を置いたまま、東急フライヤーズに入団・プロ入りする。 |
1950年5月11日
| 1950年5月11日、この日東急は後楽園球場にて大映スターズと対戦していた。 |
| 5回裏2死の場面で、蔦文也に替わって4番手投手として塩瀬がマウンドに上がった時、既に18-0と一方的に大映がリードしていた。 |
| 敗戦処理とはいえ、塩瀬にとってはプロ入り初の公式戦出場であった。 |
| 緊張の中、最初の対戦打者・先発投手の姫野好治を何とか三振に打ち取った。 |
| 6回表、2死1塁の場面で、塩瀬に打順が回ってきた。 |
| 投手は先に三振に打ち取った姫野。 |
| 外角寄りに入ってきた初球を振った。 |
| 手応えはほとんど無かったというが、これがライトスタンド上段に飛び込む2ランホーマーとなった。 |
| しかし6回裏、出だしから四球、ボークと大崩れし2点を献上。 |
| 続く7回裏も四球、内野安打、四球と続けて無死満塁となったところで、ようやく常見茂と交代となった。 |
| 以後、塩瀬がプロ公式戦に出場することは二度と無かった。 |
| 試合終了後、ホームラン賞として、伊勢崎銘仙、カルピス、栄養剤の「エーデー」、高島屋の商品券などを獲得するも、大下弘から「第1号の賞品は全部チームメイトに分け与えなければいけない」と言われ、手元には何も残らなかった。 |
| その代わり大下にねだり、映画共演で大下と縁のあった高峰三枝子と帝国ホテルで一緒に食事をしたという。 |
| この他大下からはホームラン祝いとしてブレザーもせしめている。 |
東急退団後
| 1950年シーズンオフに東急退団後は、熊谷組へ入社し、同社のノンプロチームに所属。 |
| 都市対抗野球大会に3回連続出場した。 |
| また大学にも復学し、会社員との二足のワラジを履きながら夜学に通い卒業する。 |
| その後、新たに野球部を発足させた日本専売公社(現:日本たばこ産業=JT)へ移籍。 |
| ほどなくして休部となってからは労務・総務畑でキャリアを積む。 |
| この間、1960年に1年間國學院大野球部監督も務めた。 |
| 1985年、JT発足と同時に産業機械事業部事業企画部部長代理に就任、その後関連会社の(株)ニッタム社長を務めた。 |
参考文献
| スポーツ・グラフィック・ナンバー編『プロ野球ヒーロー伝説』(文藝春秋、1992年)ISBN4168118177。 |
関連項目
| 北海道日本ハムファイターズの選手一覧。 |
| 東京都出身の人物一覧。 |
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1950年
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大学に籍を置いたまま、東急フライヤーズに入... |
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1960年
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1年間國學院大野球部監督も務めた |
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塩瀬盛道さんについてのひとこと紹介
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